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滝野川界隈~巣鴨へ
地下鉄に沿って走ろう!都営三田線編・第3回。


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「猫も一時停止」


前回に引き続き、「板橋」界隈からスタートです。
「板橋」は「JR埼京線」では「池袋」から1つ目の駅なんですが、雰囲気は下町とまではいかないまでも
どこかのんびりとした空気が感じられます。
そういえば以前「丸の内線ポタ」で池袋界隈を走ったときも、駅から少し離れるとずいぶん雰囲気が変わったなと感じたことがありました。


表紙の写真は、「JR板橋駅」の北にある踏切です。
ここを走る路線名は「埼京線」ですが、表示は「赤羽線仲仙道踏切」になってますね。
これ、実は「埼京線」は正式な路線名称ではなく「通称」で「池袋」~「赤羽」間は「赤羽線」なんですね。
1985年(昭和60年)9月30日に「埼京線」が開業し、このとき「赤羽線」も組み込まれて表面上名称がなくなりました。
ただ、正式名称はそのままなのでこのような形で見られるんですね。

また「中山道」ではなく「仲仙道」となっている理由はわかりません。
また場所によっては「中仙道」と書くところもあるようで・・・・・う~~ん??
なお1716年(正徳6年)の江戸幕府が表記を「中山道」とする通達を出しています。


埼京線
中山道
いずれも@Wiki


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「板橋駅」の東口(滝野川口)前に「新選組隊士供養塔」「近藤勇」の墓などがある広場があります。
説明にもありますが「板橋刑場」がこの近くにあり、「近藤勇」はここに埋葬されているんだそう。
大河ドラマで「新選組」が放映されていた頃は賑わっていたかもしれませんが
今は駅前にあるにも関わらずひっそりとしています。

「慶応四年(一八六八)四月二十五日、新選組局長であった近藤勇は、中山道板橋宿手前の平尾一里塚付近に設けられた刑場で
官軍により斬首処刑されました。
その後、首級は京都に送られ胴体は刑場より少し離れたこの場所に埋葬されました。
 本供養塔は没後の明治九年(一八七六)五月に隊士の一人であり近藤に私淑していた永倉(本名長倉)新八が発起人となり
 旧幕府御典医であった松本順の協力を得て造立されました。
 (中略)
 正面には「近藤勇 冝昌 土方歳三義豊 之墓」と刻まれており、副長の土方歳三の名も近藤勇の右に併記されています。
 なお、近藤勇の諱(いみな)である 昌冝 が 冝昌 とされていることについては明らかになっていません。
 右側面と左側面には、それぞれ八段にわたり井上源三郎を筆頭に合計百十名の隊士などの名前が刻まれています。(以下略)」

※案内板より引用


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「近藤勇」の石像。
強く握られた右こぶしを見ていると、「握りこぶしを口に入れたり出したりする」という特技があることを思い出しました。
なんでも尊敬する戦国武将の「加藤清正」も同じ特技を持っていて、これをまねたものなんだとか。
わたしがこのことを知ったのは「トリビアの泉」を見たからなんですが、
その中で司会進行役の「八嶋智人」(やしまのりと)さんもそれができたことにオドロキ!


近藤勇@Wiki


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「丸の内線ポタ」「四ッ谷」付近を走ったとき、怪談話でおなじみの「お岩さん」ゆかりの「田宮神社」を訪ねました。
そのとき菩提寺である「妙行寺」が巣鴨にあるということだったので、そちらに向かおうとしたら行き止まりに!
地図は見ていたんですが、記号に隠れて道が途切れていることに気づかなかったんですね(^^;
仕方なく引き返そうとしたところ、ひなたぼっこしていた猫を見つけたのでパチリ☆


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戻る途中、道に点々とある小さなパネルが気になりました。
表面にはひし形の頂点に向けた1本の矢印と「境界 TOSHIMA」の文字が刻まれています。
地図を見るととなりの「北区」との区界は少し先(一番近いところでも約100m)ですし、地区の区分ともちがうよう。
なんの境界を示しているのかはよくわかりません。
この左手はお寺なので、住宅地とお寺の境界なのかもしれませんが・・・・・。


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「西巣鴨駅」入口にあった謎の物体。
白い逆三角錐に青いラインが巻かれていて、クルクル回っています。
床屋のサインだったら赤と青ですし、こんなとんがってませんよね。

実はこのサイン、「都営地下鉄」の乗り場入口を示しているものなんだそう。
その名も「くるくるシンボル」
でもかなり小さいのであまり目立ってないし、その存在もあまり浸透しているとは言いがたいですね。
そのものズバリ「電車」のピクトグラムを使ったほうがわかりやすいですし(^^;


都営地下鉄入り口の謎のオブジェ@エキサイトコネタ



そして紆余曲折の末(?)ようやく「妙行寺」に到着。
「お岩さん」の墓所は境内の一番奥にありました。
由緒は次の通り。

「お岩様が、夫伊右衛門との折り合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永十三年二月二十二日であり
 爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。
 この寺も当時四谷にあったが、明治四十二年に現在地に移転した。
 お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。」


以前に「田宮神社」で見た内容とちょっとちがうところがあるようですが、なんでだろ?
また、ここには「浅野家」の墓所もあります。


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ちょっと面白いのが入口近くにある「魚がし供養碑」
「魚がしで犠牲になった生類の供養塔」だそうです。


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そのとなりには「うなぎ供養碑」も。
こちらも「都内全うなぎ商の菩提心により建てられた供養塔」とのこと。

わたしたちが日々生きていられるのも、命あるものを食べているから。
「いただきます」の気持ちは忘れないようにしなければなりませんね。


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境内にある井戸。
供養塔や墓地などで使用するお水はこれでまかなえるようです。


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「都電荒川線」の踏切を渡り、しばらく路地を南に進んで「本妙寺」へ。
ここには名奉行として知られる「遠山金四郎」(景元)や剣の達人「千葉周作」
囲碁の歴代本因坊、江戸時代の将棋指し「天野宗歩」の墓所があります。


本妙寺公式HP
本妙寺(豊島区)@Wiki
遠山景元@Wiki
※その他の著名人については「本妙寺」の項内にあるリンクを参照ください。


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本堂の裏手にあるのが1657年(明暦3年)の「明暦の大火」、通称「振袖火事」で亡くなられた方々の供養碑。
火事の原因は諸説ありますがその中の1つに、この寺の「施餓鬼」(せがき)のお焚き上げから火が出たというのがあり
それに関連してこの供養塔が建てられたのかもしれません。


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最後に「とげぬき地蔵」として知られる「高岩寺」(こうがんじ)界隈へ。
巣鴨の名所としてあまりにも有名ですが、訪ねるのは初めて。
でも休日の午後ということもあって、人でいっぱい!
徒歩ならよかったんですが自転車では自由が利かないので、境内には入らずそとからちらっと見て終了。
またその周辺に連なる「巣鴨地蔵通商店街」も人通りが多かったので、撮影はあきらめました。

で、商店街を抜けて撮ったこれが南側の入口です(^^ゞ
ここから南に少し歩くと「巣鴨駅」(JR山手線、都営三田線)があります。
「高岩寺」へのアクセスはちょっと離れますが「都電荒川線」「庚申塚駅」(こうしんづか)からも行けますね。


高岩寺@Wiki


すべて D40+DX18-70mmF3.5-4.5G


次回は前半最後、「三田線」沿いに巣鴨から大手町へ行き、折り返して浅草まで走ります。
by sampo_katze | 2011-02-12 21:40 | Brompton+地下鉄 | Comments(0)


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