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湯けむり美術館
江戸東京たてもの園編・最終回。


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「下町の社交場」


久しぶりに長期連載になった本編もようやく最終回。
歩きつかれた体を癒すためにお風呂に入ってさっぱりして、そのあとは居酒屋で一杯。
なんちゃって(^^ゞ


表紙の写真は、足立区千住元町にあった銭湯「子宝湯」です。
建築年1929年(昭和4年)、復元年1993年(平成5年)。
施主は石川県七尾市出身の小林東衛門(こばやしとうえもん)氏。
千住のほか町屋と西新井に同名の銭湯を建築、ほかに2件の銭湯とともに経営をしていました。
この千住の子宝湯には4~5万円の経費をかけ、石川県から気に入った大工を連れてくるほどの熱の入れよう。
当時の一般的な銭湯建築費用が約2万円ということを考えると、まさに破格ですね。

ここでは取り上げていませんが、入り口の唐破風屋根の下には「七福神の宝船」があります。
この彫刻だけでも2階建ての家が建つほどの費用がかけられているんだとか。
まさに贅沢を極めたつくりになっているんですね。

戦後に小林氏が銭湯経営を縮小するにあたり、平岡家が千住の子宝湯を買い取りました。
そして1988年(昭和63年)に廃業。
各家庭に風呂があるのが一般的になってきたことが大きな理由で、これも時代の流れですね。

なお建物の外観は創建当時のものを、内部は昭和30年代の様子を再現しています。


東京都浴場組合(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合)
銭湯@Wiki









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入り口の暖簾。
入って左が男湯、右が女湯です。


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中に入ると天井がたか~い!!
あまり低いと湯気がこもるからなんでしょうけど、それにしてもすごい!

格子状に木材を張りめぐらせた天井は「格天井」(ごうてんじょう)といい、格式の高い構造なんだそう。
さらに周囲は緩やかな曲線が組み合わされていて、1段高く持ち上げたような感じになっています。
「折上げ格天井」と呼びます。

柱の大時計は営業を終えたときのものがそのまま使われているような雰囲気ですね。
中のムーブメントは更新されているのかな?


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壁には昭和28年2月当時の料金がかけられていました。
興味深いのは「婦人洗髪料」という項目があること。
大人15円に対して10円とかなりお高いですが、別途ボイラーで沸かしたお湯が必要となることが理由のようです。
当時の燃料事情からいっても仕方のないところでしょうか。


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中央の仕切りの壁には広告が並んでいます。

ところで、みなさんの銭湯を出たあとの定番と言えばなんですか?あるいはなんでしたか?
小さい頃のわたしは名糖(メイトー)の「ホームランバー」(30円)やロッテのアイス「イタリアーノ」(50円)でした。(価格は昭和50年代前半のもの・^^;)
そして、憧れは100円のエスキモーの「Pino」(ピノ)!
チョコレートでコーティングされたあの形には魅了されましたね~。
高嶺の花でめったに食べられませんでしたが、ごくごくたま~に食べられたときはうれしかったです☆

森永乳業のアイスクリーム エスキモータウン


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乱れかごが並ぶ棚。
最近は防犯の観点から鍵つきのロッカーが主流になっていますが、昔はこんなかごが置いてありました。


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湯場に入って目に入るのは正面に描かれた巨大な「ペンキ絵」です。
こちらは男湯で、おなじみの雄大な富士山と松原が描かれています。


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こちらは女湯のほう。
ちょっとこじんまりとした雰囲気ですね。


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湯場の入り口から全体を見渡してみます。
洗い場の蛇口は4列あり、中央には仕切りや鏡がありません。

浴槽は3つに分かれていて、外側の1つはほかの2つと比べると半分以下と小さめです。
ここは「くすり湯」で昭和30年代はラジウム温泉(天然ではなく、温泉の素を入れる)に、
昭和43年以降は「中将湯」という入浴剤が使われていたそうです。

「中将湯」は、元は「津村順天堂」(現在のツムラ)の創業者である「津村重舎」(つむらじゅうしゃ)が
1893年(明治26年)に発売した婦人薬です。
この薬を精製するときに出てくるくずを従業員が風呂に入れたところ、夏はあせもが消え冬は芯から温まることを発見。
これをヒントに開発されたのが入浴剤「くすり湯中将湯」で、1900年(明治33年)発売されました。
その後さらなる研究開発の結果生まれたのが、おなじみの「バスクリン」です。


ツムラ@Wiki


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湯場の男湯と女湯の仕切り壁には、タイルに描かれた「タイル絵」があります。
男湯はこの「那須与一」と「義経と弁慶の五条大橋の風景」で、歴史にゆかりのある題材です。


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女湯は「雀のお宿」(舌切り雀)と「猿蟹合戦」と、昔話がモチーフです。
また、玄関には「高砂」(能の作品のひとつ)が飾られています。
いずれの絵にも「章仙」という名前があることから、九谷で活躍したタイル絵師「石田庄太郎」の作とのこと。


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女湯の脱衣場の片隅に置かれていた体重計。
赤ちゃん用にかごのついたものもあったんですね。


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さっぱりしたところで、お隣の居酒屋「鍵屋」に入りましょう。
建築年1856年(安政3年)、復元年1975年(昭和50年)頃。

元は酒問屋として下谷坂本町(しもやさかもとちょう、現在の台東区下谷)に建てられたと伝えられています。
明治から昭和初期までは酒の小売店、昭和初期からは店の片隅で夕方だけ一杯飲み屋として営業。
本格的に居酒屋として開業したのは、戦後の1949年(昭和24年)のことです。

言問通りと金杉通りが交わる現在の「根岸1丁目」交差点付近に立地。
都電の阪本二丁目電停のそば、国電(当時)山手線の鶯谷駅からも近く
建物と主人の雰囲気、そしてうまい酒と肴が人をひきつけて繁盛していたようです。


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店内はこんな感じ。
当時の様子を紹介した雑誌が置いてありましたが、まさにそのまんま。
今にもご主人が出てきて、黙々と仕事を始めそうです。


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いすに座ると、またいい感じ☆
肴の種類は多くはありませんが、ご主人が酒にあうものを厳選していたそうです。


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目の前に並ぶお銚子。
お燗にするための器具も味があっていいですね♪


1、2、13枚目 D40+DX12-24mmF4G
3、9、14、15枚目 D700+AiAF20mmF2.8D
4~8、10~12、16枚目 D700+AiAF35mmF2D


今回は東ゾーンにある建物の一部を紹介できませんでした。
理由は簡単で、前半飛ばしすぎだったということ(^^ゞ
暑さもあってちょっとバテたというのもあったかも。

次回は冬の青空の下で訪ねてみたいですね。
建物の外観がすっきり見えると思うので。


次回は、けだまぁズ☆を訪ねて200キロ?です。
by sampo_katze | 2009-08-25 21:10 | 博物館・美術館 | Comments(0)


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