蜜蜂的九州周遊ポタ in 2012夏編・第9回
![]() 「門司港レトロ地区」から「関門トンネル」を抜けて「下関」側にやってきました。 これで「しまなみ海道」に続き、自力での海上横断(?)を達成しました。 もっともその移動距離は1kmにも満たないものですけど(笑) ところで。 「関門トンネル」は海底にあるので地上よりは幾分気温が低いのですが、やはりこの猛暑の下では焼け石に水だったようです。 さらに海水がしみ出してくるので湿度もかなり高い。 なにしろ説明板によればその量はなんと「1日4,800t、ドラム缶にすれば24,000本分」だそうですから!! 右手で相棒の「Brompton」を押しながら、左手ではうちわであおぐ。 そんなスタイルで通り抜けました(^^; で、「下関」側の出入口の北には「火の山」という標高268mの小高い山がそびえます。 頂上まで「火の山パークウェイ」が通じていますが、この暑さでは上る気になれず。 「火の山ロープウェイ」で上がることにしました。 後で調べたら、途中から自転車通行禁止になっているとのことでしたが。 ところがトンネルからたった700mほどの距離にある「壇ノ浦駅」乗り場まで上りが・・・・・( ̄Д ̄; これが初日のフレッシュな状態だったらまたちがったのかもしれませんが、やたらキツかった~! そして20分おきに発車する「ロープウェイ」(片道300円、往復500円)に乗って「火の山駅」へ移動。 到着後、スタッフの方のご好意で駅でバッグを預かっていただきました。 あまりの暑さにヘロヘロになっていたのが目に余ったのかもしれませんが(苦笑) でもおかげで身軽に散策ができたので、この場を借りて改めて感謝します☆ 表紙の写真は、「火の山駅」から少し上がったところから眺めた「関門橋」周辺の様子です。 あいにくもやがかかっていて、見通しはあまりよくありません。 午前中は比較的よかったんですけどね。 「瀬戸内海国立公園「火の山」 標高268メートルの火の山の名前は、敵の襲来を告げる「のろし」を上げていたことに由来します。 また、明治時代の中頃には砲台が置かれ要塞として整備されるなど、周囲を360度見渡すことのできる火の山は、 古くから戦争の要所とみなされていました。 戦後、誰もが火の山に入れることができるようになり、眼下の関門海峡、壇之浦、巌流島、 さらには対岸の門司や小倉まで、素晴らしい景観をいつでも目にすることができるようになりました。」 ※案内板より引用、以下同じ blogram ランキング参加中!よろしければクリックをお願いします。 ![]() 階段を上がってみるとこんな建物が。 最初は「防空壕」かなと思ったんですが、「砲台」施設の一部だったようですね。 かなりきれいな状態だったのでちょっと驚きました。 突然雨が降ってきてもここに入り込めば大丈夫? 「下関要塞 火ノ山砲台跡 火の山は、下関市の南東部に位置します。 山頂からは関門海峡を眼下に見下ろし、日本海側から瀬戸内海まで広く見渡すことができます。 そのため、平安耳朶印は烽燧(ほうすい のろし場)、室町時代には山城(火山城 ひのやまじょう)、 江戸時代には狼煙場(のろしば)が築かれていました。 現在は、明治21年(1888)から造られた旧日本陸軍施設「下関要塞 火ノ山砲台」跡を見ることができます。 明治時代、関門地域一帯は軍事上の重要な地区であったため、東京湾・大阪湾に次ぐ日本3大要塞の一つとして 捉えられていました。 そのため、下関・北九州の各所には大砲などを据え付けた「砲台」や「堡塁」(ほうるい)が築かれることとなります。 その中でも、火ノ山砲台は、響灘(ひびきなだ)及び周防灘(すおうなだ)から瀬戸内海を守る役割を持った 重要な位置にありました。 幸いなことに、これらの施設は実践による砲撃もなく関門地区の守りを果たすこととなりました。 火ノ山砲台は、第1から第4までの砲台が築かれていましたが、現在は第3・4砲台にその面影を見ることができ、 特に第4砲台は当時の姿をよく残しています。 火の山公園ではこれらの遺跡を、後世に語り継ぐ歴史遺産とし、大切に保存しています。」 ![]() 右上に見えているのは回転展望レストラン「ふくの関」。 1時間で1周するようになっているんだそう。 たしかに素敵な景色を眺めながらの食事もいいですが・・・・・。 でも席が回転することで眺めに気をとられ、かえって客の回転が悪くなってしまうのでは?なんてね(^^; 下関・関門のお土産・レストラン ふくの関 ![]() 説明を読むとこれは「戦艦大和」で使用されていたもので、当時としては世界最大の弾丸だったそう。 「戦艦大和弾丸 この弾丸は、旧日本海軍の戦艦大和の主砲用として使用されていた徹甲弾で、 当時は世界にその比をみない最大の物です。 これは、中国火薬株式会社が瀬戸内海で、砲弾の火薬処理をしていた頃に、引き揚げられたもので、 昭和33年(1958)、下関市市制施行70周年記念で開催された下関博覧会に出品されたあと、 火の山ロープウェイが開通したことにより、本市に寄贈されました。 全長 1.95m 重量 1,740kg 最大射程 42,000m」 「戦艦大和 戦艦大和は、昭和12年(1937)、呉海軍工廠の造船ドッグで起工し、4年の歳月をかけ、昭和16年(1941)末に完成した。 戦艦としては、世界最大のもので、建造費は約1億6千万円かかった。(当時の国家予算の3%) 防御は、玄側甲鉄(傾斜20度)厚さ41cm、中甲板甲鉄20cm、砲塔56cmで、昭和12年の第2次世界大戦中は、 連合艦隊の旗艦として数々の海戦に参加したが、その巨砲を有効に用いる機会もなく、 昭和20年(1945)4月、ひそかに沖縄へ向け出撃していく途中、九州南方海面で敵機に発見され、 延べ数百機の艦載機の猛襲にあい、世界最大の戦艦であった大和も海底深く沈んでいった。」 大和(戦艦)@Wiki ![]() ここは「第3砲台」だったところ。 横に下りる道を進んで見ると、通路の下はかまぼこのようなドームになっていてベンチが置かれていました。 弾薬などを置いていた倉庫(測砲庫)だったところを転用したようですね。 「火の山砲台跡 第3砲台 24センチカノン砲台 第3砲台には、海峡に向けて24センチカノン砲が一列に設置されていました。 カノン砲は、砲弾を速い速度で、かつ水平に近い放物線で発射する特徴をもち、射程距離が長く、 硬い鉄板などを貫き通す威力を持っていました。 24センチカノン砲は最大射程距離が9000mで、火の山砲台のほか、東京湾・由良・広島湾の各要塞に据えられ、 主に敵艦の甲板を破壊することを目的とした要塞用の大砲として設置されていました。 第3砲台では、大砲は1つの空間(砲座)に2門据え付けられ、砲座は全部で4つあり、24センチカノン砲は合計8門あったとされます。 砲座の脇には、レンガとコンクリートと石で造られたアーチ状構造物(掩蔽壕・えんぺいごう)があり、 弾薬などを収めていた倉庫(砲側庫・ほうそくこ)として使われていました。 また、砲側庫は各砲座を仕切る壁(横墻・おうしょう)となっており、砲座の前面には大砲を隠すためと直接の攻撃を防ぐための コンクリート製防御壁(胸墻・きょうしょう)が存在していました。」 ![]() マップで「絶景ポイント2」として紹介されている「瀬戸内海」方面ですが、やはりもやっていて見通しが悪いです。 だんだん天気が悪くなってきているのかな? ![]() 左下には「関門トンネル人道口」の建物が見えます。 その向こうにはひときわ高い「門司港レトロハイマート」が目立ちますね。 ![]() ここは「第4砲台」の中の「28センチ榴弾砲座・司令室・観測所」だったところだそう。 一段低いところにあって、半地下のような感じになっています。 「火ノ山砲台跡 第4砲台 28センチ榴弾砲座・司令室・観測所 28センチ榴弾砲(りゅうだんほう)は、明治時代に国産で大量生産された初期の大砲です。 榴弾砲は、斜め上に砲を向け砲弾を発射し、その砲弾は上から加速をつけ威力を増して 目標に到達する特色を持ちます。 28センチ榴弾砲の最大射程距離は7800mで、日本各地の沿岸部の砲台に設置され、 主に敵艦の接近を妨げる役割を持っていました。 また、その威力から日露戦争の旅順攻略の際にも持ちこまれるなど、当時の主要な大砲だったようです。 28センチ榴弾砲は、第4砲台中央の構造物上、東西両端に円形に窪ませた砲座に1つずつ据え付けられていました。 現在は東側の砲座が残ります。 砲座に挟まれた中央には観測所と司令室があります。 観測所で砲弾を発射する際の距離と方向を測り、測量結果を司令室に伝え、 司令室から両脇の砲座に具体的な指示が出されていました。」 ![]() 説明板にあった配置図によると写真右上が「司令室」と「観測所」、「28センチ榴弾砲座」はさらにその奥にあったようです。 「火ノ山砲台跡 第4砲台 堡塁砲台 第4砲台は、火ノ山砲台の第1から第3砲台と造りが異なり、第4砲台だけが独立した造りとなっています。 これは、海峡を守る役割を持つ第1から3砲台とは別に、当初の設計を変更して、内陸に存在する 下関要塞本部を守る役割を追加したことによるものです。 このような第4砲台の形は「堡塁砲台」(ほうるいほうだい)とよばれます。 中心にはコンクリートとレンガと石で築かれた地下倉庫(掩蔽壕 えんぺいごう)があり、 その上をさらに土で大きく覆い山のような形に整え、中央に観測所と司令室、両脇に28センチ榴弾砲を2門置きました。 この大きな構造物の周りには、岩盤の上に石とレンガで積上げた壁(堡塁 ほうるい)が取り囲んでいました。 堡塁の東側には海峡に向けて大砲を据え付けた砲座が築かれ、堡塁の北側には内陸に向けた大砲を据え付けた 砲座が築かれました。 堡塁部分には、12センチカノン砲と15センチ臼砲(きゅうほう)がそれぞれ4門あったとされます。 明治時代に築かれた第4砲台は、昭和に入り上空にむけた大砲(高射砲)を据え付けるために 一部を新しく作り直したようです。」 ![]() ![]() 中央の柱の上に標的との距離や方向を測る「測遠機」が置かれていたようです。 左にあいている穴は司令などを伝える「伝声管」があったところかもしれません。 ![]() 壁にはレンガが積み上げられ、天井はコンクリート製かな? 中はかなり狭いです(^^; それにしても明治時代に造られた施設がこんなにきれいに残っているというのには驚きました。 まして軍事施設なのに! 実戦がなかったのが幸いしたんでしょうね。 ![]() 右手を見るとなにやら先が見通せなくなっていますね。 どうやら夕立になっているようです。 う~ん、こちらに来ないでほしいんだけどなぁ(^^; ![]() 「国道9号線」の向こう側は「みもすそ川公園」という海に沿った細長い公園があります。 そこには海に向かって5門の大砲が並んでいました。 真ん中の砲台にはお金を入れるところがあって、100円を入れると 「大砲、発射!!」 by 沖田十三(声:納谷 悟朗) となるらしいです。 わたしはやりませんでしたが。 そして当たり前ですが、そんなナレーションは出ません(^^; 「長州砲(八十斤加農砲) 文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃しました(攘夷戦)。 翌年8月、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため下関にやってきました。 海峡の最も狭いところに築かれたこの壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を果たしましたが、 連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊されました。 外国の進んだ軍備に目覚めた長州藩は、開国・倒幕へと転換し、明治維新を実現する原動力となりました。 長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて 損害を与えるものでしたが、連合艦隊の新しい大砲は距離・威力ともはるかにすぐれたものでした。 この大砲は、幕末に数多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型(下関市立長府博物館蔵)を 参考に、原寸大に復元したレプリカ(FRP製)です。 砲身に刻まれた文字は、パリのアンヴァリッド軍事博物館が所蔵している、これとほぼ同型の長州製青銅砲の 砲身を模刻しています。 長州砲の概要 砲身 全長 3.56m 口径 20.0cm 砲架一体 中央3門 高さ 3.52m 最大長 6.68m 最大幅 2.6m 両端2門 高さ 2.92m 最大長 5.98m 最大幅 2.6m」 ![]() ここは言わずと知れた「源氏」と「平家」の最後の戦いの舞台「壇ノ浦」ですからね。 その戦いの中での名シーンをそれぞれ表しています。 「日本史の節目を刻む関門海峡 西へ東へと1日に4回、その流れの向きを変える関門海峡。 せまい所では、両岸の幅は700メートルあまりで、潮流の速度は、最高で約10ノット(時速18km)にもなります。 また、瀬戸内海の入口に位置する地理的条件から、昔も今も交通の要衝で、日本の歴史の節目を刻む舞台となっています。 寿永4年(1185)3月24日、平知盛(とももり)を大将にした平家と、源義経ひきいる源氏がこの壇之浦を舞台に合戦をしました。 当初は平家が優勢でしたが、潮の流れが西向きに変わり始めると源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められました。 最期を覚悟した知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼(にいのあま)は当時数え8歳の安徳天皇を抱いて入水(じゅすい)。 知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡。 日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行していきました。 なお、この戦いにおいて義経は平教経(のりつね)の攻撃を船から船へと飛び移ってかわし、 いわゆる「八艘飛び」(はっそうとび)を見せたといわれています。」 ※原文は算用数字ではなく漢数字で表記されています。 壇ノ浦の戦い@Wiki ![]() 船のイカリを体に巻きつけ、今まさに海に身を投じんとするところです。 平知盛@Wiki ![]() 重い甲冑を身につけたままでの軽業! 驚異的な身体能力の賜物なんでしょうかね?(^^; すべて D700+24-120mmF4G/VR 次回は、赤間神宮とゆめタワーを訪ねます。
by sampo_katze
| 2012-09-23 20:30
| Brompton+九州
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