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神宮外苑から内掘へ
地下鉄に沿って走ろう!東京メトロ半蔵門線編・第2回


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「荘厳な建物」


前回から「半蔵門線」沿いを走っていますが、初めのほうは「銀座線ポタ」ですでに走っているルート。
同じところを走ったところで何か新しい発見があるのかな?なんて思っていたんですが、
よく見ずに走り始めた「渋谷駅」周辺だけでなく、途中のルートでも新たな発見がありました。
「銀座線」のときは完全に初めての地下鉄探索だっただけに、コツというか観察眼が足りなかったのかもしれません。
そう考えると安易にスルーしなくてよかったと思ったりして(^^;

そして変化の激しい東京のこと。
もしかすると1年後くらいにもう1度走ってみると、またちがった風景やスポットが見つかったりするかもしれませんね。

さて、今回は「表参道」を越えて「明治神宮外苑」あたりからスタートです。
「神宮外苑」といえば「イチョウ並木」が有名ですが、さすがに3月半ばではまだ冬枯れの状態でした。
「銀座線ポタ」で走ったときは5月の連休中だったので、新緑がまぶしかったですが。


表紙の写真は、「神宮外苑」の北に建つ「聖徳記念絵画館」(せいとくきねんかいがかん)です。
1919年(大正8年)3月に着工し、1926年(大正15年)10月に開館しました。
この建物は「明治天皇」「昭憲皇后」の遺徳を描いた日本画・西洋画それぞれ40点が展示されています。

左に写っている照明は隣接する「国立競技場」のもの。
「神宮球場」はさらに向かって左の方にあります。


明治神宮外苑公式HP
明治神宮外苑@Wiki


・「銀座線ポタ」で訪ねたときの記事はこちら
2010年5月29日の記事 ご利益めぐり

・イチョウ並木が見頃のときに訪ねたときの様子はこちら
2006年12月13日の記事 黄葉


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「絵画館」左側の向かいには、かつて「樺太」にあった「樺太国境画定標石」がありました。

「明治三十七、八年の日露戦役の講和条約でカラフトの北緯五十度以南は、日本の領土となりました。
 その境界を標示するため、日露両国委員は、明治四十年九月四基の天測標と十七基の小標石を建てて境界を確定しました。
 この境界標石は、外苑創設に際し、明治時代の一つの記念物として、樺太庁がこれを模造し外苑に寄贈したものです。
 日本側の菊の紋章の背面には露国の鷲の紋章が刻んであります。」

※案内板より引用、一部略

残念ながら背面に回ることができないため、鷲の紋章を見ることはできません。


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「神宮外苑」を出て「青山通り」を東へと走ります。
「赤坂御用地」の南側を走り抜けたところには「豊川稲荷」があり、境内の売店では名物の「いなりずし」が売っています。
「銀座線ポタ」のときは着いた時間が早く、まだできていなかったので食べられませんでしたが
下見走のときは午後だったので入手することができました(^∇^)
あぶらあげにたっぷりと汁がしみ込んでいてジューシー☆
とってもおいしかったですよ!

ちなみに本走のときもタイミングが合わず買えませんでした。
う~ん、残念!(^^;


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「赤坂見附交差点」では道路が複雑に交差していますが、地下でも「銀座線」に「丸の内線」、「半蔵門線」が交差しています。
その交差点を抜けて「外堀」の1つ「弁慶堀」が途切れるあたりにあるのが「赤坂見附跡」の石垣。
背景の高いビルは「グランドプリンスホテル赤坂」の新館で、先月31日を持って営業を終了しています。
また、この裏手には「都道府県会館」があります。

「正面にある石垣は、江戸城外郭門のひとつである赤坂御門の一部で、この周辺は「江戸城外堀跡」として国の史跡に指定されています。
 江戸城の門は、敵の侵入を発見する施設であるため「見附」とも呼ばれ、ふたつの門が直角に配置された「枡形門」(ますがたもん)の形式をとっています。
 赤坂御門はその面影をほとんど残していませんが、現在でも旧江戸城の田安門や桜田門には同じ形式の門を見ることができます。
 赤坂御門は、寛永13年(1636)に筑前福岡藩主黒田忠之により、この桝形石垣が造られ、
 同16年(1639)には御門普請奉行の加藤正直(なおまさ)・小川安則によって門が完成しました。
 明治時代以降、門が撤廃され、その石垣も図のように大部分が撤去されましたが、平成3年に帝都高速度交通営団による
 地下鉄7号線建設工事に伴う発掘調査によって地中の石垣が発見されました。
 現在、この石垣の下には、発掘調査によって発見された石垣が現状保存されています。」

※案内板より引用、地下鉄7号線=東京メトロ南北線


グランドプリンスホテル赤坂
グランドプリンスホテル赤坂@Wiki
財団法人 都道府県会館


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「赤坂見附跡」から路地を北に入ります。
ここはまだ未走の「有楽町線」沿いになるんですが、ちょっと気になったもので(^^ゞ
少し走ったところで左を見ると瀟洒な洋館が目に入りました。
これは「グランドプリンスホテル赤坂」の旧館です。
元は1930年(昭和5年)に建てられた「李王家」の邸宅だったものだそう。
なお「新館」は今後取り壊されますが、こちらの「旧館」は保存されるようですね。


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「旧館」の後ろにそびえる建物群。
左から「新館」、「ホテルニューオータニ」「ガーデンコート」、同「ガーデンタワー」です。
「ガーデンタワー」の外観は三方に広がった主塔に円柱が乗っかったような、ちょっと変わった外観が目を引きます。


ホテルニューオータニ


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「国立劇場」の裏手を回って「隼町交差点」へ。
そこから見た「最高裁判所」の建物。
石切り場から切り出したばかりの石を積み上げたような外観は、一見すると「裁判所」とは思えません。
美術館といった方がふさわしい感じがするんですが(^^;


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「最高裁」の南側を直進し、ちょっと「半蔵門線」沿いから外れて「三宅坂」を下ります。
その途中から「内堀」を眺めてみました。
とてもいい天気で風も弱く、堀端を走るランナーがこの日も大勢いましたね。


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折り返して「三宅坂」を上り、「半蔵門」の前をさらに進みます。
「半蔵門」は「服部半蔵」(服部正成)の屋敷が門前にあったことから、あるいは「伊賀越え」の功績をたたえてつけられたもの。

その少し先に「駐日英国大使館」があり、前の歩道には「植樹記念碑」がひっそりと立っていました。

「1898年、駐日英国公使 サー・アーネスト・サトウがこの地に初めて桜を植えました。
 植樹100周年を記念して、1998年春、駐日英国大使館は新たに桜を植え、日英両国の友好の証とします。
 この記念碑は紀宮清子内親王殿下によって除幕されました。
 1998年4月3日
 シルビア・オーウェンズ作」



服部半蔵@Wiki


神宮外苑から内掘へ_c0081462_2043121.jpg
最後は「二松学舎大学九段キャンパス」の向かいに建つ「イタリア文化会館」
道路に面した壁の鮮やかな赤が目を引きます。


イタリア文化会館 東京


すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、皇居・北の丸公園をめぐります。
by sampo_katze | 2011-04-27 20:45 | Brompton+地下鉄 | Comments(0)


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