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足利陣屋跡と鑁阿寺
渡良瀬川自転車道と歴史の町・足利探訪ポタ編・第4回


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「足利市役所」


「美人弁天」こと「厳島神社」を後にして次の目的地「鑁阿寺」(ばんなじ)へと向かいます。
東にある「県道40号線」を通れば北側の門前に出られますが、行きと同様「逆さ川」沿いの道を進むことに。
ここは北向きの一方通行の道なんですが「足利市保健センター」付近までは道幅も広いので走りやすいです。
でもその先はかなり狭くなるので、1つ先のY字路で右にそれて「足利市役所」に向かうことに。

「市役所」の南側は「家富町」(いえとみちょう)という地名です。
なんだか縁起のよさそうな名前ですね。
「鑁阿寺」のこの町にあります。
そのとなりは「雪輪町」(ゆきわちょう)で、これまたなんとも美しい町名です。


表紙の写真は、「足利市役所本庁舎」です。
この建物は1974年(昭和49年)に完成した2代目だそう。
ちなみに撮影日は2月11日のため、並木は完全に葉を落としていて庁舎が枝越しに見えますが
春になるとその姿はすっかり隠れて、こちらからでは見えなくなってしまいますね。


足利市観光協会|学び舎のまち足利


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「市役所」の向かいにある酒屋「さがわ」
店の正面には「旧足利市役所」のレリーフがありました。
1921年(大正10年)の竣工だそうで、レトロでかっこいい建物だったんですね~。

ここからは酒屋の右にある細い道を進みます。
メインルートは県道ですが、交通量が少ないところを走りたかったので。


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100mほど進むと右手に「高福寺」があります。
入口に「かしげ地蔵」という文字があったので、気になって立ち寄ってみました。

境内に入ると、片ひざを立てほおづえをついたお地蔵様がいました。
その姿は深く思い悩まれている様子を表しているとのこと。
以前「烏山線」ポタで見かけた「歯痛地蔵」もこれと同じようなポーズだったのではないかな?
見方を変えると歯が痛いために頬を手で押さえているようにも見えますからね。

「地蔵縁起
 大地の栄養や精魂を収蔵していることで地蔵という。
 万物の母胎であり生命を育成する故に人々の様々の苦悩を救いあげる菩薩である。
 大道衆生の能化となり地獄までもお供して極苦の衆生を利益し尽未来際して衆生を成熟せん、という
 願力をお持ちの導師である。
 高福寺地蔵は延命地蔵である。
 当寺第四世門宅和尚が天和二年(一六八二年)に修復をされたが、どういう訳か頭が傾いてしまった。
 往時はよく飢饉があったので、飢えた衆生を悲しみ、いつでも救済に出かける用意をしていたのでしょうか。
 平成十年(一九九八年)再び修復を施す。
 頭の傾きが往時のままであるのは、、やはり昨今の信仰信念の頽廃を憂え、ストレスが多く、
 地獄、餓鬼、畜生、修羅に苦しむ衆生を救うのだと憶念しているようである。
 故にかしげ地蔵という。
 オンカーカーカミサンマエソワカ」

※説明文より引用、以下同じ


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「高福寺」入口から80mほど南にあるのが「とんかつ」専門店の「とんぷら」
「とんかつ」のことを「豚肉のてんぷら」と呼んだことが店の名前の由来なんだそう。
なかなか味のある看板と暖簾がかかっています。
そして「戸田藩 陣屋の水」という看板も。

左手にある立て看板には「ソースカツ重」をはじめとしたランチメニューが並んでいました。
でも今回は場所の確認だけで先に進みます(^^;


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路地を抜けたところ。
このあたりには「雪輪町」という風情のある名前がついています。
角の両側に立つ建物も歴史がありそうですね。
左の「博仁堂薬局」の前には「陣屋跡」の説明板が掲げられていました。

「陣屋跡
 足利戸田家は、宝永二年(一七〇五)に足利に領地を拝し、明治維新まで百六十年余にわたり当地を支配した。
 石高一万一千石余の譜代大名で、家臣は江戸時代末期には百六十六名であった。
 足利戸田家では城は築かず、陣屋と呼ばれる建物が現在の雪輪町一帯に置かれていた。
 足利戸田家の馬印は「雪輪」であり、その御陣屋があったことが町名の起源と伝えられている。」



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「博仁堂薬局」の角を東に進んだ先にあるのが「吉田小児科医院」
何の変哲もない普通の建物ですが、窓の上にかかるアーチ型のタープ(?)がなんだかかわいく見えたのでパチリ☆


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「吉田小児科医院」前の交差点はクランク状になっていて、左~右と立て続けに曲がります。
そして少し東に進むと名刹「鑁阿寺」(ばんなじ)があります。
ちなみにこの写真は南側から撮ったもの。

元々ここは12世紀半ばに「足利氏」の祖「源義康」が構えた館だったところです。
その後の1196年(建久7年)に「足利義兼」が敷地内に「大日如来」を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立しました。
本尊は現在も「大日如来」で、地元では親しみをこめて「大日さん」と呼ぶそうです。

正面は濠にかかる屋根つきの「反橋」(そりはし)で、その奥が「楼門」(ろうもん)です。
「楼門」の屋根の上部には3つの紋が並んでいますね。
左から順に「五七桐」「菊の御紋」「足利二つ引の紋」ですが、この由来についてはよくわかりません。
右が「足利氏」の家紋というのだけはわかりますが(^^;

「楼門及び反橋
 楼門は当山では仁王門または山門ともいう。
 開基足利義兼公が建久七年(一一九六年)創建せるも室町時代兵火にあい
 永禄七年(一五六四年)足利幕府十三代将軍足利義輝の再建である。
 構造雄大、手法剛健、入母屋造、行基葺き。
 両側の仁王尊像は此の建物より古く鎌倉時代運慶の作といわれている。
 反橋は俗に太鼓橋といい江戸時代安政年間の再修である。
 当山境内は面積一万二千三百坪(四〇.四六七平方メートル)、四周に濠と土塁をめぐらし四門あり。
 当山開基足利義兼公の祖父源義国(八幡太郎源義家の子、足利・新田両家の祖)が別業として平安時代末に構築せるものにして
 上古の豪族の居館を原形のまま今日に残したもの。
 実に近世城郭の原始を示しており、足利氏宅趾として大正十一年国が史蹟に指定した。
 楼門及び反橋は栃木県指定文化財である。」



鑁阿寺@Wiki


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入口の門には「鳳凰」の彫刻が。
そして「鬼瓦」「瓦当」(がとう)には「足利氏」の家紋が刻まれています。


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参道の左手にあるのが「多宝塔」「大銀杏」
「多宝塔」は日本で一番大きいとのことですが、その大きさはよくわかりません。
また「多宝塔」は1層目の一辺に柱が4本あり柱の間隔が3間あるもの、「大塔」は柱の間隔が5間あるものと区別しているようです。
また「大銀杏」は根元から2つに分かれていて「夫婦木」のようですね。

「多宝塔
 開基足利義兼公創建と伝えられているが、現在のは元禄五年徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院尼公の再建と伝えられていた。
 が、相輪の宝珠を調査したところ、寛永六年(一六二九年)銘のものが発見され、塔の再建年代がさかのぼることが判明した。
 徳川氏は新田氏の後裔(こうえい)と称し、新田氏は足利の庄より新田の庄に分家したるが故に徳川氏は
 祖先発祥の地なるを以て、この宝塔を祖先の菩提供養のため再建寄進した。
 ・本尊は金剛界大日如来 本尊前に勢至菩薩(俗に二十三夜尊)、両側に十六羅漢像を祀る。
 ・奥に足利家の大位牌と徳川歴代将軍のお位牌を祀る。
 ・多宝塔としては我国で一番大きい。(これ以上大きいのは大塔という)
 平成七・八年、半解体修理を実施した。」


「天然記念物 大銀杏
 開基足利義兼の御手植えと称しているが、鎌倉時代末期正和年間(一三一〇年)の当山古地図には載っていない。
 故三好学博士の鑑定によれば樹令約五百五十年といわれる。
 江戸時代には既に大木となり樹下に於て大日如来のお堂を前にして青年男女の見合いが行われ、
 縁結びの御神木ともいわれている。
 目通りの周囲九米、高さ約三十米。
 往古より避雷針の役目を果し、諸堂の災厄を守護した。
 最近、樹勢とみに衰え衆庶の愛護を切に望む。」


多宝塔@Wiki


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そして「本堂」
「楼門」と同じように3つの紋が並んでいます。

「鑁阿寺本堂(大御堂)
 鎌倉時代初期、建久七年(一一九六年)足利義兼の建立。
 本尊は源氏相伝の守本尊、大日如来。建築は構造雄大、手法剛健、本瓦葺。
 唐様と和様を加味した折衷の代表的な建物で堂内の柱、天井、厨子等の価値は高い。
 明治四十一年国宝に指定され、昭和八年より二年間、解体修理を文部省の指導の下実施した。
 戦後、法令の改正により重要文化財の指定を受く。
 境内に山門、鐘楼、不動堂、一切経堂、多宝塔、御霊殿等の七堂伽藍を備えた東国の密教の代表的な寺である。
 創建以来、幸い火災にあわず多数の重要文化財を蔵している。
 開基、義兼七世の孫は足利尊氏にして京都室町に幕府を構え、幕府は十五代二百三十年つづいた。
 大祭は五月三、四、五日、十一月三、四日、初詣、節分鎧年越等。
 厄除・開運の祈願寺として参拝者が多い。」



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鬼瓦の部分をアップに。
「鬼」の下に「龍」がいる2段構えになっているんですね。
こういう構造は初めて見ますが、ほかにもあるのかな?


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入口の「楼門」と「反橋」をもう1度。
手前の堀にはたくさんの「カルガモ」がいました。


11枚目 D700+VR70-300mmF4.5-5.6G
ほかはすべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、日本最古の学校である足利学校を訪ねます。
by sampo_katze | 2012-04-16 21:00 | with Brompton | Comments(0)


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