のんびり客車&ディーゼルカー
鉄道博物館編・第4回。


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「顔」


かつて、日本の鉄道の旅は客車が主流でした。
鉄道の黎明期から蒸気機関車が客車を牽引するスタイルに始まり、
超特急「つばめ」に代表されるような高速列車も誕生しました。
客車は自走機能が必要ないため軽量で構造も簡単だったことや
電化のあるなしにかかわらず、機関車を付け替えるだけでどこでも走れることも一因かと。

反面、折り返しなどの方向転換には機関車の付け替えが必要であったり
機関車と客車とでは重量が大きく異なるため、線路への負担も大きいデメリットがありました。
乗り心地の面では、発車と停車の際に牽引力が伝わり「衝撃」が発生することもあります。
貨物列車が駅を出るとき、先頭から順番に「ガガガガガ」と大きな音が伝わってくるのが一例ですね。

輸送人員や運用効率の面から客車列車は電車やディーゼルカーに代わり
定期普通列車は2002年(平成14年)11月30日快速「海峡」(青森~函館間)の廃止と共に消滅。
優等列車でも「カシオペア」をはじめとする寝台特急7列車が残るのみとなっています。
昔ながらの「ブルートレイン」の姿を残している列車がほとんどなので、願わくば長く走り続けてほしいものです。


表紙の写真は、客車とディーゼルカーだけでは足りないのでおまけ(^^;
ヒストリーゾーン2階から車両を眺めていて目に入ったものです。
わたしにはこれがどうしても顔にしか見えませんでした。
よくみると、上のほうにもアメフト用メットをかぶっているような顔もありますね。
さて、これは一体なんでしょう??


客車@Wiki









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ちょっと角度を変えてみるとこんな感じ。
厳密にはちがう車両なんですけどね(^^;
とある特急車両の乗務員室とその周辺を真後ろから見たものでした。
ただでさえ最近はほとんど見られない車両なのに、それを上から見るなんてことはありませんからね~(笑)
博物館ならではの光景ともいえる・・・・・かな??


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寝台特急に使用された「20系客車」です。
登場は1958年(昭和33年)で、10月(ダイヤ改正時?)に寝台特急「あさかぜ」で運用開始。
専用電源車両を連結することで電力による冷房装置を装備、食堂車の調理設備も電力化されました。
また全車両に空気ばねを採用することで乗り心地も向上。
その居住性の高さから「走るホテル」とも呼ばれました。
外観は鮮やかな青一色に白帯3本が巻かれていて、その姿から「ブルートレイン」の愛称もつけられました。
丸っこい車体に大きな2枚窓がどこかかわいらしい雰囲気も感じられますが(^^;


国鉄20系客車@Wiki
ブルートレイン@Wiki


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側面です。
号車番号、列車名、発駅、着駅それぞれが別々の窓に表示されているところが特徴的ですね。
最近はLEDで表示することが多いですが、それより少し前はこれらを一括まとめて表示していましたから。


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残念ながら車内には入れませんので、窓から中をのぞいていましょう。
1つ前の写真で号車番号の隣に星が1つ描かれていましたが、これは「客車3段式B寝台」を意味しています。

これは中段の寝台をたたんだ昼の時間帯の様子。
だいたい朝6時過ぎに係員が乗ってきて、このように寝台をたたむんだそう。
そして、下段の寝台は座席として利用されました。

現在でも寝台特急「あけぼの」(上野~青森間)と「日本海」(大阪~青森間)は秋田県・青森県内の一部区間において
下りは「立席特急券」で、上りは「指定席特急券」で乗車できるようになっています。
寝台はたたまれている状態だと思いますが(^^;


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夜はこんな感じ。
上半身を起こすと、上の寝台にぶつかりそうなくらい低いです。
寝台の幅も50cmちょっとしかなく、かなり窮屈ですね~(汗)
この寝台の中でみなさん器用に着替えなどをされていたようですが・・・・・。
荷物は通路の上のエリアが空いているので、そこに置けますけどね。

ちなみに現在のB寝台は幅70cmあります。


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ディーゼルカー唯一の展示車両の「キハ41000形」
1933年(昭和8年)から1936年に新造された138両のうち、1934年製造の1両です。

製造当初はガソリンエンジンを搭載していて形式番号は「キハ41056」でしたが、
1948年に天然ガスエンジンに換装し「キハ41207」に。
しかし、天然ガスは高価な上にガスの充填に時間がかかることや爆発のリスクがあるなどの理由で
再びディーゼルエンジンに換装され「キハ41307」に。
もう変更はないだろうと思っていると1957年には形式称号改定のため「キハ04 8」となりました。

波乱万丈の歴史はまだ続きます(^^;
1958年、国鉄二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)との乗り入れのために静岡県の遠州鉄道に払い下げられ「キハ802」に。
1966年にその乗り入れ運転が終了すると石川県の北陸鉄道に譲渡され、「キハ5211」として能登線で運転。
1972年に能登線が廃止になると茨城県の関東鉄道筑波線(後に筑波鉄道)に転入し「キハ461」に。
そしてついに1985年に廃車、50年を越える長い列車生命の幕を閉じます。

除籍後しばらく車庫にあった車両は、「キハ04 8保存会」の方によって整備され新治郡桜村(現つくば市)桜交通公園に保存。
屋外のため保存には大変な苦労があったようですが、その後「てっぱく」での展示が実現!
国鉄時代の姿を今によみがえらせています。


キハ04 8 保存会
国鉄キハ04形気動車@Wiki


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床下のエンジン。
1950年代半ばの仕様を再現しているとのことなので、ちょうど「41307」になったばかりの頃でしょうか。


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運転台。
実車同様、一般の人は入ることはできません。

左にある大きなハンドルは「手ブレーキ」用のハンドルです。
最近の車両では見られませんが(^^;
首都圏の現役車両では「小湊鉄道」のディーゼルカーにあった記憶が・・・・・。


小湊鐵道株式會社
手ブレーキ@Wiki


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車内はこんな感じです。
木製のボックスシートにあまり開かない窓、天井に並ぶ丸型の白熱灯。
まさにノスタルジーですね。


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外観をもう一度。
この無骨な感じがまたいいんですよね☆


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最後は展望車「マイテ39 11」です。
富士山をかたどった「富士」のマークが掲出されているように、特急「富士」専用の展望車として誕生。
「桃山式」と呼ばれた純和風の車内設備を持ち、外国人観光客には大変好評だったそう。

現在は、高度な技術で造られたかつての内装の完全再現はなっていませんが
できる限りの復元を施した状態で展示されています。
車内には入れないので、窓の外から眺めるだけになってますけどね。

なお、8月10日から展望台に入れるようになりました!
車内の様子も車端から見られるので、展望車の乗客になった気分にひたれるかも?


展望車@Wiki


次回は最終回、電車と日本が世界に誇る夢の超特急です。
by sampo_katze | 2009-09-20 21:50 | 博物館・美術館 | Comments(0)


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