城北交通公園と板橋宿
地下鉄に沿って走ろう!都営三田線編・第2回。


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「駅を再現」


今回訪ねた「都営地下鉄三田線」は終点から4つ目の駅の「西台駅」を出ると
右に大きく急カーブをして「蓮根駅」に着きます。
さらにこの先で1駅ごとに2回、それぞれ左右にカーブして「中山道」の地下に入るのですが
地図を見るとまさに迷走しているかのようです。
これは路線計画の段階で路線を取り巻く状況が刻々と変わっていたことが大きく影響してたようですね。

さて、このあたりの地図を見ていたとき目に入ったのが「蓮根駅」近くの「交通資料館」の文字。
「城北公園」の一角に設置されているもののようです。
この辺りにはほかに立ち寄りポイントのようなものがなさそうだったこともあり(^^;
行ってみることにしました。

ちなみに、ちょっとややこしいのですが「板橋区」にはもう1つ「城北中央公園」という公園があります。
こちらは「東武東上線」「上板橋駅」「東京メトロ有楽町線・副都心線」「氷川台駅」の中間にあり、かなり大きい公園です。
でも今回訪ねる「城北公園」は結構小さい公園で、「Googleマップ」でもかなり拡大しないと見えてきません。
「スーパーマップル関東版」恐るべし!


表紙の写真は、公園入口にある「腕木式信号機」です。
現在の信号は各色の電球やLEDを使った信号機ですが、これは機械式。
このように腕が横に向いているときは「停止」を示し、腕が下がると「進行」を示します。
国によっては腕が上がった状態も「進行」とするところもあるようですが。
仮に機構が故障すると腕は横向きで固定になるフェイルセーフがとられています。


城北中央公園@公園へ行こう!
※今回訪ねる公園とは異なります。


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園内に展示されているのは蒸気機関車2両あります。
これはそのうちの1両で、言わずと知れた「デゴイチ」の愛称を持つ「D51形」です。

展示されている「513号機」の簡単なプロフィールは以下の通り。
「昭和15年12月国鉄大宮工場でつくられ信越線や北陸線などで使っていましたが
 昭和47年6月山形県酒田機関区を最後に廃車となりました。」

※案内板より引用

片隅に「設置 48.3日」という記述がありました。
これが「昭和48年3月」を示したものだとすると、引退後すぐにこちらに搬入されたことになりますね。


国鉄D51形蒸気機関車@Wiki


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駅のホームを模したところにあり、簡易的な屋根もついてますが基本は雨ざらし。
保存状態は良好とはいえず、かなりサビも目立ちます。
もっとも整備保存するのは大変ですから、これも仕方のないことなのかも。


もう1両、「東武東上線」で活躍するはずだった(!)「ベビーロコ号」が展示されています。
明治末期にドイツの「アーサーコッペル社」で製作され、和歌山県の「有田鉄道」で使用されていたものを
戦後「東武鉄道」が「ガソリン機関車」と交換したんだそう。
ところが性能が予想以上に低く実用に耐えなかったようで、本運用されることなく川越にあった機関区に放置。
昭和33年7月から「ときわ台駅」前に展示されていましたが、昭和48年8月こちらに設置されました。

また、資料館には小さいながらもHOゲージのジオラマが置いてありました。
室内の展示物は模様替え中とのことで、ほとんどありませんでしたが(^^;


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公園から東に走り、再び「新河岸川」沿いに出ます。
「新河岸大橋」の少し下流側に水上バス「東京水辺ライン」の発着場がありました。
でも柵が閉まっていて、どうやらお休みみたい。

後で調べてみたところ、元々土曜は10:45分発の1本しかない上に10月で運行が終了しているとのこと!
元々、このあたりは特定の土日祝日のみに運行らしいので注意が必要です。
「隅田川」「荒川」とは水深がちがうからでしょうかね。


水上バス「東京水辺ライン」@公園へ行こう!


進路を南に変えて「国立西が丘サッカー場」の横を通り、「旧中山道」へ。
商店街をゆったりと走っていると「石神井川」(しゃくじいがわ)を渡ります。
そこに架かっている橋が地名の由来となった「板橋」です。

「この橋は板橋と称し、板橋という地名はこの板橋に由来するといわれています。
 板橋の名称は、すでに鎌倉から室町時代にかけて書かれた古書の中に見えますが、
 江戸時代になると宿場の名となり、明治22年に市制町村制が施行されると町名となりました。
 (中略)
 江戸時代の板橋は、太鼓状の木製の橋で、長さは9間(16.2m)、幅3間(5.4m)ありました。
 少なくとも寛政10年(一七九八)と天保年間の二度修復が行われたことが分かっています。
 近代に入ると、大正9年に新しい橋に架けかえられましたが、自動車の普及に対応するため、
 昭和7年に早くもコンクリートの橋に架けかえられました。
 現在の橋は、昭和47年に石神井川の改修工事の際、新しく架けかえられたものです。」

※案内板より引用


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橋のたもとには各街道の起点である「日本橋」からの距離「二里二十五町三十三間」が表示されていました。
メートル換算すると約11kmですね。
「中山道」の第一の宿場町で、遠方からやってきた旅人はここに着いて「江戸まであと少しか」と思ったことでしょう。
それでもあと11kmもあるんですけどね。
自転車ならあっという間なんですが(^^;

以前「ブラタモリ」の「品川」の回でやってましたが、「東海道」第一の宿場町である「品川宿」では
「大名行列」のエキストラを雇うことがあったんだとか。
財政が苦しくなっても「参勤交代」の行列は立派に見せたい、という武士の見栄の表れ(?)ですかね(^^)
ということは、同じような境遇のここ「板橋宿」でもそのようなことがあったのかな?


中山道
板橋宿
いずれも@Wiki


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橋のたもとからの眺め。
川岸はコンクリートで覆われていますが、川沿いには桜の木が植えられています。
満開の頃はいい眺めになるんでしょうけど・・・・・(^^;


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橋自体はこんな外観。
木製のイメージです。
もちろんコンクリート製ですが(^^;

そういえば「日本橋」は「2本の丸太で造った橋」の「二本橋」から転じて名づけられたそうですが
「板橋」も同じなんですかね?


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かつての「板橋宿」の賑わいそのままに、現在もこの界隈は商店街になっています。
人通りも多くてとてもにぎやかですが、自転車で走るにはちょっと大変です(^^;
いくつかのお店の店先には、そのお店にあわせたうさぎのイラストが描かれていました。


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その途中にあった銭湯の入口の破風。
かなり立派な彫刻が飾られていました。
まるでどこかの神社かお寺を見ているようです。


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商店街の南の端。
ここはかつて「中山道」と「旧川越街道」の分岐点になっていて、「板橋宿」はここから北に伸びていました。
今回は逆に北から入ってきたので、「板橋宿はここまで」になってますけどね(笑)
ちなみにうさぎの名前は「ラッピー」というんだそう。
またこの切り絵は「旧板橋警察署」で、絵柄からこの分岐点に建っていたと思われます。


板橋宿不動通り商店街振興組合


すべて D40+DX18-70mmF3.5-4.5G


次回は、板橋から巣鴨へと走ります。
by sampo_katze | 2011-02-10 17:25 | Brompton+地下鉄 | Comments(0)


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