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早稲田近辺
地下鉄に沿って走ろう!東京メトロ東西線編・最終回。


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「勇猛無比!」


今回訪ねた「東西線」は、東京都の「中野」と千葉県の「西船橋」とを結ぶ
全長30.8kmの路線で、「東京メトロ」9路線の中ではもっとも長い距離を走ります。
ちなみに東京でもっとも長いのは「都営大江戸線」で40.7kmもあり、これは同時に日本一長いです。

営業開始は1964年(昭和39年)12月23日高田馬場~九段下間(4.8km)でした。
当時は地上との連絡線がないため、本線のトンネル上部に搬入口を造りクレーンで吊り下ろしたんだそう。
まさに「地下鉄の電車はどこから~」ってやつですね(^^;
この2年後には「中野」まで開業したため、国鉄(当時)経由で搬入ができるようになりました。
車両の輸送の際に、非電化区間においては蒸気機関車が使われたこともあったそう!
今考えるとすごい時代ですね~☆
そして1969年(昭和44年)3月29日に全線が開業しています。

特徴としては次の点が挙げられます。
・路線の両端でJR線と相互乗り入れをしている(西船橋側は平日の朝夕ラッシュ時のみ)
・地下鉄なのに路線のほぼ半分の約14kmで地上を走る(当時はほぼ空き地で、建設費が地下の約10分の1で済んだ)
・快速に限り、自路線内で最高速度100km/hの運転を行っている(全線開業時から実施、これは日本初で現在も最速)

さて、今回は最終区間の「早稲田」から起点の「中野」まで走ります。


表紙の写真は、「早稲田」付近にある「穴八幡宮」入口にある「高田馬場の流鏑馬」(たかだのばば の やぶさめ)の像です。
「穴八幡宮」については後ほど・・・・・。

「享保十三年(1728)徳川将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒(ほうそうへいゆ)祈願のため、
 穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、
 以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場で流鏑馬が奉納された。
 明治維新以降中断し、昭和九年に皇太子(現天皇)誕生祝のため再興され、数回行われたが、戦争のため中断された。
 昭和三十九年流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、
 昭和五十四年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年十月十日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。
 古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。」



穴八幡宮@Wiki



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「早稲田通り」の「馬場下町交差点」側にある正面入口には急な階段。
さすがに「Brompton」を抱えて上がるのはキツイので、裏手にある坂道を上がりました(^^;
で、もう1度表に回って山門を。
改修されたばかりなのか、目にまぶしいくらいに朱色が輝いていました。

さて、「穴八幡宮」というちょっと変わった名前ですが、これにはどんな由来があるのでしょうか。
由緒は「源義家」が1062年(康平5年)奥州から凱旋する際、ここに立ち寄り兜と太刀を奉納し「八幡神」を祀ったことに始まります。
時は流れて1641年(寛永18年)のこと。
別当の「放生寺」を建立するため、社僧「良晶」が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の阿弥陀如来像が!
新しいお寺を建てようと作業しているところに仏様が出てきたのですから、掘った人々は「これは芽出度い!(めでたい)」と大喜び☆
以来、ここを「穴八幡宮」と称したんだそうです。


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山門にはこれまたきらびやかな彫刻が。
ずっと見てると目がくらみそうです(^^;


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参道を歩いていると右手に大きな石像が。
赤い頭巾と前かけをしているのでお地蔵様?と思ってしまいますね。

これは七福神の「布袋様」で、右手のほうは「水鉢」(手水を入れるための器)になっています。
1649年(慶安2年)に造られた区内最古の水鉢で、もともとは「江戸城吹上御苑」に置かれていたものを
3代将軍「徳川家光」がこちらに奉納したんだそうです。
ちなみにこのときは周囲を工事していたためか、水は入っていませんでした。
あるいは普段から使われていないのかな?


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そして「社殿」。
山門のきらびやかさとは一転、シックな装いです。


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その前で目を光らせる狛犬。


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「穴八幡宮」をあとにして、「早稲田通り」の反対側にある「早稲田大学」へ。
ここのシンボルタワーともいうべき「大隈講堂」です。
1927年(昭和2年)10月に竣工した、その名の通り早稲田の創立者「大隈重信」を記念した講堂で高さは約37.8m。
尺貫法にすると125尺で、これは「大隈重信」が提唱した「人生125歳」説にちなんだものだそう。


早稲田大学
大隈講堂@Wiki


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その近くにあるとんがり屋根のかわいい建物。
「ブラタモリ」のレギュラー放送第1回でも登場しました。
というか、わたしはそれで知ったんですが(^^;
この中で「早稲田」という地名の由来となった田園風景が紹介されていてビックリ。
またこの小さな建物には「日本交通公社」(現在の「JTB」)の早稲田出張所が入っていて、
「タモリさん」もここで切符を買ったりしていたんだとか。


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「大隈講堂」から細い道を抜けて「新目白通り」へ。
ここには「都電荒川線」の「早稲田駅」があります。
駅のそばでは肝心の電車がよく見えないので、少し西寄りの交差点で待つことに。
で、現れたのは・・・・・新車?

これは2009年4月下旬に登場したばかりの「8800形電車」
一般応募による投票で選ばれたデザインを採用しているそうで、丸っこくてかわいい雰囲気ですね。


都電荒川線


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「早稲田」と「高田馬場」の間にて。
とある古本屋さんのシャッターに描かれたイラストがほほえましい感じだったので1枚。


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「早稲田通り」の「馬場口交差点」にあるちょっとレトロな雰囲気の「三ツ矢堂製麺所」
切り抜き文字とその下に並ぶライトアップ用の照明がどこか昭和の香りを感じます。
「製麺所」とありますが、実際には「つけめん処」とあるように「つけめん」のお店のようです。


三ツ矢堂製麺


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「高田馬場」でJRの高架をくぐり抜けたらあとは「中野」まで一直線!
「中野」といえば「中野サンプラザ」ということで、最後はお約束の建物を。
それにしても独特の建物の形ですね。


SUNPLAZAオフィシャルサイト
中野サンプラザ@Wiki



思ったよりも早く「中野」に着いたので、もう少し走ろうとひとまず「新宿」へ。
ちょうど「都営新宿線」の起点でもあるので、そのまま線路沿いに東に走ることにしました。
ただ下調べをしていなかったので、おおよそどんなところを走っているのかをつかむ程度になりましたが(^^;
「岩本町」からは「靖国通り」を外れて南東方向に線路は伸びていますが、そのまま直進して「浅草橋」へ。

そこから北に進路を変えて「都営浅草線」に沿って「浅草」へと向かいそこで終了。
2日目の走行距離は40kmちょっとで、ほぼ「東西線」の路線長とほぼ同じとなりました。
個人的には50kmの大台に乗せたかったところですが、まぁ仕方ないですね。
暑かったし(^^;


今回のルート(走行距離:42.6km)
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9枚目 D40+VR70-300mmF4.5-5.6G
13枚目 PC画面キャプチャ
ほかはすべて D40+DX18-70mmF3.5-4.5G


次回から新シリーズ、山陰で山登りと世界遺産めぐりです。
by sampo_katze | 2010-11-05 14:50 | Brompton+地下鉄 | Comments(0)


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