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真田の郷
年末忘年温泉旅行@別所温泉編・最終回。


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「ウェルカム?」


最後は上田城を訪ねます。
といっても、現在は「上田公園」として親しまれていますが。

上田城は天正13年(1585年)、「真田昌幸」(幸村の父)の手によって「一応」完成しました。
一応というのは、当時の構造が今ひとつはっきりしていない(未完成状態だった?)ためと思われ。
何しろこのお城は天正13年、慶長5年(1600年)と立て続けに徳川軍によって攻め立てられているんです。
いずれも真田軍が勝利しているのですが、もしかすると建設途中に攻め込まれてしまったので
工事が間に合わずそのままになってしまったのかもしれません。
もっとも重要な部分は完成していたようですし、周囲の環境が自然の要塞のようになっていることもあって
なんら問題は生じなかったんでしょうけど(^^;

また、2度の徳川軍の攻勢に打ち勝った理由として
当初は対上杉軍を想定して北側に造る予定だった大手(防御正面)を
対徳川軍として東側に変更したことも大きかったでしょうか。

江戸時代に入り、元和8年(1622年)に真田家は松代(まつしろ・現在の長野市松代町)に移封。
寛永3年(1626年)に仙石忠政によって城の再建が始まり、
本丸の南・北・西の櫓の3棟は再建されたものの2年後忠政の死によって中断。
その後城主は仙石氏~松平氏と変わりましたが、本格的な再建はされることなく
廃藩置県によって上田城は廃城となりました。

明治7年(1874年)、政府は「城の民間払い下げ」を布告。
富農・丸山平八郎が本丸一体を買い取り、植樹などを行うことで公園として整備しました。
その後、明治12年(1879年)と26年(1893年)の2回に分けて真田神社に公園を寄進。
大正14年(1925年)に市民の要望により、上田市に所管が移り現在に至ります。


表紙の写真は、外堀跡(?)にかかる橋のたもとにあった柱。
そこに刻まれた意匠がちょっと気になったので(^^;


上田城@Wiki









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入口は言ってすぐのところに奇妙な木を見つけました。
根元のほうは「うろ」(洞)になっていますが、その先から新しい幹が成長してきています。
すごい生命力ですね!


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東虎口櫓門へ到る小道。
その両側にこれまた不思議な形をした木が並んでいました。
「シダレグワ」という名前で、マグワの園芸種だそうです。
「枝垂れの独特な樹形を楽しみます」とも。
納得(^^)


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真田十勇士のパネル。
実はこれ、記念撮影用の顔出しパネルになっているんですよ~!
自分の好きな人物の顔の部分を外して、そこに自分の顔を入れるようになっていました。
さすがに全部に顔を入れるとなったら11人必要ですからね(笑)

「真田十勇士」という言葉、実は大正時代に生まれた言葉なんだとか。
この物語の原型自体は江戸時代中期の小説「真田三代記」に見られますが
ヒーローとしての一面は大正時代に刊行された「立川文庫」(たてかわ たつかわぶんこ)によるものなんですね。
ちょっと意外でした(^^;
※2016年7月23日訂正


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東虎口櫓門と南櫓。
南櫓は昭和18~24年(1943~1949年)に北櫓とともに移設・復元されました。
また櫓門は平成6年(1994年)に古い写真を元に復元されたものだそうです。


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こちらは北櫓。
春になると桜が一斉に咲き乱れ、「上田城千本桜まつり」も開催されます。
過去5年の動向を見ると、おおむね4月10~15日頃に満開を迎えるようですね。
今年はぜひ行ってみたいです(^^)


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屋根のついた大きな酒樽が2つありました。
何だろう?と思って近づいてみると「酒樽茶室」と書いてあります。
入口と思しきところには踏み台と窓、南京錠もかけられています。
中はどうなってるんだろうとのぞいてみると、ちゃんと畳が敷かれていました!
いつ使われるのかはわかりませんが、現役の茶室として使えるような感じです。


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真田神社。
意外とこじんまりとした質素な感じの神社です。
この左手奥には井戸があり、城から脱出する際の避難通路として造られたらしいですね。


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さらに奥に進むと現存櫓である「西櫓」があります。
南北櫓とは違い、仙石氏による再建当時のまま残されている唯一の建造物です。
ただし櫓とは名ばかりで、実際には倉庫としての役割を果たしていたそう。
江戸時代には特に名前はなく、南北櫓復元にあわせて新しい名前がつけられたんだとか。
もう戦はありませんでしたから、櫓は必要なかったんでしょうね(^^;
ただ、高台にあるので見晴らしはとてもいいところでしたよ。

そこから降りるときに目に入ったのがこの木。
2つに裂けたようになっている上、表面が焼けただれています。
どうやら落雷にあったようですね。
でも、この裏側は葉っぱが生い茂っていて木自体は生きていることがわかります。
やっぱり自然の生命力ってすごい☆


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真田家といえば「不惜身命の六文銭」の旗印が有名ですね。
そのため、上田の街のあちこちでこのデザインを見ることができます。
これはバス停。


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マンホール。
カラーバージョンとモノクロバージョンの2種類があります。
描かれている花は市の花であるツツジですね。
六文銭を円状に並べ、真ん中に「UEDA」と書いたデザインは市の設備であることを示してるんでしょうか。
マンホール以外にもこのデザインが使われていたんですが。


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最後はJRの案内表示。
「お城口」ということで六文銭が描かれているんでしょうね。


真田氏についてもっと詳しく知りたい方は、上田市役所提供のサイトへどうぞ!
信州上田 真田ロマン


今回の温泉旅行は少々ハプニングがありましたが、存分にお湯と食も楽しめてよかったです。
でも、今度行くときはこんな風にバタバタにならないようにしたいですね(笑)
参加した皆さん、ありがとうございました!


すべて D700+AiAF28-105mm


次回からは新シリーズ、東京でお正月・縁起物を初撮り編をお送りします。
水族館シリーズはもう少しお待ちください(汗)
by sampo_katze | 2009-01-11 22:50 | 温泉 | Comments(2)
Commented by 信州ぺこ at 2009-01-14 01:37 x
上田城に雷に打たれた木や宇宙人?みたいな木があるんですか。
さすが猫さん、いろんな面白いものをここでも見つけられていますねー

どの櫓か分かりませんが、明治時代?に遊郭として利用されていた
ものもあったとか。
当時の人たちにとってはお城なんてただの古い建物でしかなかったのでしょうかね^^;

マンホールの六文銭のマークは合併するまでの上田市のシンボルマークでした。
駅前はあちこちマークがあるんですネ。
Commented by sampo_katze at 2009-01-14 22:01
ぺこさん、こんばんは♪

宇宙人みたいな木。
これを見たとき、温室で見た「タコノキ」の小さいバージョンに見えました(^^;
冬なので枝振りが見えるからカメラを向けましたが、
葉っぱが茂っていたら見向きもしなかったかもしれませんね~。

落雷(?)の木は、半分焼けているのに残りは元気一杯☆という不思議さに引かれました。
あまりに極端でしたから(^^;

遊郭になっていた櫓、ありましたね~!
Wikiの記事にはどれとは書いてませんが、北か南のどちらかかな?と思われ。
ただ、当時はこれだけ立派な建物なのだからという理由で遊郭に使用していたのかもしれません。
ちゃちな建物ではお客さんも来ないかもしれませんし(^^;

六文銭のデザインは上田市のマークだったんですね。
このあたり、合併したからといってわざわざ作り変えるわけにもいきませんから
そのままのこっているということでしょうか。
でも真田家のお膝元なんですから、変えてしまってはもったいないですよね☆


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