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大手町の「聖域」
地下鉄に沿って走ろう!東京メトロ半蔵門線編・第4回


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「ビルの谷間にある」


「北の丸公園」の南側から出て、さらに南にある「皇居東御苑」に行ってみたかったんですが
残念ながら自転車は持ち込みもできないようなので、入苑はあきらめることに。
そして「平川濠」沿いに東に進み、「竹橋」を経由して「大手町」へと走りました。

5本の路線が乗り入れる「大手町駅」を通過するのも、今回でついに最後の1本。
そこで「大手町一丁目」にある有名なスポットを訪ねてみることにしました。
その場所とは「平将門の首塚」です。
実は「丸の内線」「千代田線」のときにそれぞれ訪ねようと思ったんですが、
いつものお散歩マップから場所を読み取れず、ちがうところを探してしまっていました。
それが「副都心線」の後半、「半蔵門線」の下見をしたときに偶然見つけることができたんです。


表紙の写真は、その探し回っていた「平将門の首塚」です。
「三井物産ビル」の裏手にあり、通り沿いには幟(のぼり)が立っているので比較的すぐわかります。
それがなぜ今まで見つけられなかったんだろう?
偶然にもこの通りの地下を「半蔵門線」が通っているので見つけられたんだとは思いますが、
「将門公」のお導きもあったのかも?
って、さすがにそれは恐れ多いことですね(汗)


平将門の首塚@Wiki


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こちらが「将門公」の墓。
きれいな花が供えられ、線香もたかれていました。
墓石の表面には法名である「蓮阿弥陀仏」の文字が刻まれています。


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墓のそばには「かえる」の置物が多く置かれていました。
これは「将門公」の首が京から飛んで帰ったことと、「かえる=帰る」とをかけたものなんだそう。
ほかに「フクロウ」や「仏像」もありましたが。


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「首塚」を後にして東へと進みます。
「東京駅」の幅広い高架下をくぐり抜けた先のゆるやかなカーブの左にあるのが「常盤橋門」の石垣跡。
「江戸城」の正門だったということもあり、非常に立派なものです。
ただし大地震の影響で崩壊の危険性があるため、周囲に柵が張られていました。

「常盤橋門は江戸城外郭の正門として奥州道に通じ、敵の侵入を防ぎ、味方の出撃を容易にする為、
 大きな切石で積み上げられた「コ」の字型の枡形門である。
 又、天正18年(1590)架橋といわれる旧常盤橋は、両国橋がかかるまで江戸一の大橋であった。
 現在の石橋は門跡の石等も使い、明治10年に改架したもので、洋式石橋の創始といわれている。
 この常盤橋の名称は、家光の時代
 「色かへぬ松によそへてあづま路の常盤の橋にかかる藤なみ」
 の歌に因みつけられたものといわれる。」



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これは門の再現想像図。
1つ前の石垣跡は、図中の橋を渡ったところにある小さな門の右側にあたるものと思われ。


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「常盤橋交差点」に向かって立つ実業家「渋沢栄一」の銅像。


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車道になっている現在の「常盤橋」から「旧常盤橋」を眺めます。
以前は人は渡ることができたようですが、こちらも地震の影響で通行禁止となっていました。


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「常盤橋」で「日本橋川」を渡りましたが、すぐ右に折れて「呉服橋」でもう1度わたります。
道もほぼ直角ですが、川も同じように曲がっているんですね。
で、その少し先にあるのが「パールホテル八重洲」の建物の根元にはりつくように建つ「日本橋西河岸地蔵寺」

「当寺に安置してある地蔵菩薩は、元正天皇(715~724)の御宇、諸国巡歴中の行基菩薩が、衆生結縁のために
 暫く遠州四方城(静岡県引佐郡ー 現、浜松市)に草庵を構えた折に、地蔵菩薩の霊告を受け、
 自ら丈二尺八寸の像を彫刻したものと伝えられている。
 この地蔵菩薩は、天海僧正の持仏で、至心に祈願すれば日ならずして御利益を授かるところから、「日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)」と呼ばれ、
 ことに延命祈願に霊験あらたかな事は古来より広く世に知られている。
 享保3年(1718)9月、勝縁の地として、ここ西河岸に遷座し、今日まで二百数十年を数える。
 建立の当時は「正徳院」と呼ばれ、天皇直々に拝謁し奏上のできる格式高い寺であった。
 その後、明治維新の廃仏毀釈と大正12年(1923)9月の関東大震災や太平洋戦争の戦災などによる多くの変遷を経て、今日に至っている。
 なお、現在の堂宇は昭和52年(1977)4月新たに建て替えられたものです。」

※案内板より引用


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境内に飾られていたちょっと珍しい円形の絵馬。
図柄はここに納められている「板絵着色 お千世の図額」が元になっているようです。

「大正4年(1915)3月、本郷座で泉鏡花原作「日本橋」初演のおり、当時21歳の無名であった新派の俳優、花柳章太郎は、
 お千世の役を熱望し、劇と縁の深い西河岸地蔵堂(昭和24年(1949)、日本橋西河岸地蔵寺教会となる)に祈願した。
 「日本橋」は檜物町(現、日本橋3丁目、八重洲1丁目)の花街を舞台とした、いわゆる日本橋芸者の物語で、お千世は登場する芸妓のひとりだった。
 章太郎は、この劇でお千世役に起用されて好演し、これが出世役となった。
 ここに所蔵される「お千世の図額」は、2度目のお千世役である昭和13年(1938)の明治座上演の際に、章太郎が奉納したものです。
 この絵を描いた小村雪岱は、「日本橋」の本の装丁や挿絵も担当した日本画家で、図額には章太郎と鏡花の句も添えられている。
 この「お千世の図額」は、地域にゆかりの深いものとして、中央区民有形文化財に登録されている。」

※案内板より引用


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再び「常盤橋」の東詰に戻ります。
「日銀貨幣博物館」の左側に伸びる道は「江戸桜通り」
その橋に立つ石碑に刻まれた文字は「十二代目市川團十郎 書」だそう。


日本銀行金融研究所貨幣博物館


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最後は「日本銀行本店」を西側から。
「東京駅」などで有名な「辰野金吾」の設計で、1896年(明治29年)の竣工。
空から眺めると、建物の形が「円」になっているというのも隠れた特徴です!?(笑)


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次回は、日本橋から人形町方面へと走ります。
by sampo_katze | 2011-05-01 20:20 | Brompton+地下鉄 | Comments(0)


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