人気ブログランキング | 話題のタグを見る
航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる
所沢航空公園~狭山湖&多摩湖ポタ・前編


航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_20267.jpg
「ジェット機のエンジン風」


今回は6月唯一の出走記録です(^^;
6月は前半は出張、中旬以降は天気が悪かったり都合が合わなかったりと走る機会に恵まれず
かろうじて23日(土)は走ることができました。
奇しくもこの日は「東北新幹線」の開業(当時は大宮駅始発でしたが)からちょうど30年という節目の日。
当初はこのイベントにからめて1つのポタを考えていたんですけどね~。
それは実現しませんでしたが、個人的にこの日に走ることができたのはよかったです。
そして次の日はこの日よりも天気がよく、ちょっともったいないことをした!という思いもありましたが(^^;
で、今回は「所沢」にある「所沢航空記念公園」を訪ねました。

「埼玉県」は、実は自転車の保有率が日本一なんだそう。
また近年の自転車への関心の高さとあわせ、2010年(平成22年)に県内の見所をめぐる100ルートが選定されました。
そのルートをまとめたガイドブック「ぐるっと埼玉サイクリングルート100」を最近購入。
その中に掲載されていたルートの1つ(ルート57)です。
そしてこれだけだと3kmほどと物足りないので、ルート56「多摩湖・狭山湖はしごルート」と組み合わせることにしました。


表紙の写真は、公園内のシンボルの1つである「所沢航空発祥記念館」です。
1993年(平成5年)に開館した建物で、多くの実機が展示されています。
「フライトシミュレータ」や映像展示などもありますよ。

「所沢市指定文化財(史跡)  航空発祥の地
 所沢市が日本の航空発祥の地といわれているのは、明治四十四年(一九一一年)四月、
 所沢に日本初の飛行場が開設されたことによります。
 明治四十二年(一九〇九年)七月、勅令により臨時軍用気球研究会が発足し、航空機に関する研究が開始されました。
 栃木県大田原や千葉県下志津なども候補地にあがりましたが、旧所沢町と松井村にまたがる地域に決定されました。
 気象条件や地形の起伏などが選定の理由であったとされています。
 開設当初、所沢飛行場の敷地面積は約七十六.三ヘクタール。
 飛行機格納庫、気象観測所、軽油庫、東西方向に幅五十メートル、長さ約四百メートルの滑走路を持つ飛行場でした。
 この県営所沢記念公園は、所沢飛行場の跡地に造られた都市公園です。
 所沢飛行場での初飛行は、明治四十四年(一九一一年)四月五日の早朝に開始されました。
 まず、徳川好敏(よしとし)大尉がアンリ・ファルマン機で飛揚し、約一分で着陸。
 続いて、日野熊蔵(ひのくまぞう)大尉がライト機で三分三十秒の飛行時間を記録しました。
 所沢の住民はもとより、多くの見学者が、飛行を一目見ようと近在各地から集まり、訓練日には桟敷が設けられ、
 飛翔のたびに歓声が上がったといわれています。」

※説明板より引用、以下同じ


ぐるっと埼玉サイクルネットワーク構想@埼玉県HP
所沢航空記念公園
所沢航空発祥記念館


blogram ランキング参加中!よろしければクリックをお願いします。
blogram投票ボタン









航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_2025926.jpg
園内の中央にある「茶室 彩翔亭」
その入口の前を通り、坂を下ったところに「フォール大佐」の銅像があります。
少し奥まったところにあるのでやや見つけづらいですが。

「フォール大佐の像
 フォール フランス陸軍砲兵大佐は 大正八年一月 六十三名のフランス航空教育団長として来日
 約十九ヶ月にわたり航空技術の指導教育をし 我が国航空界の発展に貢献しました。」



航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_2031656.jpg
中央付近に立つ「時計塔」から南へと進むと、右手に「バスケットボール」のハーフコートがあります。
その先で左に伸びる小道に入ると左に見えるのが「木村・徳田両中尉記念塔/追悼の慰霊碑」
日本で最初の航空機事故で殉職した両中尉の銅像です。

「天正二年二月二十八日
 陸軍ノ航空術ヲ兩院議員ノ観覧ニ供スルニ當リ陸軍砲兵中尉木村鈴四郎ハ
 「ブレリオ」式飛行機ヲ操縦シテ所澤ヨリ青山練兵場ニ至リ次テ陸軍歩兵中尉徳田金一ヲ載セテ
 ●航セシニ偶突風ニ機翼ヲ毀損セラレ木村中尉ハ其ノ卓絶セル伎倆ヲ施スニ由ナク徳田中尉ト共ニ
 此ノ地ニ墜落シテ壮烈ナル最期ヲ遂ケタリ。
 惟フニ飛行機ノ軍國ノ用ヲナスコト多大ナルハ言ヲ俟タス其ノ研鑚ノ初ニ於テ一身ヲ犠牲ニ供シタル
 兩中尉ノ事蹟ハ之ヲ千載ニ傅ヘテ朽チサルヘシ
 乃チ有志相謀リ記念塔ヲ建テ以テ後人ニ貽スト云爾
  天正三年三月 建設発起者  やまと新聞社」
※●は不明



航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_2034573.jpg
中央の広場に戻ります。
これは公園の前身である「所沢飛行場」の当時の敷地と現在の地図を重ねたもの。
滑走路の一部は「沈床茶園」と呼ばれる花壇になっています。


航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_2041030.jpg
初めて日本の空を飛んだ「アンリ・ファルマン複葉機」のモニュメント。
「沈床茶園」の東側にあります。

「あっ、飛行機がとんだ!
 この地点はわが国最初の公式飛行場「所沢飛行場」の滑走路にあたります。
 この滑走路で1911年(明治44年)4月5日早朝、徳川好敏大尉操縦のアンリ・ファルマン機が初飛行を行いました。
 この飛行は公式飛行場における日本最初の快挙であり、以来所沢は「日本の航空発祥の地」といわれています。
 このモニュメントは、その偉業を成し遂げた滑走路を永遠にたたえる意味で作成されました。」


ファルマンⅢ@Wiki


航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_2043944.jpg
「スペースシャトル」をかたどった「トピアリー」
「航空」というよりは「宇宙」のイメージですけどね(笑)


航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_205671.jpg
「記念館」の前にも小さなトピアリーが。
ただ、時期的に花がついていないのでちょっとさみしい姿ですね(^^;


航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_2052838.jpg
こちらは屋外展示されている「C-46輸送機」
背後に立つ塔は「放送塔」です。

「C-46中型輸送機(天馬)
 C-46型輸送機は、アメリカのカーチス・ライト社が1940年3月から総数3,180機を製造しました。
 当初は軍用輸送機として使用されていましたが、戦後は数多くが民間旅客機として使用されました。
 日本では、昭和30年1月航空自衛隊の輸送機としてC-46D型機を初装備し、昭和34年12月にはC-46A型機を輸入して
 総数47機を保有していました。
 この輸送機は『空のデゴイチ』とも呼ばれ、航空自衛隊では災害時の緊急物資輸送などに広く活躍しました。
 ここ所沢航空記念公園に展示しているC-46A型輸送機は、航空自衛隊入間基地で使用されていたものを、
 昭和55年3月に分解、運搬し、当公園のシンボルとして設置したものです。
 本機は、全幅32.9m、全長23.3m、全高6.6m、自重13.6トンで、エンジンはプラット・アンド・ホイットニー社製
 空冷18気筒星型2,000hp×2基です。
 最大速度は433km/h、上昇限度は8,400m、航続距離は2,200kmで、乗員5名、輸送人員は50名です。」


C-46(航空機)@Wiki


航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_2061060.jpg
周りは柵で囲まれているのであまり近づけませんが、それでもなかなかの迫力です。


航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_2063876.jpg
真正面から。


航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_2065962.jpg
と、上空を現役の輸送機が通過していきます。
中型輸送機の「C-1」だろうと思うんですが、「垂直尾翼」に書かれた番号が読み取れません。
もやってますし、300mm(450mm相当)でもこの大きさですからね~(^^;


航空発祥の地・所沢航空記念公園をめぐる_c0081462_2072873.jpg
最後は横顔を。
ここに設置されてから20年以上経過しているんですが、とても美しい姿を保っています。


1~5、9枚目 D40+DX18-55mmF3.5-5.6GⅡ
6、10~12枚目 D40+VR70-300mmF4.5-5.6G


次回は中編、西武新宿線の航空公園駅前に立ち寄ります。
by sampo_katze | 2012-07-27 20:05 | with Brompton | Comments(0)


<< 駅前にあるYS-11 姫路城のそばにある動物園 >>