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千倉海岸を走る
房総フラワーラインポタ編・第2回


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「房総半島南部にも最東端」


「フラワーライン」を走る前に「道の駅ローズマリー公園」に立ち寄りました。
スタートの定番は「千倉駅」ですが、そこからだと「館山」方面とは逆に約5kmほど戻る必要があります。
ですが「内房線」を利用してアクセスするのであれば2つ先の駅なので、大して遠回りにはなりませんし、
「道の駅」から約2.4kmほど北東に戻ったところが「フラワーライン」の終着点ですからね。


表紙の写真は、「フラワーライン」の途中に掲出されている「北緯35度最東端」の標識です。
「ローズマリー公園入口」の交差点から「県道297号線」を600mほど走ったところにありました。
ちょっとめずらしいオレンジ色の標識が出てるな~と思ったんですけどね。



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表紙の看板が設置されている柱には説明用看板が。
こうして地図を見ると、ちょっと微妙な感じですね(^^;


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「町道千戈線」(ちとせせん)~「国道410号線」と経由して約5kmほど走り、「北朝夷交差点」を左に曲がって「県道251号線」へと入ります。
小さな川を渡った先に小さな公園があり、その手前に立つ1つの塔が立っていました。

「清国船元順号遭難救助の碑由来記
 清国(中華人民共和国)の商船元順号は幕府の許可した貿易船である南京を出帆して長崎に向けて航行中、台風にあい、
 帆も舵もなくして洋上を百五十日も漂流し乗組員は餓死寸前の状態にあった。
 安永九年(一七八〇)五月二日この碑の南東七百米地点、通称「川戸山」の暗礁に座礁した。
 地元の漁夫たちは、大暴風雨の中を徹して決死的な救助活動を続けた結果、沈敬謄船主以下七十八名全員を
 救助することができた。
 当時、忽戸村・平館村・南朝夷村は埼玉県岩槻藩主大岡兵庫頭の領地であったことから岩槻藩では漢学者の児玉南柯を
 千倉に派遣して一切の事務処理を代行させた。
 牧田村の名主神作戸右衛門の食客越克明も当時の模様を詳細に記録することに協力した。
 半病人の乗組員も二ヶ月に及ぶ地元民の国境を越えた手厚い看護で健康を取り戻し、幕府の命で全員無事長崎まで送還され
 便船でそれぞれ故郷に帰ることができた。
 これに動員された村人は、安馬谷村から白浜村に至る海岸二十一ヶ村延べ六千八百九人に及び、人夫賃を始め一切の経費は
 金銭によって藩主大岡様より支払われたと記録されている。
 岩槻地方研究会より始めてこの美談を知らされた。
 千倉町郷土史研究会は、互いに交流を深める中で我等の祖先の美挙を長く後世に伝えるとともに日中友好親善を願って
 記念碑を建立すべく町議会に請願し採択された。
 町長が建設委員長となり、知事県議を名誉顧問として町内外から浄財を募り、県費補助もあって遭難救助の年から数えて
 二百年目に当る一九八〇年五月二日にこの日は建立された。」

※説明板より引用


かつて「いすみ鉄道」沿いをポタリングしたとき、「大多喜」(おおたき)の町で同じような記念碑を見かけました。
海沿いの地域では、記録には残っていないけれど同じような歴史があるんでしょうね。
転じて「鬼」「天狗」の伝説になったりしたところもあるかも?

そのときの様子はこちら
2011年9月20日の記事 房州の小江戸めぐり


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公園から見える海岸は「南千倉海水浴場」のようです。
波打ち際で遊ぶ家族連れやサーファーがいました。
この日は5月20日で、まだ海のシーズンには早いので人は少ないですけどね。

公園にあった町の案内図にはいろいろな見所を記されていました。
めぐってみるのもなかなか楽しそうでしたが、まだ先が長いので今回はパスです。


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しばらくは海沿いを走りますが、途中から沿岸に並ぶ奇妙な岩々が見られました。
重なり合う地層が斜めに走り、岩の上部は風や波で洗われたからか丸みを帯びています。
削られて現れた模様もなんとも不思議な感じ。
これはその形から「屏風岩」(びょうぶいわ)と呼ばれています。


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裏側はこのように黒っぽい色をしています。
砂が堆積したような感じでしたね。


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柱のように細くなった部分が橋のように架かっている部分もありました。
かなり細くなっていますが、折れずに残っています。


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この日2件目の「道の駅ちくら潮風王国」に立ち寄ります。
右のドームのような建物は寿司と地魚料理のお店「旬膳 はな房」
メニューには海の幸の誘惑がいっぱい!
でもお昼には少し早いし、ここから7kmほど先の「野島崎」でと考えていたのでちら見だけで通り過ぎてしまいました(^^;

旬膳 はな房


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海側に展示されているここのシンボルの「第一千倉丸」です。
実物ではなく漁船をモチーフにしたモニュメントだそう。
陸に上がった白い船は目を引きますね。


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山側の一角にはこじんまりとした「しおかぜコロッケハウス」の小屋が。
のぼりには「ひじきコロッケ」「さざえコロッケ」の文字が踊ります。
その向こうには「生ビール」の誘惑が・・・・・(^^;
でも自転車なのでぐっと我慢!です。


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で、「さざえコロッケ」(250円)にしました。
本当は「コロッケバーガー」にしたかったんですが、この日は残念ながらなかったので単品です。
そして、雑誌などの紹介記事で必ずある断面写真もなしです。
なんでかというと手で割ると見た目が・・・・・ね~(^^;
一応試してみたんですけど、やっぱりきちんと切らないとおいしく見えません!(笑)

で、食べてみると・・・・・「じゃがいも」がめちゃくちゃおいしいー!
「さざえ」も小さめのぶつ切りでちゃんと入っているんですが、あまりに「じゃがいも」がおいしすぎて印象に残らない(^^;
パックのソースもあったのでかけてみたんですけど、これもなくてOK!
オススメです☆☆☆

意外とあっさりと食べられたので、これならもう1つの「ひじきコロッケ」(200円)も一緒に食べればよかったかな~。
実は2個も食べると走りに影響するんじゃないかなって思ったので控えたんです。
でもそんな考えは無駄だったかも?(笑)


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「ちくら潮風王国」を後にして、海沿いの道をさらに進みます。
すると次の目的地の「野島埼灯台」が見えてきました。
ここは「房総半島」の最南端にあたる場所です。
手前の岩は先ほどの「屏風岩」のようには傾いていませんが、地層が何層にも重なっている様子がわかります。
「太平洋」に向かって突き出した半島の先端という場所柄が影響しているんでしょうか。


すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は房総半島最南端、野島崎を訪ねます。
by sampo_katze | 2012-06-29 23:50 | with Brompton | Comments(0)


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