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大多喜城へ
房総半島縦断鉄道ポタ~いすみ鉄道編・第3回


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「きれいな駅」

道の駅「たけゆらの里 おおたき」で一休み&カロリー補給して元気回復。
足取りも軽くなったので先へと進みます。
それまでずっと曇り空だったのが、雲間からうっすらと日も差してきたのもありがたい!
遅かれ早かれ天気は悪くなる方向なので、できる限り先に進めたらと思っていたので。

道の駅を出てからは「国道297号線」、通称「大多喜街道」を進みます。
この道は外房の「勝浦」から「大多喜」を通り、山を越えて「小湊鐵道」「上総鶴舞駅」付近へ。
そこから路線とほぼ並走して内房の「八幡宿」(やわたじゅく)へと縦断する主要道路。
交通量も結構あるのでできれば避けたいところだったんですが、裏道となりそうなルートもないので
後続車に気をつけながら走りました。
道はあるにはあるんですが、蛇行する「夷隅川」に架かる橋が主要道路にしかないんですよね。

そして約2.5kmほど進んだ「上原交差点」「←大多喜城」なる看板を発見!
地図を見ての机上の予定ではもう少し先だったんですが、国道から離れられればいいやということで。
でもそこからしばらくは次の案内が出てこなくてちょっと心配になりました(^^;
まぁこの手の看板は車相手ですから、少し走ったくらいでは出てこないのかもしれませんが。


表紙の写真は、「東総元」(ひがしふさもと)の次の「小谷松駅」(こやまつ)です。
「上原交差点」1つ手前の「八声」(やこえ)というちょっと変わった名前の交差点を左に入り
「国道465号線」を少し戻るんですが、そこから駅への分岐点は少しわかりづらかったですね。

花壇には「ケイトウ」の鮮やかな花が咲き、線路をはさんだ反対側には時期外れで少ないとはいえ
「アジサイ」の青い花が顔を出していました。
列車の停まるエリアのバラスト(砕石)もきれいですね。
いつも整備している方がいらっしゃるのかな?


千葉県立中央博物館 大多喜城分館
大多喜城@Wiki


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踏切の反対側には「熊野神社」が。
暑かったので石段を上がらず、鳥居とその先に見える社を撮っただけでスルーしちゃいました(汗)
おかげで由緒などはわかりませんでしたが、「熊野三山」信仰により建てられたものかと。


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「上原交差点」から県道を進み「大多喜病院」へ至る道を左に曲がります。
その先にあるのが「夷隅川」(いすみがわ)に架かる「深瀬橋」
欄干には「大多喜城」のレリーフがありました。


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向かいにもカラーのレリーフが。
合戦がモチーフのようですが、いつのかはわかりません。
戦国時代の「里見氏」の内紛のようですが。

稲村の変@Wiki


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橋から先はちょっとした上り。
普段ならまだしも、この日は暑かったのでちょっとこたえました(汗)
なんとか上りきると、山の向こうに天守閣が。

え゛!!ここを下ってまだ上るの!?orz

実はここは三叉路。
地図を見ると左に進んで「大多喜町薬草園」前を経由してもいけそうです。
イチかバチかで進んでみると、最初にほんのちょっと上るだけで済みました。
よかった~!
もっとも天守閣のあるところまでは、徒歩ですが上らないとならないんですけどね(^^;


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途中「大多喜町中央公民館」前を通ると、反対側には「展望コース」なる山道が。
まだ自転車にまたがってる状態ですし、とても登れるような状態じゃなかったのでスルーしましたが。

傍らには「イノシシ注意」だの「まむし、ハチに注意」だのと立て札が。
あげくに「毒蛇注意!」というのもあって、ちょっと躊躇しちゃいますね~(汗)
もっとも、よほどのことがない限りはあちらから攻撃してくることはないようですが。


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そこを過ぎると急な下り!
そしてすぐに駐車場へ出ました。
自転車のスペースはないようなので、片隅の看板にワイヤーキーでくくりつけておきます。

いざお城へ!と思ったら・・・・・。
柵で囲まれた街路灯の足下にびろーんと体を伸ばした猫が!
体をピッタリとコンクリートの支柱にくっつけてお昼寝中
コンクリートの冷たさが気持ちいいんだろうな~(^^)
わたしもあやかりたい!


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駐車場から150mほど上がると「大多喜城」があります。
正式には「千葉県立中央博物館 大多喜城分館」で、この天守閣は1975年(昭和50年)に再建されたものです。
館内は4階の展示室に分かれています。
最上階は展望室がないため、景色を楽しむにはちょっと物足りないかも?

「千葉県指定史跡の上総大多喜城本丸跡に建設された天守閣づくりの特色ある歴史博物館です。
 常設展では、「房総の城と城下町」を主題とした展示を公開しています。
 そのほか、この地方に残されている優れた文化遺跡を紹介する役割も果たしています。
 また、資料の調査・研究・保管・展示を行い、県民の生涯学習に寄与することを目指しています。

 上総大多喜城は、戦国時代に築かれ、小田原北条氏の滅亡に伴い、徳川四天王の一人である
 本田忠勝(ほんだただかつ)がこの地に十万石で封じられました。
 城主は、本多氏三代のあと、阿部氏等の譜代大名が入りましたが、元禄16年(1703)の松平氏の入城以降は
 9代続き、最後の城主松平正質(まさただ)の代に明治維新を迎えました。」

※案内看板より引用


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石垣。
ここも「天守閣」と同時期に復元されたものと思われ。

「日本で最初の本格的な石垣造りの城は安土城でそれ以降、大名が城作りで最も力を入れるのが石垣造りです。
石は一般に、安山岩(あんざんがん)・花崗岩(かこうがん)・片麻岩(へんまがん)が多く使われ、
近くに良質な石がない場合は遠くから運んで造りました。
石の積み方は、野面積み(のづらづみ)・打込みはぎ・切込みはぎの三種類に大きく分けられます。
当博物館の石垣は、野面積みと打込みはぎの中間の方法で作られています。」

※説明板より引用


石垣の積み方@Wiki


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城からの帰り道、岩壁に縦長の穴が開いているのを発見。
その上には小さな祠が置かれていました。
これは明治初期に造られた「大多喜水道」の跡だそう。
説明にありますが、全体の8割近くがトンネルでできているというのは意外でした。
当時の技術では簡単な事業ではなかったのでは?と思うんですが。

「城下町大多喜は、昔から良い飲み水に恵まれず、人々の苦労は絶えませんでした。
最後の城主である松平(大河内・おおこうち)正質(まさただ)の頃ようやく水道の工事が具体化し、
明治二年(一八六九)十一月に工事を始め、翌明治三年五月に完成しました。
この水道によって、城下二百戸が潤い、二千ヘクタールの水田の灌漑(かんがい)が行われました。

水源 ここから西へ約二キロの水流
全長 約五・八キロ(うち約四キロはトンネル)
責任者 柳原(やなばら) 小高半左衛門
工事 上原(うえばら) 三上七五郎
   小苗(こみょう) 高橋四郎左衛門」

※説明板より引用


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お昼は駐車場にある茶店で「鹿南蛮そば」を。
温かいのもできるんですが、外が暑かったので冷たいのにしました(^^)

また「鹿南蛮」を頼んだ人へのサービスということで「ところてん」をつけてくれました。
ラッキー☆
ほかの日はどうかはわかりませんので念のため。


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食後、先に進むべく自転車のところに戻ったら・・・・・。
まったく同じ体勢で柱にくっついているあの猫がいました!(笑)
さすがに先ほどの面は温かくなったからか、別の面に移動していたのがまた笑えます(^^)


すべて D40+DX18-70mmF3.5-4.5G


次回は、大多喜の町をめぐります。
by sampo_katze | 2011-09-18 20:30 | Brompton+ローカル線 | Comments(0)


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