白虎隊自刃の地・飯盛山を訪ねる
会津出張でのオフタイム編・第3回


c0081462_2363625.jpg
「上り方はどちらかお好みで」


「鶴ヶ城」を後にして、つぎは「飯盛山」(いいもりやま)へと向かいます。
「裏磐梯」などへ足を延ばしてみれば?とすすめられましたが、何しろ半日しかありませんからね。
さて、「鶴ヶ城」と「飯盛山」との距離は約3.0kmあるので、歩こうと思えば歩けなくはありません。
でも結構暑いですし、雨が近いからか湿度もかなり高め。
おまけに「会津若松駅」~「鶴ヶ城」間に城内を歩き回ったのでそろそろ一息入れないとへばりそうです(^^;
そこで「北出丸」にある「鶴ヶ城入口」バス停から「まちなか周遊バス」「ハイカラさん」に乗車します。
このバスは1回乗車につき210円ですが、「1日フリー乗車券」が500円で販売されています。
ただし、「1日フリー乗車券」は車内では買えないので事前に購入しておく必要がありますよ。

そして「北出丸」からバスに揺られること約30分?(どれくらい乗ってたか記録してないので・汗)で「飯盛山下」バス停に到着。
バスを降りたら少し戻り、「飯盛山入口交差点」を渡ります。
さらにそこから少し左手に進んだところに山へと進む道があるのでちょっとややこしいですね(^^;


表紙の写真は、「飯盛山」の入口の様子です。
それほど長くはありませんが、階段はそこそこ急な感じなので上がっていくのはちょっと大変そう。
そんな方のために右側には「動く坂道」(スロープコンベア)があります。
大人250円、子ども150円で階段の大部分をカットできるのでオススメですよ。
ただし、最後は50段弱の階段を登らなければならないことをつけ加えておきます(^^;


blogram ランキング参加中!よろしければクリックをお願いします。
blogram投票ボタン









c0081462_2371686.jpg
これは前回、13年前の2003年4月に訪ねたときの様子です。
このときは「動く坂道」に屋根がありませんでした。
それ以外は変わってないようですね。


c0081462_2372337.jpg
もちろんわたしは軟弱の上に暑かったので「動く坂道」を利用しました(笑)
乗車中はこんな感じ。
「エスカレーター」とちがって、床面が傾斜しているので利用するときは手すりにつかまって足元に十分注意しましょう。


c0081462_2375092.jpg
となりの階段の傾斜はこれくらい。
段数は・・・・・どれくらいあるのかな?(汗)


c0081462_238458.jpg
途中1か所に踊り場があって乗り継ぐこと3分ほどで終点に到着します。
先に進む前に階段の最上段から入り口の方を眺めてみることに。
う~ん、こちらから見るとかなり急な感じがしますね!
「動く坂道」を使って正解でした(^^;


c0081462_238158.jpg
最後の階段を上がると広場のようなところに出ます。
ここには「白虎隊十九士の墓」やさまざまな碑があります。
これはそのうちの1つで、1935年(昭和10年)に「ドイツ」より贈られたものです。

「フォン・エッツ・ドルフ氏寄贈の碑
 昭和10年6月ドイツ国(現ドイツ連邦共和国)大使館政治担当外交官 Hasso Von Etzdorf 氏が
 白虎隊精神を賛美して贈られた碑文と十字章である。
  碑文訳 「会津の若き少年武士に贈る」
 第2次世界大戦後アメリカ進駐軍の手によって碑面を削り撤去されたものを昭和28年再刻のうえ復元されたものである。」

※説明板より引用、以下同じ


c0081462_2382585.jpg
「白虎隊十九士の墓」の左手に立つ「会津藩殉難烈婦の碑」

「会津藩殉難烈婦の碑
 この碑は、会津戊辰戦役で自刃又は戦死した婦女子二百余名の霊を弔うため、
 昭和3年4月旧藩士山川健次郎氏(男爵、理学博士、帝大総長)等の篤志家によって建てられた顕彰碑である。」



c0081462_2383557.jpg
右手奥にはひときわ高い塔のようなものがあります。
こちらは「ローマ市」から寄贈されたもの。
高い柱の上に翼を広げた「ワシ」がかたどられています。

「ローマ市寄贈の碑
 白虎隊士の精神に深い感銘を受けたローマ市は昭和3年ローマ市民の名をもって、この碑が贈られた。
 この碑の円柱は赤花崗で、ベスビアス火山の噴火で埋没したポンペイの廃墟から発掘した古代宮殿の柱である。
 基石表面にイタリー語で
 「文明の母たるローマは白虎隊勇士の遺烈に、不朽の敬意を捧げんが為め、古代ローマの権威を表わす
  ファシスタ党章の鉞(まさかり)を飾り永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る」
 と刻まれてあったが、第2次世界大戦後占領軍の命により削りとられた。」



c0081462_2384567.jpg
広場の右手奥から「白虎隊士自刃の地」へと進むことができます。


c0081462_2385657.jpg
森を抜けて視界が開けます。
その先は急な下り階段!
ここは前回訪ねたときも来ているんですが、記憶がないのでちょっとビックリ!
転げ落ちないように気をつけながら下りていきます。
雨が降っていたりしたら足下が滑るのでかなり危なそうですね。


c0081462_239748.jpg
階段を下りると小さな広場があり、そこには燃える「鶴ヶ城」を眺める隊士の像があります。
そのそばには自刃に至るまでの経緯についての記述がありました。

「慶応4年(1868)8月23日(新暦10月8日)、年齢が16~17歳で構成された士中二番隊の白虎隊士は猪苗代から
 十六橋(じゅうろっきょう)を越えて進撃した西軍と戸の口原(とのくちはら)で交戦するも、敵の軍事力に圧倒されて退き、
 戸の口洞門をくぐってこの地に至った。
  炎上する城下を前に、玉砕か帰城かを巡って、激論を戦わした。敵陣突入を提案する者もいれば、
 鶴ヶ城が簡単に落城するはずはないとして帰城を主張する者もいた。しかし、最終的に「誤って敵に捕らえられ
 屈辱を受けるような事があれば、主君に対して大変申訳なく、祖先に対しても申訳ない。
 この場は潔く自刃し、武士の本分を明らかにするべき」との決断にはじめて、全員が同意し、一同列座し
 南鶴ヶ城に向かって決別の意を表し、全員が自刃した。
  後、一名が蘇生。その名は飯沼貞吉である。
  なお、鶴ヶ城開城はその一カ月後であった。
         平成23年(2011)9月23日 (飯沼貞雄白虎隊顛末記参考) 白虎隊の会」



c0081462_2392043.jpg
その視線の先には「鶴ヶ城」が見えます。
細くて白い柱のようなものが目印にはなるんですが、「天守閣」にもろかぶりしてるんですよね。
なんとかならなかったのかな?とも思うんですが(^^;


2枚目 Coolpix5000
ほかはすべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、山中にあるさざえ堂を訪ねます。
by sampo_katze | 2016-07-29 23:15 | 東北 | Comments(0)


<< 飯盛山の奇妙な木造建築・さざえ堂 鶴ヶ城を訪ねる >>