仙台城跡と牛タン
年末温泉旅行2013 in 遠刈田温泉編・最終回


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「杜の都の玄関口」


明けて2日目の12月30日(月)。
この日は「高速バス」を利用して「仙台駅」へ移動します。
最寄り駅はほかに「白石蔵王駅」があるんですが、諸事情を考えるとこちらの方が便利なので。
で、「遠刈田温泉湯の町」を09:20に出るバスを利用します。
この1本後となると10:47発と間が空きすぎますので、これがちょうどいいんですね。
所要時間は1時間10分弱で、「仙台駅」到着は10:27。
帰りの列車は15:21発なのでそれまで市内を散策することに。

ただそれほど時間があるわけではないので、あまり遠くに行けません。
ということで近場の「仙台城跡」を訪ねることにしました。
上り方面なので、乗り遅れてもなんとかなるとは思いましたが(^^;


表紙の写真は、城跡のある「仙台駅」西口の様子です。
駅前の1階部分は広大なロータリーになっていて、「タクシープール」「バス乗り場」があります。
そして2階部分に広がるのは日本一の規模ともいわれる「ペデストリアンデッキ」
確かに大きいとは思いましたが、それほどとは。
しかもそれが「東北新幹線」開業より7年も前の1977年(昭和53年)完成というのですから、さらに驚き!
でも、そのおかげでたくさんの「バス」「タクシー」をさばけるんですね。

仙台駅@Wiki


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「仙台駅」からは「タクシー」で「仙台城跡」へ。
先の「東日本大震災」の影響で、北側から直行するルートが閉鎖になっているようです。
なので「青葉山」の西側を通る迂回ルートを通ったため、結構時間がかかりました。
歩行者は通れるようなので、お膝元にある「仙台市博物館」前から歩いて行くのもいいかもしれません。
やや急な坂道を上がっていく必要がありますが・・・・・。

「仙台城の歴史
 仙台城は初め千体城、後に千代城と称し、鎌倉時代の末から室町時代の中頃にかけて島津氏が陸奥守として居城したといい、
 室町時代の末頃には国分荘の国人国分氏が一時居城したともいい伝えられているが明らかでない。
 豊臣氏の頃、後の仙台藩伊達政宗公は天正19年(西暦1591年)以来58万石を領して玉造郡岩出山城に在ったが、
 慶長5年(西暦1600年)関ヶ原の戦いに徳川家康を助け、石田三成と呼応した会津の上杉景勝を牽制し
 家康をして二正面同時作戦の不利を回避させた功により新たに刈田郡を増加、
 仙台60万石(後ち近江、常陸で2万石増加)に封ぜられた。
 この時政宗公34才、大いに工を起して仙台城を築城、同時に戸数1万8百 人口5万2千の城下町を開いた。
 二代忠宗に至って二ノ丸、三ノ丸を造営し、62万石の雄藩にふさわしい城郭を完成した。
 かくして仙台城は藩祖以来伊達氏、13代270年にわたり1度も戦火を被らなかった平和な城として
 郭内の殿舎、楼櫓を完全に保存して明治時代に至ったが、心無き俗吏によって破却せられ、あるいは火を失し、
 戦災に罹りなどして全滅に帰した。
 尚本丸の地は仙台七崎の一つ青葉ヶ崎で仙台城の俗称を青葉城とよぶのはこのためである。」

※説明文より引用、以下同じ


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「タクシー」を使ったので労せず「本丸跡」へ到着。
そしてここ、いや「仙台」のシンボルの1つとなっている「伊達政宗公」の銅像の前へ出ます。
市内を見渡すような感じで立っているんですね。

そういえばここに来たのはこれが2回目のはずなんですが、よく覚えてないな~。
「霊廟」のある「瑞鳳殿」(ずいほうでん)の豪華絢爛な建物とカメラを落とした印象が強かったからかも?(^^;
当時は「Coolpix5000」を使っていて幸い壊れはしませんでしたが、直後に撮影した画像の色が変に!
それでかなり焦った記憶があるんですよね。

「仙台城本丸跡
 仙台城の本丸は海抜115~140mの丘陵性台地に立地し、東西約243m南北約265mの広さがあって、
 他の城郭の本丸と比較すればかなり大きい方である。
 東と南は断崖、西は御裏林(おうらばやし)と呼ばれる深い原生林で守られ、すぐれた防御性をもっていた。
 慶長6年(1601)の工事着手から大広間の完成する慶長15年(1610)まで約10年でほぼ全容が整い、天守閣はつくられなかったが
 大広間を含む広大な御殿、5ヶ所の櫓、大手門に匹敵する規模を有する詰の門などのほか、
 御懸造り(おかけづくり)と呼ばれる崖に突き出た数寄屋風書院、能舞台など優れた建築群が偉容を誇っていた。
 しかし二代藩主忠宗による二ノ丸造営後は次第に実用性を失い、明治維新後まもなくすべての建物が取り払われた。」


伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿


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像を正面から。
何しろ今年は「午年」ですから「馬」の方を主役にしてみました(こじつけ)

それにしても「太平洋戦争」の金属徴用で、戦後は一時的に「セメント製」になっていたことがあるとは。
真っ白な姿はそれはそれで美しかったんでしょうね。

「仙台藩祖伊達政宗卿騎馬の銅像が森の都仙台の青葉山につくられたのは昭和10年のことである。
 ときの宮城県青年団が郷土の彫刻家小室達氏に託して制作した。
 19年1月太平洋戦争による金属徴用でその姿を消したが、28年10月新たに卿の平服姿をかたどった
 白色セメント立像を小野田セメント株式会社が制作して市に贈った。
 たまたま騎馬像の原型が柴田町に保存されていることがわかり、銅像再建を望む声が高まったので、
 37年10月本協会法人改組の記念事業として復元を企てたところ、幸いに宮城県 仙台市 柴田町の支援と
 県内外の熱心な協賛を得て事業もはかどり、ここに卿の雄姿を復興することができた。
 経済の開発と文化の発展にたつくし英雄の風格は郷土繁栄の象徴として、その遺徳とともに永遠にたたえられるであろう。」

※小室達=こむろとおる


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全体はこんな感じ。
高い土台の上にご存知騎馬姿の「政宗公」、土台の正面には2枚のレリーフが埋め込まれています。
左は「元服」したとき、右は正装の「束帯」(そくたい)であることから晩年の姿か?
説明がないので推測にすぎないのですが(^^;
また、その前には1対の「狛犬」がにらみを利かせています。


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向かって右側のレリーフ。
船と外国人と思しき人物が描かれています。
これは1613年(慶長18年)の「慶長遣欧使節」のようです。

伊達政宗@Wiki


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「政宗公」が見つめているのは東の方向。
駅よりやや南寄りの方向で、海が意外と近くに感じます。
手前の森の中に見える古風な建物群は「旅館 天龍閣」です。
実はこれを撮ったときには、気づかなかったもの(^^;
海の方ばかりに気を取られていたんですね。

ラドン温泉旅館 天龍閣


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同行の「SaKa」が北に見える大きな仏像らしきものを発見しました。
でも手持ちの120mmではこれが限界・・・・・。

後で調べてみると、「大観密寺」に立つ「仙台大観音」と判明。
手前の丘陵部分に隠れて上半分しか見えてなかったようです。
詳しいことは紙面の都合で(?)省略。


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帰り際に見た「政宗公」の後姿。
こうして見ると、この場所がいかに高いところにあるのかがわかるかと。
標高にしてどれくらいなんでしょうかね?


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南側にある「本丸会館」に立ち寄ってから駅へと戻ります。
はじめはタクシー利用と考えたんですが、北側にある道を歩いていくことに変更。
階段を下りていくと、右手に高くそびえる「石垣」がせまってきました。

「仙台城の城壁(石垣)
 本丸北側にあたるこの付近の石垣は仙台城内でも最大のもので、すぐれた防御性と美しい曲線を特徴とする
 高度な技法(切込はぎと呼ばれる)で築かれている。
 仙台城跡では下の写真のように切込はぎ以前の古い技法を用いた石垣も随所にみられる。
 石材は城に近い北西部一帯(国見峠付近など)から切り出されたとみられる三滝安山岩(みたきあんざんがん)で、
 石工頭(いしくがしら)の屋号と推定される#、+、〇、△などの刻印が本丸の石垣にのみ残っている。」


青葉城 本丸会館


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巨大な「石垣」を横目に見つつ、「仙台市博物館」の裏手へと下る道を進みます。
先に書いた通り車は現在通行止めですが、歩いてなら行けますので。
ヘアピンカーブ、右直角コーナーと過ぎた先に右へ伸びる細い道があったのでそちらへ。
かなりの急斜面の上、ぬれた落ち葉があったりするので少し慎重に進みます。
冷え込んだ日なんかは路面が凍っていてとても歩けないでしょうね(^^;


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「本丸跡」から約600m歩くと「仙台市博物館」に出ます。
この日(12月30日)は月曜日の上に年末なので閉館でしたが(当たり前?)


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その一角にあったのが「政宗公」の胸像。
戦時中の金属徴用で溶かされてしまったと思われていたのが、なんと残っていたんだそう。

「伊達政宗像
 この像は現在青葉城跡にある政宗公騎馬像の最初のものであって、第二次世界大戦中軍に徴用されたものの
 騎馬部分のみ溶解され、この部分は終戦後塩釜市内に打棄てられてあった。
 幸い郷土史家故石川謙吾氏がこれを発見し、私費を投じて購い青葉神社に奉納したものを
 石川氏のご意思により神社側の了解のもとに本館に移したものである。」




道をはさんで「博物館」の向かいには「博物館・国際センター前」バス停があります。
初めはここから駅に向かうバスを待つつもりでしたが、いろいろあって結局歩いてしまいました(^^;
2kmほどなので、意外と大した距離ではないんですね。


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で、昼ご飯は当然「牛タン」
ということで駅の3階にある「牛タン通り・すし通り」へ。
「新幹線中央改札口」を出てすぐ右というわかりやすい場所だけにかなりの混雑!
ただ列車の時間まではまだ余裕があるので、行列に並ぶことにしました。
選んだのは「牛タン炭焼き 利久」
バラエティに富んだメニューが人気なのか、パッと見ではもっとも待ち時間が長そうでした(^^;

牛タン専門店情報サイト 牛タウン
牛タン炭焼き 利久
牛タン炭焼き 利久 仙台駅店@ぐるなび


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13時過ぎに並び始めて約50分!
ようやく席に通されてオーダーです。
年末だから余計に長かったんでしょうね。

で、選んだのは・・・・・。
「SaKa」が定番の「牛タン焼定食」「TETSU」「牛タン焼きとハーフシチュー定食」
「RunnerK」「牛たんちょっとぜいたくなシチュー定食」、わたしは「牛たん【極】(きわみ)定食」
全員別メニューになりました(笑)

定食は「麦飯」「テールスープ」つき。
また「シチュー」には左の「ミニサラダ」が、「牛タン焼き」は右の「とろろ」がついてきます。
店先のメニューを見ると「ぜいたくな~」には「サラダ」はついていなかったんですけどね(^^;


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こちらは「牛たんちょっとぜいたくなシチュー定食」。
ごろっとした厚みのある「牛タン」がおいしそう☆


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そして「極」はノーマルの倍はあろうかという厚みにオドロキ!
でも思ったよりも柔らかく、中心のややレアな感じがおいしい☆
単品もあるので、これをつまみに1杯なんてのもよさそうですね(^^)

ちなみに「ハーフセット」はほかに「カレー」があり。
1度に2種類が味わえるのでおトクかも。
機会があればほかのメニューも試してみたいところです。


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1つ下の2階のコンコースでは「年末物産市」が開かれていました。
中央には昨年日本一に輝いた「楽天ゴールデンイーグルス」の巨大凧が。
「田中将大」投手が移籍で不在となる今季はどうなるんでしょうね。


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帰りの列車は「仙台駅」15:21発の「やまびこ60号」を利用。
この5分後発の「はやて36号」「東京駅」到着は早いんですが、「E5系」ですしこちらのほうが空いていたので。
しかも後ろには今年3月をもって全車引退となる「E3系こまち」が!
この組み合わせが見られるのもあとわずかですね。

そして終点「東京駅」には定刻の17:24に到着。
改札を出たところで解散としました。
参加していただいた皆様、おつかれさまでした&ありがとうございました(^^)


1、14~19枚目 V2+1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6
2~13枚目 D700+24-120mmF4G/VR


次回は番外編、年明けに行ったラーメンツアー(?)です。
by sampo_katze | 2014-01-10 21:00 | 東北 | Comments(2)
Commented at 2014-01-11 08:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sampo_katze at 2014-01-12 20:20
鍵コメさん、こんばんは☆

たしかに往復バスを絡めた旅というのは初めてですね。
そしてそれは某TV(ry

今年の寒波は例年より強そうです。
体調にはより一層気をつけなくてはなりませんね!


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