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ようやく折り返し
江戸東京たてもの園編・第5回。


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「江戸の霊廟建築」


ようやく2つ目のエリア「センターゾーン」に入りました。
この時点で時刻は13:00をとっくに過ぎています。
西ゾーンではなんでもかんでもじっくり見るという悪いクセが出て、進みが遅くなったわけで(^^;
そんなこともあり、後半はちょっとラフな展開になります。
センターゾーンの建物の紹介は今回1回限りですし(苦笑)
まぁ、どちらにしてもまた機会を改めて再訪したいと思ってはいるんですけど。


表紙の写真は、エントランス広場右手前方にある「旧自証院霊屋」(きゅうじしょういんおたまや)です。
建築年1652年(慶安5年)、復元年1995年(平成7年)。

この建物は徳川三代将軍・家光の側室「お振りの方」の霊廟(れいびょう)です。
娘の「千代姫」は母を弔うため新宿区富久町に「自証寺」を開基しました。
霊廟も同時に建てられたものと思われ。
さすがに日光東照宮ほどの煌びやかさはありませんが、側室の霊廟としてはかなり豪華な造りといえ
当時の徳川家の隆盛を伝える建物の1つといえるでしょう。

建築に携わったのは江戸幕府作事方大棟梁の家系である甲良氏の3代目「甲良宗賀」(こうらむねよし)。
初代将軍・徳川家康を祀る「日光東照宮」の建立に携わった初代「甲良宗広」(むねひろ)の一族です。
宗賀はこのほかに、日光東照宮や東京タワーそばに建つ増上寺の修繕などに携わっていますが
特に東照宮の修繕に際しては褒美として切米100俵と市ヶ谷の土地を拝領したそう。
ただし本人は拝領地には居住せず、千住に屋敷を設けていたようですが・・・・・。
拝領地となった場所は、現在「市谷甲良町」(いちがやこうらちょう)として名を残しています。


甲良氏@Wiki









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建物にグッと近づいて見上げてみました。
空を入れると白飛びしてしまうので・・・・・。


日光東照宮ほどの煌びやかさはありませんが、落ち着いた鮮やかさがかえっていい雰囲気を醸し出しているように思えます。
今回訪ねたときは扉は開いていませんでしたが、開帳されることもあるようです。
石段の脇に「毎週×曜日に開きます」という看板が置かれていましたので。
ただ、肝心な曜日の部分は白く塗りつぶされていたのでいつ開くのかはわかりません(^^;


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「高橋是清邸」(たかはしこれきよ てい)です。
建築年1902年(明治35年)、復元年1993年(平成5年)。

是清は、その風貌から「達磨さん」の愛称で親しまれた政治家で第20代内閣総理大臣を務めたこともあります。
ただし前代の「原敬」が暗殺された直後という混乱があったことに加え、是清本人も思わぬ就任だったこともあって
半年という短い期間にとどまっています。
大蔵大臣(当時)を歴任した期間が長いことから、こちらのほうがよく知られているようですね。


高橋是清
二・二六事件
いずれも@Wiki


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1階西側の廊下を南向きに望む。
外壁も内壁もこのような格子になっていました。
襲撃部隊の兵たちもこれを見ていたのだろうか、それとも標的しか目に入らなかったのだろうか。

と思ったら、当時はこれはなかったようです。
なんでも耐震補強のために(最近?)つけられたものなんだとか・・・・・(^^;



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2階南側の縁側。
眺めがとてもいいですね。
この縁側は2つの部屋に面していて、西側の部屋が是清の寝室だったようです。


1936年(昭和11年)2月26日、未明。
その時、是清は白い寝巻き姿で布団の上に座っていました。
襲撃を予見していたのでしょうか。
そして襲撃部隊の兵10数名が部屋になだれ込み発砲、銃剣で斬りつけました。
即死だったといわれています。

その後の1938年(昭和13年)この建物は東京都に寄贈され、是清が眠る多磨霊園に移設し休憩所に
屋敷跡地は、倉庫を改修した高橋是清記念館を持つ公園としてそれぞれ使用されました。
後者は戦災によって焼失、現存していませんが。

また、当地で復元された後も喫茶室があったようですが(1階の食堂部かな?)
3月31日をもって閉店、中に入ることもできなくなっていました。
残念・・・・・!!



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「西川家別邸」
建築年1922年(大正11年)、復元年1993年(平成5年)。

施主は多摩地域有数の製糸工場「西川製糸」を設立した「西川伊左衛門」です。
1893年(明治26年)に操業を開始、以後順調に業績を伸ばしていきます。
1926年(大正15年)にはアメリカ・フィラデルフィアでの博覧会で表彰を受けるなど
内外で品質の高さを認められていたようです。
そんな中で造られたこの建物は「別邸」とあるように、本邸とは別に「接客用兼隠居所」の役割を持っています。

これは玄関の外から「玄関の間」「座敷」と見通したもの。
この左手に2間続きの「客間」があってフォーマルなお客様専用スペース、
右手は「応接間」や「居間」「茶の間」など、どちらかと言えば日常生活用のスペースとはっきり区別されています。

窓の向こうに見える緑が鮮やかで、落ち着いた和の空間・・・・・いいなぁ。



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併設されている「会水庵」
建築年は大正初期、復元年1998年(平成10年)。

元は新潟県長岡市に建てられた宗徧流の茶人「山岸宗住(会水)」(やまぎしそうじゅう【かいすい】)の茶室です。
1927年(昭和2年)、山岸家が東京に移住する際にこの茶室も吉祥寺に移築。
その後1957年(昭和32年)に劇作家「宇野信夫」が会水庵を灯篭などとあわせて購入、西荻北に移設しました。

復元にあたっては吉祥寺時代の状態に戻し、元の主屋に代えて西川家別邸につける形になっています。
当然、本来なら山岸邸の本邸につけるところなんでしょうけどね。


宗徧流
※「お気楽茶道ガイド」は必見!文字が小さくて少々見づらいですが。



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再び西川家別邸。
南側に面する玄関を上がり、左手に進むと「客間」(二の間、一の間)があります。
時計回りにぐるりと客間の周りを進むと北側の廊下に出るんですが、ここは客間・座敷・居間・茶の間と
各部屋の裏手に当たるところに全部通じているんです。
非毛氈の敷かれた長い廊下は圧巻でした。


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廊下の突き当たりの先にはお風呂場が。
浴槽がコンクリートのようになっているのは、近年になって造りかえられた・・・・・んでしょうね?


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東ゾーンの「万世橋交番」
建築年は明治後期(推定)、復元年1993年(平成5年)。
本当はもう少し引いて撮りたかったんですが、ちょっと事情があって(^^;


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入り口の屋根の下。
ちょっとしゃれた意匠があったりして。


1~3、7、10、11枚目 D40+DX12-24mmF4G
4、6枚目 D700+AiAF35mmF2D
5、8、9枚目 D700+AiAF20mmF2.8D


次回は、懐かしい乗り物2種類を紹介します。
by sampo_katze | 2009-08-19 20:40 | 博物館・美術館 | Comments(0)


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