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最古の学校に行こう!
渡良瀬川自転車道と歴史の町・足利探訪ポタ編・第5回


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「豪農の屋敷のよう」


「鑁阿寺」(ばんなじ)の次は日本最古の学校といわれる「足利学校」です。
場所は「鑁阿寺」のすぐ南東にありますが、入口が南にあるためちょっと大回りする必要があります。
また入口付近には「自転車置き場」が用意されているので、「レンタサイクル」などで来たときも安心。
でもこのときはそれを知らなかったので、「国道293号線」をはさんで東側にある「太平記館」の駐車場に停めました(^^;


表紙の写真は、「足利学校」を「裏門」付近から眺めたところです。
大きな茅葺の屋根がある建物が並んでいて、学校というよりは「豪農」の家といった雰囲気がしますね。


足利学校
足利学校@Wiki
足利市観光協会|学び舎のまち足利


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「史跡 足利学校跡
 足利学校は、古記録や伝承によれば、もと現在地の南東方一キロ弱の国府野にあり、奈良・平安時代に諸国に置かれた
 国学の遺制であるといわれる。
 それは昭和五十一年の調査でも概ね裏付けられ、国学の府であれば、父祖が下野守であった参議小野篁の参画もあったであろう。
 その後、衰微した学校を貞和年中、関東管領足利基氏が興こし、さらに、永享年中、上杉憲実は、乱世の中にも僧快元を招き、
 学領を寄進し、書を献じ学規を定めた。
 そして、応仁元年(一四六七)大名長尾景人が、学校を現在の地に移建した。
 漢学・儒学・経学・易学・占卜(せんぼく)・医学・兵学などが講ぜられ、再興七代の庠主(しょうしゅ、校長)九華のころは、学徒三千人といわれ、
 フランシスコ・ザビエルは『日本国中最も大にして最も有名なる坂東の大学』といい、
 『四方より攻学の徒雲集す。』と、耶蘇会(やそかい)に報告している。
 江戸時代にも、学燈は受けつがれ、刀剣なども鍛たれ、文人・学者の来訪はしげく、古書、珍籍の秘庫として、遠く中国にもしられた。
 現在、入徳門、中門(学校門)、杏壇門、聖廟などがのこり、字降松(かなふりまつ)、歴代庠主の墓石もあるが、
 明治初年までは東小学校の敷地に書院、御祈祷殿、寮舎、文庫、倉庫、庭園、裏門があり、東西約一三五、南北約百二十メートルの
 長方形状に土塁と堀をもって全体を囲繞(いじょう)していた。
 いま、足利学校遺蹟図書館には、宋刊本『文選』(もんぜん)・『尚書正義』など、国宝、重要文化財指定の書籍をはじめ、
 和漢の書一万三千余冊を蔵し、毎年晩秋の一日、儒祖孔子を祭る釈奠(せきてん)の儀式が行われている。」

※説明文より引用、以下同じ


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1つ目の門である「入徳門」(にゅうとくもん)。
パンフレットによると・・・・
「入徳の額は、天保十一(一八四〇)年に掲げられたものです。
 現在の建物は裏門を移築したものといわれています。」


ということは、かつてここには門がなかったということでしょうか(^^;
表紙の写真にあるように「裏門」はまた別にありますし、この門は「土塁」よりも外にありますからね。

さて、中へ入るために入場料(入学金?)400円を受付で支払います。
するとパンフレットと一緒に入場券がもらえるのですが、表に「足利学校入学証」と書かれた立派なものになっています。
なかなか凝ってますよ。


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「受付」の斜向いにある「孔子像」
手前には龍のレリーフがありました。


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2つ目の門がおそらくもっとも知られている「学校門」
1668年(寛文8年)の創建で、ここから内側が学校の敷地です。
その奥に見えるのが「孔子廟」(こうしびょう)への入口である「杏壇門」(きょうだんもん)。
孔子が弟子たちを教えたところに杏の木が植えられていたことから「杏壇」となったそうです。


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「杏壇門」の右にあるのがもっとも大きい建物の「方丈」(ほうじょう)です。
高さは13.8mもあるとのことで、かなりの大きさですね。

「方丈、庫裡、書院等
 主屋は、左の方丈と右の庫裡、書院を玄関と北廊下でつないだ建物です。
 方丈は、六部屋からなり儀式や行事に使われました。
 庫裡は、竃(かまど)のある土間、板敷の台所、畳敷の四部屋からなり日常の生活空間でした。
 書院には床(とこ)、棚(たな)、付書院が設けられ、庠主(しょうしゅ)の接客の場所などに用いられました。
 屋根は方丈と庫裡が茅葺、書院が板葺、玄関が本瓦葺です。
 方丈の棟の高さは十三.八メートルもあります。
 造りは、質素ながら栂普請(とがぶしん)で、当時木目や色合いが愛されたトガ材を長押などに用いています。
 天井には、美しいヒメコマツの天井板を張っています。
 (宝暦年間の姿に復原)」



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こちらは「方丈」の右にある「庫裡」(くり)。
破風の部分が格子状になっているのは「かまど」から出る煙をのがすためなのかな?
ここの入口から「庫裡」や「方丈」などの建物の中に入ることができます。


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「方丈」の中はこんな感じ。
仕切りが取り外されているため、大広間のような雰囲気です。
小さい子は大喜び?(^^)
また時節柄「ひな人形」も飾られていました(撮影日は2月11日)


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縁側。
午後の日差しがさんさんと降り注ぐとても気持ちいい場所です。
向かいには「南庭園」が広がっています。


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南東角にある長屋は「衆寮」(しゅりょう)。
字のごとく「学生寮」として使われていたようです。

「衆寮
 衆寮は、僧房または学生寮です。
 学生が寄宿し、あるいは遠くから通う学生が写本をするために泊まったと思われます。
 桁行八間、梁間二間半、屋根は切妻造で板葺、外壁は上が土壁の漆喰仕上、下が板張です。
 内部は、六畳の間に、一間の土間がついて一部屋になり、それが四部屋続く長屋となっています。
 発掘調査の結果、堀の中から多数の灯明皿(とうみょうざら)が出土していることから、
 夜の闇の中で灯明をともし、学問に励んだ様子をうかがうことができます。
 (宝暦年間の姿に復原)」



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「衆寮」の中はこんな感じ。
実際はろうそくの明かりだけでしたから、夜は相当暗かったんでしょうね。


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敷地の西側にあるのが「旧遺蹟図書館」
元は1872年(明治5年)の廃校後の1903年(同36年)に開設されたものだそう。


「旧足利学校遺蹟図書館
 この建物は、大正四年八月に建設されたもので、屋根は入母屋造桟瓦葺で、基礎及び外壁は
 レンガ積みをした上にそれぞれ石材や漆喰で仕上げてあります。
 和風の屋根、洋風の外壁・内装など和洋折衷の洋式やポーチの懸魚(げぎょ)・蟇股(かえるまた)・
 格天井(ごうてんじょう)などの造りや、飾り瓦(水煙・すいえん)などに意匠的特徴の見られる
 大正時代の建造物として貴重な存在です。
 足利学校保存整備事業の一環として、平成六年度県の「輝くまちづくり事業」により屋根を中心に改修しました。」



足利学校遺蹟図書館@Wiki
懸魚@コトバンク
かえるまたとは@Weblio辞書


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「足利学校」から南に進み「県道67号線」に出ます。
その向かいにあるのが「富士屋」「あしかが逸品堂」

「富士屋」は「自慢焼き」(今川焼き)や「小倉アイス」を大きくアピールしていますが、
中は昭和レトロな食堂です。
また「あしかが逸品堂」では足利名物の「ポテト入り焼きそば」が味わえます。


富士屋@食べログ


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その向かいには「足利まちなか遊学館」
伝統産業の織物に関する資料の展示室や休憩室などがあります。
ここの左の道を進むと「足利学校」の正面へ出られるため、角に「孔子」の像が立っていますね。


足利まちなか遊学館


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「まちなか遊学館」から400mほどのところが玄関口の「JR両毛線」「足利駅」
こちらは北口で、1933年(昭和8年)に完成した木造の洋風建築です。
朝以外はずっと逆光になるので撮影は難しいですね(^^;


足利駅@Wiki


すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は最終回、渡良瀬遊水地を目指して走ります。
by sampo_katze | 2012-04-18 21:00 | with Brompton


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