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東海道と中山道の追分
1コマ写真@草津出張・その4


東海道と中山道の追分_c0081462_2121313.jpg
「天井川の下のトンネル・旧中山道」


前回の踏切から南東に200mほど進むと左手に「草津宿本陣」が、
そこを左に曲がるとほどなく旧「草津川」の下をくぐる車歩道の「トンネル」があります。
この入口が「東海道」「中山道」の合流地点、「追分」(おいわけ)です。
といってもコンクリート補修がされているようで、パッと見にはそんな歴史的背景があるとは全然感じられませんが(^^;

ここをまっすぐ進み「トンネル」を抜けた先は「中山道」、川に沿うように右に進むと「東海道」と分岐しています。
つまり、これは合流点側から分岐点側を眺めているわけです。

では近くを走る「東海道本線」はどちらへ?というと「中山道」の方に進んでいきます。
「草津駅」で分岐する「草津線」「関西本線」の方が「東海道」により近いんですね。
「中山道」ルートになったのは「関ヶ原」付近さえ越えてしまえば、あとは「琵琶湖」南側となって比較的平坦だから。
「関ヶ原」から「彦根」まで走ったことがありますが、このエリアはなんとか走れました。
でも南の「東海道」沿いを走るとなると、かなりキビしそうですね(^^;

ちなみに開通したのはこちらが1886年で、線路のほうは1889年。
その後は改修されているようで、当時の姿を見ることはできません。
線路のうち1経路は遠目には残っているようですけどね。


「草津市指定文化財(有形民俗文化財)
 石造道標「右 東海道いせみち 左 中仙道美のぢ」一基  江戸時代 昭和48年10月15日指定

 この道標は、東海道と中山道が分岐合流する草津宿の要所に文化13年(1816)3月に建てられた火袋付の道標で、
 現在の高さは392.2センチを測り、江戸時代に東海道や中山道を行き交う多くの旅人の道しるべとなっていました。
 道標竿部南面に「右 東海道いせみち」、西面に「左 中仙道美のぢ」と東海道、中山道の行先が刻まれています。
 また、基礎部北面、南面、西面に京都、大阪、尾張、岐阜などの飛脚問屋、宰領中や江戸、播州、備前の日雇方などの
 道標寄進者の名前が見られます。
 なお、草津4丁目の立木神社境内には延宝8年(1680)に、この草津追分に建てられた県内最古の道標があるほか、
 草津宿および草津宿周辺には多くの道標が残っています。」


「草津川ずい道(トンネル)の由来
 草津川トンネルは草津川が天井川であったことから出水に悩みまた通行にも不便をきたしていたことから、
 従来の堤防を登り川越のルートから草津川にずい道を掘って、人馬・通行の便を図ろうと計画し、
 ときの大路村戸長長谷庄五郎は明治17年(1884)8月24日付で中山道筋草津川ずい道開削新築事業起工の儀願書を
 県令(知事)中井弘あてに提出した。
 これが容れられて明治18年12月4日総工事費7368円14銭9厘を以て着工された。
 翌明治19年3月20日の突貫工事で完成した。
 構造はアーチ式煉瓦両側石積みで長さ43.6米 幅4.5米のずい道が造られた。
 同年3月22日より旅人通行の事、車は3月25日より、馬車荷車は4月5日より従来左方斜めに堤防をのぼって川を渡り
 大路井村川で右方へ下った。
 中仙道の川越は廃止され、車馬の通行はきわめて容易になった。」

※いずれも説明文より引用


草津宿
追分@Wiki

「関ヶ原」から「彦根」までのルートはこちら
旧街道・せんろみちをたずねて垂井から彦根へ@ルートラボ


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by sampo_katze | 2013-12-26 21:10 | 関西


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