御料車と2丁目の建物群
犬山訪問Ⅲ~博物館明治村編・第4回


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「鉄道工場建築の元祖」


今回で最初の「1丁目」ゾーンは終了し、「2丁目」ゾーンへと入ります。
ここまでかなりのスローペースで進んでいますが、何しろ敷地自体が広大ですからね。
また建物の数の多さもさることながら、アップダウンが多くて移動距離も長くなるので必然的に進みがおそくなります。
園内を循環するバスなどもあるんですが、今回は利用していません。
今考えれば、入園後にバスを使って奥の方に進んでおいて順番に戻ってくるようなコースをとればよかったかな?と。
それはさておき、1丁目で見学した最後の建物の紹介からまいりましょう。


表紙の写真は、「新橋駅」構内にあった「鉄道局新橋工場」です。
説明によると「木工場」あるので、車両に使われていた木製の部品などを制作していたんでしょうか。
どうも肝心なところがはっきりしませんね(^^;

当時の「新橋駅」は現在の場所とは異なり、「ゆりかもめ」「汐留駅」に近いところにありました。
2003年にはその場所に「旧新橋停車場」が再現されています。
もちろんそれ以外は再開発がなされているため、鉄道があったという雰囲気はまったく感じられません。

「鉄道局新橋工場
 旧所在地 東京都品川区広町
 建設年 明治22年  解体年 昭和41年  移築年 昭和41年
 建築面積 140.4坪  構造 鉄道平屋建鋼板葺  寄贈者 日本国有鉄道

 鉄道局新橋工場は東京新橋駅構内に鉄道の木工場として建てられた。
 この建物は、構造技術の面では鉄道寮新橋工場にならって建てられたものであるが、
 鋳鉄柱に「東京鉄道局鋳造」の銘があり、国産鉄道建築業の初期例といえる。
 大正8年(1919)に大井工場に移築され第二旋盤職場として昭和41年まで使用された。」



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工場内に入って右手すぐのところには「明治神社」があります。
これは「明治神宮」にある「社殿」を縮小再現したものとのこと。
周囲は柵で囲まれ、「社殿」の正面には「大鳥居」もあります。
なお実物には3つの「菊の御紋」がついていますが、こちらにはつけられていません。

「明治神社について
 この明治神社は、東京代々木にあります明治神宮ご社殿の、厳密に10分の1に作られた縮小社殿です。
 明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社で、大正9年(1920年)創建されました。
 その折に造営された社殿は、当時の建築歴史界の重鎮、伊藤忠太博士の設計になる建物でした。
 第二次大戦で焼失、その後、神社建築の第一人者であった角南隆氏を中心に、新しい社殿が建てられました。
 平安時代以来の伝統的な「流れ造」を元に、軸組木部の細部意匠に新しい形を施した建物です。
 二十世紀初頭にヨーロッパで興った近代建築革命の、日本的な解釈の一例と言えます。」



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「社殿」のアップ。
かなり精巧に作られているのがわかります。
「御神酒」「榊」(さかき)が備えられていることから、単なる縮小模型ではなく
れっきとした(?)「神社」として扱われているような感じですね。


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この工場内には2両の「御料車」(ごりょうしゃ)が展示されています。
「御料車」とは「天皇」「皇族」の方がご利用になる車両のこと。

向かって右にあるのが「5号御料車」で、「昭憲皇太后」の御乗用として製造されました。
また左の「6号御料車」は「明治天皇」の御乗用として制作され、「大正天皇」もご利用になりました。
先の「明治神社」はこの車両にちなむもののようですね。
どちらも内部には入ることはできませんが、窓から内部の様子を見ることができるようになっています。

「昭憲皇太后御料車  5号御料車  鉄道記念物
 明治35年(1902)  新橋工場製
 御料車とは天皇・皇后・皇太子・皇太后のための特別車輌です。
 5号は初の皇后用車輌として製作されたもので、車内は順に大膳(だいぜん)室・女官(にょかん)室・御座(ござ)所・
 御寝室・化粧室兼御閑所(ごかんじょ)・供奉員(ぐぶいん)室となっています。
 室内の天井には、当時を代表する画家、橋本雅邦の「桜花紅葉」、川端玉章の「帰雁来燕」(きがんらいえん)が
 描かれているなど芸術品としての価値も高い車輌です。
 また、ここに敷かれているのは鉄道開業当初にイギリスから輸入して使われたものと同じ
 「双頭(そうとう)レール」と呼ばれるレールです。
  昭和34年10月14日  鉄道記念物指定  東海旅客鉄道株式会社所有」


「明治天皇御料車  6号御料車  鉄道記念物
 明治43年(1910)  新橋工場製
 6号は明治天皇用の御料車として製作された車輌で、明治天皇の崩御後も、大正・昭和初期まで使用されたものです。
 車内は順に大膳(だいぜん)室・侍従(じじゅう)室・天皇御座(ござ)所・侍従室・御寝室・お手洗室となっています。
 室内は明治の工芸の粋を集めたもので、蒔絵(まきえ)・螺鈿(らでん)・七宝(しっぽう)・彫金(ちょうきん)
 ・刺繍(ししゅう)・木象嵌(もくぞうがん)などを駆使した内装は、歴代御料車の中で最も優雅な車輌と称されるほどです。
 また、この6号は御料車として初めて3軸ボギー台車が使用され、それまでの2軸ボギー台車のものに比べ
 乗り心地の点でも改良されたものになっています。
  昭和34年10月14日  鉄道記念物指定  東海旅客鉄道株式会社所有」



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「6号御料車」の窓の上部にある装飾。
「桐」「鳳凰」のレリーフが取りつけられています。


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車両中央にある「天皇御座所」(てんのうござしょ)。
これはその部屋の中央に置かれている大きなソファーです。
「菊の御紋」が入ったカバーがかけられていますね。


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車両の下に敷かれているレールは「双頭レール」と呼ばれる旧式のものです。
レールには1875年の陽刻(ようこく、浮き彫りのこと)があることから、鉄道開業3年目に造られたもの。
ここの「御料車」が走っていたころには使われていたんでしょうかね?

「鉄道開通当時の双頭レール
 世界的に鉄道のレールが平底Ⅰ形に落ちつくまで、双頭レールが用いられた。
 わが国でも開通当初はイギリス製の双頭レールであって、上下にひっくり返して使用できることを特色とした。
 展示したレールのうちに明治8年の次の陽刻がある。

 DARLINGTON IRON CO. LIMTD. (18)75 I.R.J.」



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レールの形が独特のため、「枕木」への固定もやや複雑な形状をした金具を使用しています。
上下をひっくり返して再利用できるとはいっても、その付け替えにはとても手間がかかりそうですね。


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続いて「2丁目」へ。
これはメインストリートの「レンガ通り」を西側の坂上から眺めたところ。
その奥には「3丁目」の建物も見えます。


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通りの中央にある「東松家住宅」(とうまつけ)。
木造3階建て「重要文化財」に指定されています。
商家であるためか、通りに面する側はスパッとカットされたような平面になっていますね。
また1階部分には「うだつ」がありますが、2階より上にはありません。
これはのちに増築がなされたためでしょう。

「東松家住宅
 旧所在地 名古屋市中村区船入町
 建設年 明治34年  解体年 昭和37年  移築年 昭和40年
 建築面積 49.0坪  構造 木造三階建  寄贈者 東松枩三(とうまつ まつぞう)

 東松家住宅は名古屋の中心部堀川沿いにあった商家である。東松家は明治20年代後半までは油屋を生業とし、
 その後昭和の初めまで堀川貯蓄銀行を営んでいた。
 塗屋造という江戸時代以来の伝統工法で建てられているこの建物は、創建以来、再三の増改築を経ており、
 明治34年(1901)に3階以上に増築したようである。
 2階には露地にみたてた廊下、待合、原叟床(げんそうどこ)風の床框(とこがまち)や墨蹟(ぼくせき)窓などを備えた
 茶室が設けられている。又、正面の壁が三階まで直立している姿は古来の日本建築にはなかったもので、
 ビル化する商店建築の先駆けと言えるものである。」



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1階は見学ができるということで入ってみます。
木の梁に古い箪笥に分厚い「大福帳」
なんだか時代劇に出てきそうな雰囲気です。


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「通り土間」に入って見上げると、少し奥は吹き抜けになっています。
左上に煙突が見えますが、これは1階に台所があるため。


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おとなりの「京都中井酒造」
中は「京甘味処 なか井茶寮」になっています。
甘味だけでなく「日本酒」も味わえるようです(^^;

「京都中井酒造
 旧所在地 京都市中京区御幸町(ごこまち)通二条
 建設年 明治3年  解体年 昭和46年  移築年 平成5年
 建築面積 47.0坪  構造 木造二階建  寄贈者 中井昭治

 京都中井酒造は京都御所近くにあった造り酒屋で、開業当時からの建物が元治元年(1864)の禁門の変による戦火で焼かれ、
 その後に再建されたものがこの建物である。
 狭い間口に比べて奥に長い建築は町屋と呼ばれる商店建築で、通り土間の片側が座敷など住まいの部分、
 他方が吹き抜けの作業場で、酒造り全工程の内、米の貯蔵、洗米、米蒸し、地下室での麹作りまでが行われた。
 また、軒が低く、緩くカーブしている屋根は京都伝統の姿で、起り(むくり)屋根とよばれている。」



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軒下には「杉玉」が下がり、瓦の上には魔除けの神様の「鍾馗さん」が置かれています。

「杉玉
 杉玉は、酒林(さかばやし)ともよばれ、杉の葉を束ねて玉状にまとめたものです。
 造り酒屋や酒を扱う店の軒先に新酒ができたしるしとして吊るされます。

 鍾馗さん
 「鍾馗さん」は、中国の逸話がもとになり魔除け、厄除けの神様とされています。
 京都では、魔除けとして玄関上の庇(ひさし)に飾られることがあります。」



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「レンガ通り」の東側端には「食道楽のカレーぱん」を売っている小屋があります。
時刻は11:30でそろそろお腹が減ってくるころ。
でも昼ご飯を食べようと思っている場所はここからまだ遠いので、ここで小腹を満たしてつなぐことにしました。

「明治村特製 食道楽のカレーぱん
 「食道楽」は、愛知県・豊橋市出身の村井弦斎(げんさい)が、明治30年代半ばに発表した小説で、
 主人公の恋愛を軸に当時まだ珍しかった西洋料理の数々と、その調理方法まで詳しく紹介したものです。
 「食道楽のカレーぱん」は、この本で紹介されたレシピで再現したカレーを使ったカレーぱんです。」



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「カレーぱん」は単品で260円、ドリンクとのセットは480円。
袋の表には「東京高輪海岸蒸気車鉄道図」が描かれています。
ほかに「北海道ザンギ風鶏からあげ」(500円)もありますよ。

「『東京高輪海岸蒸気車鉄道図』(明治村所蔵)
 この錦絵は、三代歌川廣重(1842-1894)によって明治4(1871)年に描かれました。
 文明開化の象徴である「馬車」や「蒸気車(SL)」が街を行き交い、洋服を着ている人も見られます。
 これらの西洋文化が詳細に描かれている一方で、人力車など日本独自の文化も一緒に表現されています。
 この様な明治の開国をきっかけに次々と出現する新しい文化を描き、現在の新聞などマスコミの役割を担った錦絵を
 「開化絵」と言います。
 三代廣重はこの「開化絵」を多く残した絵師でした。「和」と「洋」の文化が混ざり合い、生活の中に溶け込んでいく
 過渡期の様子がよくわかる貴重な資料と言えましょう。」



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「鶏肉と砕いた南京豆(ピーナッツ)を使っているカレーぱん。」はこんな感じ。
ほんとは割って中をお見せしたいところなんですが(^^;


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最後は「レンガ通り」を下から見上げて。
女性のパネルがあるのは「安田銀行会津支店」で、中は「明治体験処 ハイカラ衣装館」になっています。
5分間と短い時間ですが、当時の衣装を着て記念撮影などを楽しむことができますよ。


すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、電話交換局を見学します。
by sampo_katze | 2016-02-08 21:00 | 東海・中部 | Comments(0)


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