あれから2ヶ月・・・
地下鉄に沿って走ろう!都営地下鉄大江戸線編・第5回


c0081462_033665.jpg
「3連アーチ橋」


「蔵前駅」の東側で「隅田川」を越えます。
川を越えると大きく右にカーブし、線路は「中央区」「勝どき駅」付近まで南に進路を取ります。
その少し先、「清澄通り」「蔵前橋通り」が交わる「石原一丁目交差点」の南西角に今回訪ねる「横網町公園」はあります。

この場所を初めて訪れたのは、まだ「Coolpix5000」を使っていた頃。
たまたま「隅田川」沿いをぶらぶらと散歩していたときに偶然見つけたものです。
公園の一角には「東京都復興記念館」があり、1923年(大正12年)9月1日に起きた「関東大震災」に関する資料などが収められています。


表紙の写真は、「厩橋」(うまやばし)です。
「浅草駅」近くにある「吾妻橋」(あづまばし)から数えて2つ下流に架かる橋で、
江戸時代には西側に「厩」があったことからこの名がつきました。
現在の橋は「関東大震災」後に架け替えられたもので、1929年(昭和4年)に竣工しています。

この下を「大江戸線」が通過しているんですが、実は「内回り」と「外回り」の線路はここだけ南北に分かれ
橋の真下から少し離れたところに線路が敷かれているんです。
この理由は諸説ありますが、はっきりしたものはわからないそう。



厩橋@Wiki


blogram ランキング参加中!よろしければクリックをお願いします。
blogram投票ボタン









c0081462_05249.jpg
これが「東京都復興記念館」の外観です。
レンガ造りのなかなか素敵な建物ですね。
1931年(昭和6年)に建造されたもので、戦災の被害はまぬがれたようです。


c0081462_054430.jpg
南側にある正面入口。
手前では一足早く「オオカンザクラ」が咲いていました(取材日は3月20日)。


c0081462_055890.jpg
西側には「関東大震災」の被害の大きさを物語る遺構が展示されています。
この理由については下記リンクを参照していただくとして。
「地震」の本当の恐ろしさは「地震」そのもの「だけ」でなく、それに伴う「二次災害」にあるのだと痛感しました。
ここで多くの方が犠牲となった火事も、地震発生から4時間ほど経過したところで発生したものでしたから・・・・・。


東京都 横網町公園HP
横網町公園@Wiki
関東大震災@Wiki


c0081462_062642.jpg
「百馬力電動機」(Burnt Electro-Motor)。
「大日本麦酒株式会社吾妻橋工場内で焼損した、100馬力の電動機」

モーターのコイルがあったとおもわれる部分は右半分は残ってますが、左は焼け落ちて跡形もなくなっています。
辛うじて残っている部分も、モーターといわれなければまったくわかりません。

ちなみに「大日本麦酒」は1906年(明治39年)に誕生した麦酒メーカー。
戦後の「財閥解体」により、現在の「アサヒビール」「サッポロビール」に分割されました。
「吾妻橋」には現在も「アサヒビール」の本社がありますね。
「隅田川」や「東京スカイツリー」とのコラボがもすっかり「浅草」の定番スポットとなっていますし。


c0081462_06398.jpg
「鉄筋コンクリート柱」(Wreckage of a Concrete Pillar)。
「東京の中でも悲惨を極めた地域のひとつであった、麹町区(こうじまちく、現在の千代田区)丸の内の内外ビル玄関脇の破損した柱である。」

コンクリートからむき出しになった鉄筋。
激しい揺れに耐えきれずに曲がってしまっています。


c0081462_065229.jpg
「鉄柱の熔塊」(Mass of Melted Iron Pillar)
「大日本麦酒株式会社吾妻橋工場内の鉄柱が、猛火により溶解し、かたまりとなってしまったものである。」

中央部分に「トカゲ」のような顔があるので、1種の「前衛アート」にも見えなくはないですが・・・・・。
工場の建屋を支えていた丈夫な鉄骨も、猛火によって飴細工のようにやわらかくなり
ついにはこのように変形しつぶれてしまったんでしょうね。
鉄骨と筋交いをつなぐリベット部分はしっかりとつながっているのに!


c0081462_07768.jpg
「自動車の焼骸」(Remains of a Burnt Car)
「自動車のボディが焼失し、シャシーだけが残ったもの。
 この自動車は車両番号第一号という古い歴史を持ち、銀座の明治屋商店で震災直前まで使用されていたという。」


むき出しとなったエンジン部分などが痛々しいです。
なお「車両番号第一号」についてはよくわかりません。


c0081462_072332.jpg
最後は公園の南寄りにある「東京都慰霊堂」です。
1930年(昭和5年)に「関東大震災」での身元不明の遺骨を納め、慰霊のために建てられました。
そして1948年(昭和23年)には「太平洋戦争」の空襲などでの遺骨も納めて合祀、1951年(同26年)に現在の姿になっています。


すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、両国から走ります。
by sampo_katze | 2011-05-19 23:30 | Brompton+地下鉄 | Comments(2)
Commented by 村石太ネオ フローム 愛知県 at 2011-12-09 21:54 x
関東大震災 怖いですね。
Commented by sampo_katze at 2011-12-12 20:44
村石太ネオさん
はじめまして!

関東大震災は過去のことですが、初めてこの場所を訪れたのは
これより8年くらい前でしょうか。
当時は「過去にこんなことがあったんだな~」程度にしか感じませんでした。

でも今年は東日本大震災がありましたからね。
大地震の怖さを改めて実感しました。


<< 相撲と江戸の町 1年かかりました(^^; >>