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彦根城博物館で所蔵の甲冑などを見学
真夏の出張2016のオフタイム編・第2回


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「彦根城の見取り図」


ご当地グルメの「近江ちゃんぽん」でお腹を満たして準備万端。
「駅前お城通り」を通って「彦根城」へと向かいます。

でも、この日は昼前からすでに気温は35℃を超えてるんじゃないか?という猛暑。
我ながら何もこんな日に出かけなくても・・・・・と思わなくもなかったんですが(^^;
ほかに適当な時間つぶしが思い当りませんでしたからね~。

「彦根城
 この彦根城は、慶長5年(1600年)井伊直政が、関ヶ原の戦いに徳川四天王の一人として抜群の功をたて、
 この戦いに敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、慶長6年(1601年)上野の国高崎城から佐和山城に移ってきた。
 その後直政は城を彦根城に移そうと考えたが実現せず病死し、慶長8年(1603年)その子直継が父直政の遺志を受けて
 彦根城の築城に着手した。時の将軍家康は特に奉行を差し向け7ヶ国12大名にも応援させ、元和8年(1622年)
 現在の彦根城が完成、築城をはじめてから実に20年の年月を要したもので、城地面積約0.25キロ平方メートル(75,800余坪)
 周囲約4km(1里)高さ約50mの彦根山に築城した平山城である。
 昭和26年(1951年)に彦根城天守閣をはじめ天秤櫓・太鼓門櫓・三重櫓・佐和口多聞櫓を重要文化財に指定され、
 さらに同27年(1952年)には天守閣を国宝に、同31年(1956年)には彦根城一帯を特別史跡に、
 同38年(1963年)に馬屋を重要文化財にそれぞれ指定されている。
 また、新日本観光地百選の一つとして琵琶湖八景「月明彦根の古城」として知られている。」

※説明板より引用、以下同じ


表紙の写真は、「駅前お城通り」の終点にあった案内図です。
平面のように見えますが城は標高50mの「彦根山」、別名「金亀山」(こんきやま)にあります。
この暑いさなかにちょっとした登山をする必要があるんですね~・・・・・大丈夫かな?(^^;


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「中濠」沿いに植えられた「いろは松」を左手に見ながら進みます。
説明がなければ単なる松並木にしか見えませんでしたが、通行の妨げにならないような品種を植えたんですね。

そして道なりに進むと程なく「内濠」、そして「本丸」へとつながる「表門橋」があります。
「内堀」には1艘の「屋形船」が浮いていました。
10時から1時間おきに平日は15時、休日は16時まで定期的に運航されているようでした。
でもこのときはそのことは知らない上、とにかく暑いので先に進むことだけを考えていました(^^;
ちなみに乗り場は、この堀に沿って奥に300mほど行っただけのところにあります。

「いろは松
 昔は47本あったところから、いろは47文字の頭三文字をとって"いろは松"と呼ばれた。
 この松は土佐松で地上に根を張り出さず人馬の往来の邪魔にならないので、わざわざ高知から移植されたものである。」



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「表門橋」を渡って「本丸」へと入ります。
左手には「登り石垣」という石垣が見られました。
手前の横に伸びる石垣の上に、斜面に沿って上に伸びていく石垣がそれ。
国内ではあまり見られない構造のようですね。

「登り石垣
 彦根城には、全国的にも珍しい「登り石垣」が5箇所に築かれています。
 登り石垣は、文字どおり山の斜面を登るように築かれた石垣です。斜面をよく見ていただくと、高さ1mほどの石垣が
 鐘の丸に向かって伸びているのがご覧いただけると思います。石垣の向かって左側が溝状に窪んでいるのは「竪堀」(たてぼり)で、
 登り石垣とともに斜面を移動する敵の動きを阻止する目的で築かれました。かつてこの石垣の上には、
 さらに瓦塀(かわらべい)が乗っていたようです。
 登り石垣は、豊臣秀吉が晩年に行った朝鮮出兵の際、朝鮮各地で日本軍が築いた「倭城」(わじょう)において
 顕著に見られる城郭遺構です。
 日本では洲本城(兵庫県)や松山城(愛媛県)など限られた城にしか見ることができません。」




「登り石垣」の下にある立て看板。
それは「彦根城博物館」でのテーマ展「兜 その形と美」の案内でした。
城に上がる前に少し涼みたかったので、城と博物館のセット券(1000円)を買って見学していくことにしました。

館内は意外にも撮影OK!
もちろんフラッシュや三脚は使用禁止で、一部の展示物は撮影もNGですけどね。
う~ん、これなら「D700」を持ってくればよかったかな?って思いました(^^;

「彦根城博物館は、江戸時代に彦根藩の政庁であった彦根城表御殿(おもてごてん)を復元し、昭和六十二年に
 市制五十周年を記念して開館しました。譜代大名(ふだいだいみょう)筆頭の格式を誇る彦根藩主井伊家に伝えられた
 美術工芸品や古文書をはじめ、藩士家伝来品などの彦根ゆかりの資料を収蔵しています。
 武家を象徴する甲冑(かっちゅう)・刀剣をはじめ、能面・能装束、茶道具、雅楽器(ががっき)、書画や調度品にいたるまで、
 収蔵資料は日本美術のあらゆる分野にわたり、古文書を含めた総数はおよそ十万件に及びます。
 彦根に育まれた豊かな文化と歴史を物語る、大名道具の精華をお楽しみください。」



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展示物からいくつかピックアップしてご紹介。
まずは「川手主水良行像」(かわてもんど よしゆき ぞう)。
「彦根藩」の軍装とされる「井伊の赤備え」の全体像がよくわかります。

「川手主水良行像  江戸時代末期~明治時代  個人
 大坂の陣で奮戦した彦根藩士川手良行を描いた画像。「井伊の赤備え」と称された彦根藩の軍装は、甲冑や旗、
 馬具に至るまで赤で統一されていました。本作でも、良行は赤い甲冑に身を包み、赤い旗を背に指しています。
 兜に注目すると、後立(うしろだて)として白毛を束ねた装飾を立て、さらに鉢の下端にも白毛を廻らしています。
 人々が入り乱れる戦場で、己の存在を顕示するために、兜をさまざまな方法で加飾していたのでしょう。」



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巨大な「旗印」「朱地井の字金箔押旗印」(しゅじ いのじ きんぱくおし はたじるし)。
具体的な大きさは書かれていませんが、かなりの大きさがありそうです。
さらに赤地に金箔押しがされていることから軍勢の中でもよく目立ったでしょうね。

「朱地井の字金箔押旗印  江戸時代  本館(井伊家伝来資料)
 旗印は、戦場において敵、味方を見分ける標識として用いられました。特に巨大な旗印は、大将の居場所を知らせるために立てられます。
 井伊家の旗印は、「井伊の赤備え」に合わせ、種の練絹(ねりぎぬ)に「井」の字を金箔で大きくあらわし、
 戦場でも大きく目立つように作られています。」



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「朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足」(しゅうるしぬり こんいとおどし おけがわ にまいどうぐそく)。
「兜」の両側から突き出た巨大な角のようなもの=「大天衝」(おおてんつき)が目立ちますね。
これはその後の「甲冑」にも引き継がれ、時代を超えて「ひこにゃん」のトレードマークにもなりました。

「朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足  滋賀県有形指定文化財  桃山~江戸時代初期  本館(井伊家伝来資料)
 彦根藩井伊家初代直政の所用と伝える甲冑。籠手(こて)に上腕の防具である袖を仕付けるなど、
 実戦における機能性に重きを置いた作りです。
 兜には頭形兜(ずなりかぶと)を用いますが、長さ80cmほどの大天衝を脇に立てた目立つ形状から、
 変わり兜の1つとして広く知られています。この大天衝脇立(わきだて)は、井伊家当主の象徴として、
 歴代の甲冑に受け継がれていきました。」



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「朱漆塗頭形兜」(しゅうるしぬり ずなりかぶと)。
「大天衝」に白い毛が加わり、豪華な雰囲気になっています。
先の「川手主水良行」もこのような「兜」を装備していたのでしょうか。

「朱漆塗頭形兜  滋賀県有形指定文化財  江戸時代前期  本館(井伊家伝来資料)
 井伊家3代直澄(なおすみ)所用と伝える兜。大天衝の脇立に加え、頭頂には唐の頭(からのかしら)と呼ばれる
 犛牛(やく)の毛の装飾を立てており、作品12(注)より一層勇ましい印象を受けます。
 変わり兜の中には、星兜(ほしかぶと)や頭形兜のように広く流通していた兜鉢(かぶとばち)に、目を引く形状、
 あるいは華美な意匠の装飾を立てたものも多く見ることができます。」

注:「朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足」を指す


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「朱漆塗紺糸威縫延腰取二枚胴具足」(しゅうるしぬり こんいとおどし ぬいのべ こしどり にまいどう ぐそく)。
歴代の中で最も豪華といわれるとのこと。
特に「兜」は一見してわかるほど豪華に飾りつけてありますね。

「朱漆塗紺糸威縫延腰取二枚胴具足  滋賀県指定有形文化財  江戸時代  本館(井伊家伝来資料)
 井伊家8代直定(なおさだ)の所用と伝える具足です。兜に金箔押しの天衝脇立をつけた典型的な「井伊の赤備え」の型式ですが、
 加えて5本菖蒲が前立として付けられます。また、大袖に横長の笄金物(こうがい かなもの)がつき、背に総角(あげまき)が具わるなど、
 中世の大鎧や胴丸(どうまる)にみられる装飾も取り入れられ、歴代の具足の中で最も豪華で華やかな1領となっています。」



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「熊毛逆頬箙」(くまげ さかつら えびら)。
「箙」とは、武器の1つである「矢」をストックしておくための道具(らしい)。
右下には「トンボ」のようなデザインがあしらわれていますね。

「熊毛逆頬箙  江戸時代  本館(井伊家伝来資料)
 箙は鎌倉時代の武士が実戦に用いた、矢を収める道具です。腰に紐で取り付けて使用しました。
 逆頬箙は、腰の当たりを柔らかくするためと装飾を兼ねて、方立(ほうだて)の外側を弾力のある毛皮で包んだものをいいます。
 方立とは鏃(やじり)を差し込む箱のことです。猪の毛を用いる事が多く、方立の背面から一枚の皮で張り包むため、
 正面と両側面は毛並みが逆に向かいます。これにより逆頬の名が生じました。」



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「馬具」「黒漆塗橘紋蒔絵鞍・同鐙」(くろうるしぬり たちばなもん まきえ くら・どう あぶみ)。
「自転車」に例えれば「サドル」「ペダル」という感じ?(^^;
これで「シンプルなデザイン」ということは、どれだけ派手なものがあったんでしょうね?

「黒漆塗橘紋蒔絵鞍・同鐙  江戸時代  本館(井伊家伝来資料)
 黒漆塗の前輪(まえわ)と後輪(しずわ)に、井伊家の家紋である橘紋を表します。このようなシンプルなデザインの鞍は、
 江戸城への登場の際など、正式な場で用いられました。この鞍は、座面の内側を濃淡のある叢梨子地(むら なしじ)とし、
 シンプルでありながら、華やかな印象を与えます。前輪と後輪をつなぐ居木(いぎ)の裏には、花押(かおう)が陰刻されており、
 製作者を示すものと考えられます。」




ここからは「兜」です。
頭を守るためのとても重要な防具ですが、今見ると面白いデザインを取り入れたものもありましたよ。

「兜は、甲冑の中でも頭部を守る重要な防具です。その形は、戦闘形態の変化にともなって、さまざまに展開しました。
 本展では、兜に求められた機能や装飾をはじめ、その形が製作されるに至った背景も紹介していきます。
 防具としての機能はもちろん、造形の美しさにもご注目ください。」


「変わり兜
 桃山時代になると、奇抜なデザインを取り入れた兜が誕生します。この目立つ造形は、戦場で自らの存在を主張するため、
 あるいは敵を威嚇するためであったと考えられています。
 中には、兜本来の用途である防護以上に、高い装飾性を求めたものが作られることもありました。」



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まずは「陣笠」(じんがさ)。
簡易的な「兜」ですね。

「陣笠  江戸時代  本館(井伊家伝来資料)
 「陣笠」とは、本来は戦国時代に雑兵が兜の代わりに使用した、鉄製の笠を意味します。
 しかし、江戸時代になると、紙製で漆塗とし、正面をふきそらしたものを陣笠と呼ぶようになり、
 士分の非常の際の被りものとなりました。」



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「黒漆塗立浪形兜」(くろうるしぬり たつなみなり かぶと)。
左右に大きな装飾がついていますが、これは波を表しているもののよう。

「黒漆塗立浪形兜  彦根市指定文化財  桃山~江戸時代前期  本館(井伊家伝来資料)
 左右から荒々しく立ち上がる波頭を表した兜で、旗本安藤重矩(あんどうしげのり)の所用と伝えます。
 変わり兜の意匠は種々様々ですが、本作のように波頭や山岳など、自然の情景を鉢に据えることもありました。
 一説には、こうした意匠を纏うことで、大自然の力強いエネルギーを自身の力とする効果を狙ったという考えがあります。」



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「黒漆塗兎耳形兜」(くろうるしぬり とじなり かぶと)。
その名の通り、ウサギの耳をモチーフにしたものです。

「黒漆塗兎耳形兜  彦根市指定文化財  江戸時代前期  本館(井伊家伝来資料)
 鉢の左右から、後方に反った長い耳と頭頂の巻き毛が印象的な変わり兜。兎の意匠をあしらった変わり兜は、数多く現存します。
 特徴的な長い耳を持ち、敏捷性に富んだ兎は、戦場において自身の存在を知らしめ、また素早い動きが求められた武人にとって、
 ふさわしい動物だったのでしょう。」



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一見すると普通の「朱漆塗提灯兜」(しゅうるしぬり ちょうちんかぶと)。
こちらはたたんで小さくまとめることができるんです!

「朱漆塗提灯兜  江戸時代後期  個人・本館
 提灯兜は、江戸時代に登場した兜で、ドーナツ状の鉄板を同心円状に連ねます。鉢上部の細長い棒状の材から頭頂の金具を外すと、
 提灯のように下方に縮むことから、提灯兜の名が付きました。提灯兜は、畳むことが可能な畳胴(たたみどう)と合わされ、
 一般的に携行用や下級武士の甲冑に用いられました。彦根藩でも足軽が使用していたことが分かっています。」



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ものはちがいますが、たたむとご覧のとおり。
収納スペースが小さく済むんですね。
丈夫さを取るか、収納性を取るか、悩ましいところですが・・・・・(^^;


すべて iPhone5S


次回は、彦根城博物館の後半です。
by sampo_katze | 2016-12-10 21:00 | 東海・中部 | Comments(0)


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