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東銀座の新名所からレインボーブリッジへ
東東京縦断ポタ+東京・東銀座の新名所めぐり編・第4回


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「New KABUKIZA」


「東京駅」から「大名小路」を通り南へと向かいます。
「東京国際フォーラム」「ビックカメラ」の西側を抜けて「有楽町駅」へ。
ガードをくぐった先で左折し「晴海通り」へ入ると、そこはもう「銀座」のエリア。
普段からにぎやかなところですが、連休中ということもあって人が多かったです。

そして駅から約700mにある「三原橋交差点」を越えると左手に見えるのが「歌舞伎座」です。
ここで「三原橋」という地名を聞いてピンと来る方もいらっしゃるでしょうか。
そう、今年3月31日を持って惜しまれつつ閉館となった名物(?)映画館「銀座シネパトス1, 2, 3」があるところです。
今回わたしもこの場所だけ「晴海通り」を外れて北側の入口前を通りましたが、中には入らず。
近くの「歌舞伎座」リニューアルも完成したことから、近々解体工事が始まるのではないかと思うので
見ておきたかったところですが。
この「三原橋地下街」については下記サイトが詳しいので、そちらをご覧ください。

地下鉄日比谷線の上に謎の映画館!? (1)三原橋地下街の謎@ハマちゃんのガラクタ箱


表紙の写真は、新しくなった「歌舞伎座」の正面です。
今年3月27日に「開場式」があり、4月2日から「歌舞伎座新開場?落興行」が行なわれています。
さらに連休中とあって、観劇や新しくなった「歌舞伎座」を一目見ようというお客さんでごった返していました。

歌舞伎座
歌舞伎座@Wiki



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「地下鉄ポタ」で立ち寄った改修前の写真。
これは2010年5月15日、「都営浅草線ポタ」で立ち寄ったときの様子です。
4月30日に閉場式が行われていて、その半月後のこの日は工事用のバリケードが設けられていましたが
建物はまだ手付かずでした。
こうして見ると、現在の外観はほぼこのときのままで再現されているのがわかります。


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そしてさらにちょうど1年後の2011年5月15日。
「日比谷線ポタ」で訪ねたときはご覧の通り、建物は解体され跡形もなくなっていました。
見通しがいいな~、なんて思っちゃいましたね。


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1度「昭和通り」に戻って次の「東銀座五丁目交差点」を左折、「築地場外市場」方面へと入ります。
ですが、かなり混雑しているのを見て「市場」へ入るのは断念。
手前の「市場橋交差点」を右折して「新大橋通り」を南へ道なりに進みます。
大きく右にカーブした先の左手、運河の向こうに広がるのが「浜離宮恩賜庭園」です。
石造りの「大手門橋」を渡ると入口があります。
ですがここも立ち寄らずに先へと進みます(^^;

「汐先橋交差点」でふと右を見ると、「海岸通り」沿いにそびえる奇妙な建物が。
これは「中銀カプセルタワービル」で、1972年に竣工した「マンション」です。

「カプセルとは「ホモ・モーベンス」のための住いである。   黒川紀章
 EXPO'70において建築学会に大きな波紋を投げかけたカプセル住宅。
 中銀では、21世紀の住宅形体はこれだ。
 その結論に達し経済工費を追及して、当カプセル住宅を商品化。
 世界でも初めてのカプセルマンシオンをここに実現しました。(昭和47年3月完成)
 プレハブ住宅の進歩に従がい現場生産中心の住宅形体も、昨今、工場生産部分が
 非常に多くなってきつつあります。
 中銀の当カプセル住宅は100%工場生産され、現場では取付(プラグイン)作業だけをするという画期的なものでした。
 これは、まさにカプセル住宅時代の幕明きといっても過言ではないでしょう。」


中銀カプセルタワービル@Wiki


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近くで見るとその奇妙さがよくわかります。
このように丸い窓のついたカプセルユニットが積み重なっているんですね。
これらは交換することが可能になっているそうなのですが、実際に交換されたことは1度もないそう。

よく見ると全体にネットがかけられていますね。
前に見たときはなかったんですが、もしかすると「東日本大震災」が影響しているかもしれません。


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その少し手前、「日本郵便銀座支店」のそばには「銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機」があります。
「汐留駅」から「築地市場」へと伸びていた「貨物線」の踏切跡です。
この写真でもわかるとおり、周囲が工事用バリケードで囲まれていました。
水道工事によるものでしたが、パッと見で踏切が隠れていて見えなかったので撤去されたのか!?とドキドキしました(^^;

「浜離宮前踏切 説明
  所在地 中央区銀座八丁目21番1号先
  この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、
  国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
  最盛期には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に
  引込線も撤去されることになりました。
  しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。

 保存理由
  元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架かっていました。
  汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、
  大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。
  大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、
  大きな働きをしたのです。
  都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、
  東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、
  地元各位の多大なご協力に依り、ここに永久保存されることになりました。」


汐留駅(国鉄)
東京市場駅
いずれも@Wiki


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「海岸通り」を南へと進みます。
「浜離宮」から先は「首都高速」の高架下が続く上、交通量が多いのでちょっと大変ですが(^^;
走ること1kmほど、「竹芝桟橋」へと通じる「芝商業高校前交差点」へ。
ここから西方向を眺めると道路の先に「東京タワー」「森タワー」が並んで見えます。
「東日本大震災」で曲がってしまった先端部分は、復原工事により元に戻ったようですね。


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さらに「海岸通り」を1.8kmほど南へ進むと左手に「港区立埠頭公園」があります。
「ゆりかもめ」「芝浦ふ頭駅」が最寄り。
ここには「南極探検記念碑」の碑が立っています。
説明を読むと、当時この公園付近はまだ海に面していたようですね。

「南極探検について
 我が国で初めての南極探検は、明治43年(1910年)白瀬矗(のぶ)隊長以下27名によるものです。
 まだ青く美しい海であったこの地芝浦を同年11月28日小帆船開南丸(204トン・野村直吉船長)にて出航し、
 70日あまりの後ニュージーランドのウェリントン港に入港しました。
 隊員の休息と燃料や水の補給をして明治44年(1911年)2月11日同港を南氷洋に向け出港し、悪天候と戦いながら
 3月14日南緯74度16分に到達しました。
 この時南極圏は氷結期に入っていたのでそれ以上の前進は不可能であり、
 5月1日オーストラリアのシドニー港に回航しました。
 南極の夏を待つため6か月あまりここに滞在して船の修理や食糧・防寒着などを整え、
 11月19日同港を出港し、明治45年(1912年)1月16日南極大陸のホエール(鯨)湾に上陸しました。
 白瀬隊長以下5名は2台の犬ぞりで氷野を前進して苦難の末1月28日南緯80度5分、西経156度37分の地点に到達し、
 日章旗を立て、ここを「大和雪原」と命名しました。
 又、留守隊は沿岸の前人未到の地域を探検しました。
 一行は天文気象等学術上多くの成果をあげ、6月20日全員元気に芝浦に帰港しました。
 この偉業を後世に伝えるため、25周年の出発記念日にあたる昭和11年(1936年)11月28日に
 この南極探検記念碑が建立されました。」



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記念碑の中央にあるレリーフ。
「開南丸」がモチーフになっています。


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「南極観測船しらせ」(初代)のスクリュープロペラも飾られていました。
また本体は気象情報会社「ウェザーニューズ」が所有しており、「千葉県」「船橋港」の一角に係留されています。
こちらは予約が必要ですが、内部を見学することもできるようです。
ただし、月2回程度とチャンスは少ないので予約もなかなか難しそうですね(^^;

しらせ(砕氷艦)@Wiki


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奥には「ペンギン」たちが並ぶ階段状の設備が。
たぶん噴水というか、水が流れるようになっているんだと思いますが。
ほかにも船の形をした遊具などがありました。


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公園からすぐ南にある「汐彩橋交差点」を左折し、道なりに進むと「レインボーブリッジ」の真下へと行けます。

「レインボーブリッジ」を渡るときはこちらに入っていきましょう。
なお「自転車」も渡ることができますが、乗っていくことはできません。
地上入口で手続きをし、小さな台車を車輪にかませて押していくことになるようです。
通路が狭くて押して歩くのは結構大変そうなので、手前にある「駐輪場」にとめておくといいかもしれません。
あるいは往路は押し歩きして、復路は「ゆりかもめ」で輪行という手もありかも。
最寄りの「芝浦ふ頭駅」から徒歩5分ほどですからね。

さらに奥の先端部には「港区立芝浦南ふ頭公園」があります。
ここも「レインボーブリッジ」や「お台場」、「晴海」方面などの眺めがいいですよ。
それについては次回に。


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橋脚部分にある「芝浦アンカレイジ」を見上げます。
う~ん、なかなかの高さ。


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橋の南側には古びた建物があります。
ガードレールと柵があるため、関係者以外は近づくことができません。
中段にある文字は「PORT DIRECTOR TOKYO」と読み取れますが、最上階のはかすれていて判読不可。
この建物は一体?
2010年7月放送の「テレビ東京系」のバラエティ番組「空から日本を見てみよう」によると・・・・・。

「こちらは社団法人水難共済会所有のビル。
 築71年で鉄筋コンクリート5階建て、延べ床面積約110.7坪。
 屋上の建物は戦時中、港に近づく船を監視していた。
 前年4月まで海藻の繁殖を研究する会社が入居していた。
 賃料月50万円(前入居者実績)、修繕費2000万円(入居者負担)。」

※いずれも放送当時のデータ

とのこと。
見た目はともかくとして、耐震性などの問題はなさそうな感じでしょうか。


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最後は「サンドイッチ」のような形をした「ヨコソーレインボータワー」
こちらも「空から~」によると・・・・・。

「1995年完成のテナントビル。
 「横浜倉庫」の本社が入っていることから命名。
 14階から上は賃貸マンションになっている。」


番組で流れた、窓から見える「レインボーブリッジ」や「お台場」の風景はなかなかでした(^^)
さすがにおいそれと借りられるわけではありませんけどね(苦笑)


2枚目 D40+DX18-55mmF3.5-5.6GⅡ
すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は最終回、レインボーブリッジの真下で船撮影です。
by sampo_katze | 2013-06-29 20:30 | with Brompton | Comments(0)


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