人気ブログランキング | 話題のタグを見る
繁華街から下町へ
地下鉄に沿って走ろう!東京メトロ有楽町線編・第6回


繁華街から下町へ_c0081462_8322069.jpg
「リトル高知ぜよ!」


今回から4月29日に走れなかった未走区間に入ります。
順調に行っていれば1日で走りきることができたと思うんですけどね~(^^;
「GPSレシーバー」は走り終わった後に必ず充電するようにしているので、バッテリー切れの心配はないんですが
カメラのバッテリーは複数あるので、充電済みと未充電を確認して持っていかないといけません。
今回は「未携帯」というそれ以前の問題でしたけどね(苦笑)
まぁゴールデンウィークということで、天気さえよければすぐに走りなおせるのでよかったです。


表紙の写真は、「銀座一丁目」にある「高知県」のアンテナショップ「まるごと高知」の入口です。
ご当地出身の有名人「坂本龍馬」の銅像と、「はりまやばし」のミニチュアが置かれていました。
サイズこそ小さいものの、「はりまやばし」はかなりリアルに再現されていますね(笑)
2階にはレストラン「TOSA DINNNG おきゃく」があり、高知の食材を使った料理が楽しめます。
このとなりには「沖縄県」「銀座わしたショップ」もあります。



blogram ランキング参加中!よろしければクリックをお願いします。
blogram投票ボタン









「有楽町」の次の「銀座一丁目」まではなんと駅間距離0.5km!
しかも地図を見ると「有楽町D9出口」と「銀座一丁目1番出口」は50mちょっとしか離れていません!
出口まで歩く距離を考えると、乗る車両によっては1つ手前の駅で降りて歩いた方が早そうですね(笑)



繁華街から下町へ_c0081462_833773.jpg
地下を「銀座線」が通る「中央通り」を渡ると右手に見えるのがこの「ヨネイビルディング」です。
走っていたらレトロな外観に惹かれて思わず急停止してしまいました(汗)

「ヨネイビルディングは、震災後、銀座に林立したオフィスビルの中で現存し、
 当時の趣を維持しているビルの一つであり、建てられた頃は銀座が大きく発展し、
 モボ・モガが街を闊歩していた。
 1階の外壁は、建築当時の状態をよく残しており、中世ロマネスク風の意匠で、
 らせん模様の柱をとつつけた大小のアーチ窓が石張りの重厚な壁面に軽快な印象を与えている。
 全体に調和生を重視した意匠で、突出したー直線の帯状の装飾により輪郭をきっちり枠どっている。」

※説明板より引用


繁華街から下町へ_c0081462_8331880.jpg
「新富町」の西側で三又の橋「三吉橋」を渡ります。
かつてここを流れていた「築地川」「楓川・築地川連絡運河」の丁字路に架かっていたもので
川は埋め立てられて「首都高速都心環状線」が通っています。

その橋を渡った先、「中央区役所」の前に赤いバスが2台並んで停まっていたのでちょっと寄り道。
このバスは中央区のコミュニティバスの「EDOバス」です。
ここを起点として「北循環」「南循環」の2系統をそれぞれ20分間隔で運行しているようです。

日立自動車交通グループ
※トップページ左のリンクにある「乗合バス」から詳細情報が見られます。


繁華街から下町へ_c0081462_8335293.jpg
「まり」のようにまん丸な猫のキャラクタがかわいい☆
残念ながら名前がないようですけどね。

「百円玉」を持ってることからわかるとおり、このバスは1回100円の「ワンコインバス」です。
1日乗車券はなんと300円と格安!



繁華街から下町へ_c0081462_834425.jpg
「佃大橋」を渡って「佃」「月島」エリアに入ります。
この日は「肉のたかさご」が開いていたので、弁当を購入。
「佃」の北の岬から「永代橋」「スカイツリー」を眺めながらお昼ご飯です。


繁華街から下町へ_c0081462_8341423.jpg
川に打たれた杭には「ユリカモメ」が並んでいました。
頭が白いのと黒っぽい色のがいますが、白いのが「冬毛」で黒っぽいのは「夏毛」なんだそう。
冬毛のほうは見慣れているしかわいいんですけど、「夏毛」はちょっと・・・・・ね(^^;


ユリカモメ@Yachoo!オンライン野鳥図鑑


繁華街から下町へ_c0081462_8342381.jpg
川沿いに反時計回りに進むと小さな「中央区立佃公園」があります。
この一角に江戸時代の「石川島灯台」を模したモニュメントがあります。
1989年(平成元年)に造られたようですね。


「石川島の灯台は1866年(慶応2年)、石川島人足寄場奉行清水純畸が、隅田河口や品川沖航行の船舶のため、
 油絞りの益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので六角二層の堂々たる灯台であった。
 この完成を最も喜んだのは近在漁師であった。
 このたび佃公園を整備するにあたり、モニュメントとして灯台を建設するとともに、護岸前面に
 安藤広重の浮世絵をレリーフしたものを3題設置して往時をしのぼうとするものである。」

※説明板より引用


繁華街から下町へ_c0081462_8343324.jpg
めずらしい陶製の扁額がある「住吉神社」


「住吉神社は江戸初期に、摂津国西成郡(大阪市)佃村の漁民が江戸に移住した後、
 正保三年(一六四六)に現在地に創建された佃島の鎮守です。
 当社は、創建以来、佃島の鎮護のみならず、水運関係の人人から厚い信仰を受けてにぎわいました。
 (中略)
 正面鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製で、白地に呉須で額字や雲文を染付けています。
 明治十五年(一八八二)六月に製作され、額字の筆者は有栖川宮幟仁(たかひと)親王です。」

※説明板より引用

「佃村」にあった「住吉神社」は、1868年(明治元年)に「田蓑神社」(たみのじんじゃ)と改名しています。
創建は869年(貞観11年)と歴史があります。
また、ここ「住吉神社」は「田蓑神社」の御祭神に加えて「徳川家康」(東照御親命・あずまてるみおやのみこと)が祀られています。


住吉神社
住吉神社(東京都中央区)@Wiki
田蓑神社@Wiki


繁華街から下町へ_c0081462_8344570.jpg
境内には巨大な「鰹塚」がありました。
木に隠れてあまり目立たないところなので見つけづらいかもしれませんが、結構大きいです。

「鰹節問屋は江戸時代から、住吉大神を生業繁栄の守護神として奉賛してきました。
 神社建築では、棟木の上に鰹節に似た円柱状の飾り木「堅魚木」(かつおぎ)が横に並んでいます。
 わが国最古の法典である「大宝律令」(七〇一年)、「養老律令」(七一〇年)に海産物調賦に、
 堅魚、煮堅魚、堅魚煎汁(かたうおいろり・煮詰めたエキス)の記録があるように、大和民族は古来より鰹を食し、
 保存食、調味料としても利用してきました。
 東京鰹節類卸商業協同組合は、鰹の御霊に感謝慰霊の意を込め、また豊漁を願い、
 昭和二十八年五月「鰹塚」をここに建立しました。
 塚石は鞍馬石(高さ七尺、幅四尺)、台石は伊予青石(高さ三尺)であります。」

※説明板より引用、一部略


繁華街から下町へ_c0081462_8345731.jpg
下町「佃」と近代高層マンション群との融合。
この地を象徴する風景の1つですね。
橋の下は舟だまりになっています。

左手に立つ「大栄マンション」と銭湯の「日の出湯」
以前来たときは、高層マンションのほうに気を取られていてこちらには気づかなかったな~(^^;
今回は「日の出湯」はまだ現役なのか?のチェックを忘れてました。


繁華街から下町へ_c0081462_835940.jpg
最後はレトロな外観の「月島第三小学校」
「晴海」の北にある「新月島公園」沿いを走っていたとき、気になったのでちょっと立ち寄ってみました。
遠目に見ていたときは別の角度でしたが、正面に回ってみるとドーム風の意匠などなかなか凝った造りになっていてオドロキ。
しかもこの校舎、現役で使われているんですよ。
残念ながら建物の詳細についてはわかりませんでしたが。


5枚目 D700+VR70-300mmF4.5-5.6G
7枚目 D700+Color Skopar 20mm F3.5
ほかはすべて D700+24-120mmF4G


次回は最終回、終点新木場からさらに足をのばして若洲へと走ります。
by sampo_katze | 2011-06-18 08:35 | Brompton+地下鉄 | Comments(0)


<< 新木場から若洲の臨海地帯へ 官庁街から繁華街へ >>