札幌の石造り電話交換局
犬山訪問Ⅲ~博物館明治村編・第5回


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「高価な機材を守るために建てられた」


今回で「明治村2丁目」の建物紹介は終わり。
「1丁目」と比べるとペースが速いですがそれもそのはず。
このエリア内の建物数が少ないからなんです。
おまけにこの先のことを考えて、半分くらい端折っていますからね(^^;
それでもすでに時刻はお昼近くなので、もうどうにも・・・・・。


表紙の写真は、「2丁目」の「レンガ通り」の東端に立つ「札幌電話交換局」です。
明治31年に建てられた石造りの建物で、明治43年に増築され「札幌郵便局」となりました。
こちらに移築されることが決定した最初の建物で、増築される前の姿が復元されています。

「札幌電話交換局
 旧所在地 札幌市大通り西
 建設年 明治31年  解体年 昭和37年  移築年 昭和40年
 建築面積 39.9坪  構造 石造二階建  寄贈者 藤井直行

 明治23年(1890)に東京-横浜間で始まった電話交換業務が北海道で行われるようになったのは、
 同33年(1900)のことであった。
 これにあわせて、高価な交換機を火災から守るために札幌近郊の石材を用いて建てられた。
 1階と2階の窓を違った形式でつくり、2階の窓下に花紋を連続させた同蛇腹を通す手法は、
 ルネッサンス以降の西欧でよく見られるものである。
 明治36年(1903)の官制改正により、電話交換局は郵便電信局に併合され、規模の拡大に伴って
 明治43年(1910)に増築され、その後は札幌中央郵便局として使用された。」

※説明板より引用、以下同じ


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かなり長いですが、この「札幌電話交換局」の誕生からこちらに移築されるまでの経緯について。
ここまで細かく引用しなくてもいいんじゃない?なんて思われるかもしれませんね。
でもこちらへの移築が決定した建物第1号だったそうなので(^^;

「札幌電話交換局ってどんな建物?
 1.札幌電話交換局完成!
  東京-横浜間の電話開通から10年後の明治33(1900)年、ついに北海道でも電話が開通します。
  これに先立ち、明治31(1898)年に近くの石山から切り出された札幌軟石(さっぽろなんせき)による
  石造りの札幌電話交換局が建てられました。場所は現在の「さっぽろテレビ塔」付近の大通西2丁目で、
  札幌の街の中心地に位置していました。
 2.なぜ石造りなんだろう?
  北海道は本州に比べて空気が乾燥しており、一年を通して風が強く、当時は草原が広がっていたため火災の多い地域でした。
  札幌も明治2(1869)年から大正15(1926)年の間に100戸以上が焼失するほどの大きな火災が何度も起きています。
  札幌電話交換局が石造りなのは、何度も起きる火災から高価な機械などを守るためだったのです。
 3.「札幌郵便局」になる!?
  明治36(1903)年札幌電話交換局は、明治21(1888)年に作られた札幌郵便電信局と合わせて「札幌郵便局」と
  呼ばれるようになりました。その4年後、明治40(1907)年に起きた札幌大火という火災において、
  郵便電信局が燃えてしまったにも関わらず、電話交換局は石造りであったために、被害を防ぐことができました。
  そのため明治43(1910)年、電話交換局のつくりにならって石造による増築が行なわれ、札幌郵便局として
  ひとつの建物になりました。
 4.建物が取り壊されるかも・・・
  電話交換局の建物が札幌郵便局となってから約50年が経ち、新しい局舎を造る計画とともに建物の取り壊し案が
  あがりました。昭和34(1959)年の新聞記事には「部屋は雨もりがし、廊下もガタガタになって、このままでは
  もうこれ以上使えないしろもの」であると、建物が古びてしまっている様子とともに、「この建物の建築上の特徴などは
  当時の資料が同局にも残っていないので、詳しいことはわからない」という当時の研究状況も伝えています。
  ところがこの建物で働いていた人からは、親しんできた建物なので残してほしいという声もあったようです。
 5.解体で新事実発見!
  昭和37(1962)年、札幌郵便局は廃材として養豚組合に払い下げが決まっていました。この話を聞きつけた明治村は、
  明治時代に建設された貴重な石造建築を救うべく譲り受けました。明治村へ移築をするために調べた結果、
  当初の姿がわかりました。これにより明治村では、札幌郵便局全体ではなく創建当初の電話交換局の姿で
  復元することを決めました。
 6.明治村へ、そして重要文化財に。
  札幌電話交換局は明治村への移築決定第1号となり、昭和40(1965)年3月18日、明治村開村と同時に
  一般公開されました。一度は廃材となることが決まっていたこの建物は現存する最古の石造電話交換局であり、
  1階と2階の間に帯状に巡らされた胴蛇腹(どうじゃばら)の文様など建物外観に美しいデザインが見られることから、
  昭和43年4月24日付けで国の重要文化財に指定されました。」



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こちらが移築前の「札幌郵便局」の姿。
元の「電話交換局」はおそらくこの右側の端の部分じゃないかと。
説明がなかったので、推測でしかないんですが。


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では、内部の様子を見ていきましょう。
これは火災が発生したときに延焼を防ぐための「防火扉」です。
ただ、「電話交換局」のときにはなかったようですね。

「防火扉
 これは明治43(1903)年の増築時に取り付けられた防火シャッターで、東京から取り寄せたものが使われました。
 また、建物の壁も約50センチと厚く造られており、火災が多かった札幌ならではの工夫といえます。」



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「玄関ホール」付近。
段差があるので、見学の際は足元に十分気をつけましょう(^^;
で、面白いのは手前の床が石なのに対し奥は板張りになっているところ。
そのちがいができたのは・・・・・。

「床の違い
 玄関ホールの床は、職員が働く場所の床より一段低く、素材が異なっています。
 公衆の場所として市民が入ることができる場所なので、多くの人が出入りしても床がすり減らないように、
 硬い石が使われています。」



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2階に上がると立札がちょこんと置かれています。
ここは・・・・・。

「荷揚げ口
 床の四角く区切られている所は「荷揚げ口」と呼ばれます。
 板が外せるようになっており、1階から2階へと電話交換機などを運び入れることができました。」



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「電話交換局」で使われていた「電話交換機」のいろいろ。
卓上に置けるような小さなものや100回線にも対応する大型のものなどが展示されています。


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先の「電話交換機」を使って電話がつながるまでのフローです。
手順自体はそれほど難しくはなさそうですが、これを手動でやっていたんですから大変ですよね(^^;
回線数が少ないうちはよかったでしょうが、先の100回線対応の交換機での作業の手間は・・・・・。


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「電話交換手」たちの作業風景を撮った写真。
この部屋では18人の「交換手」が働いていたようです。
もちろんこの仕事に就くためには試験があって、その内容はなかなか大変だったみたいです。

「電話交換手になるための試験!
 札幌電話交換局が明治32年(1899)年に新聞にのせた広告によると、試験科目は3つあったよ!
 どんなことをしたのかな?
  1.読書:電信電話に関する規則類・・・電話などについてのルールが読めなければならない!
  2.作文:簡読文・・・季節のあいさつなどを正しく使った手紙が書けないといけない!
  3.筆跡:加減乗算・・・算数ができて文字を美しく書けないといけない!
 このとき受験に来たのは男性29名、女性27名の計56名で、合格して電話交換手になったのは男性3名、女性8名の
 計11名だよ。電話交換手になるのもなかなかむずかしかったみたいだね。」


「電話交換手はどんなふうに働いていたの?
 どれくらいの時間働いていたの?
  明治34(1901)年の記録によると、北海道の電話交換手は、女性が朝6時から午後1時までの人と、
  午後1時から午後6時までの人が交替ではたらいていて、午後6時から次の日の朝6時までは男性が働いていたんだって。
  男性の交換手がいなくなってからは、泊まりこみで働くのも女性がやるようになったんだよ。
 どんな服で働いていたの?
  電話が開通した当時、電話交換手の制服はなかったから、みんな好きな服で働いていたんだよ。その後、札幌電話交換局では
  大正時代になると、女性たちは白い着物に袴(はかま)という姿で働くようになったよ。
 どんな部屋で働いていたの?
  電話交換手は電話交換室という部屋で働いていたよ。壁にずらっと電話交換機がならんでいて、その前に電話交換手が
  イスにすわって機械を操作していたんだ。今みなさんがいるこの部屋も電話交換室だったんだよ。
 「もしもし」が生まれた!
  電話が使われ始めたころ、電話で相手に呼びかけるときは「おいおい」と言っていたんだ。だけど、電話交換手が
  お客さんに「おいおい」というのは失礼だとされて、その代わりに「申します、申します」と言うようになったよ。
  これが短くなって「もしもし」という呼びかけが生まれたとも言われているよ。」



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次回は、常設展示の電話機の歴史を見てみます。
by sampo_katze | 2016-02-10 22:20 | 東海・中部 | Comments(2)
Commented by squeu at 2016-02-11 22:39
こんばんは・・・って、結構近くに来てたんですね。
と言っても実は単身赴任で岐阜の山奥にいるんですけど・・・笑
相変わらず元気にいろいろなところを飛び回っているようで羨ましいです。明治村は、昔何度も行っていますが、随分行ってません。(たぶん25年くらい)何かとっても嫌な思い出があったような気がします。
ともあれ、またいつか機会があればご一緒しましょう。中国では嫌ですけど・・・・。
Commented by sampo_katze at 2016-02-14 12:10
オーナー、こんにちは☆

そういえばご近所でしたね~。
って、今は岐阜なんですか?
さらに近いじゃないですか(笑)

昨年は長い休みが取れたこともあって、あちこち行きました。
仕事がらみでもなんだかんだで出かけてますよ~。

>中国では嫌ですけど・・・・。

わたしも今回で終わりにしたいです(笑)


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