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日本有数の高石垣がある城
伊賀国の歴史と自然をめぐるポタ編・最終回


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「こじんまりとした天守」


「伊賀流忍者博物館」を後にしてここのシンボルでもある「上野城」へと向かいます。
といってもどちらも「上野公園」内にあるのですぐ近くなんですけどね。

ここ「上野城」は1585年(天正13年)に「筒井定次」によって築城されたのが最初。
「定次」は「伊賀」の地を整備、発展させたそう。
1600年(慶長5年)の「関が原の戦い」で「定次」は「徳川家康」側につき、その前の「会津征伐」に参戦。
その留守の間に「西軍」側に攻め込まれたため、代わりにいた留守居役が逃げ出し城を明け渡してしまいました。
そのため「定次」は急遽引き返し、無事奪還に成功します。
ですが1608年(慶長13年)の「筒井騒動」により「定次」は領地没収の上、「磐城平藩鳥居氏」預かりの身となります。
これは「江戸」にあった「鳥居氏」の屋敷という説もあるようです。
さらに2年後の1610年(同15年)には「大阪の役」で「豊臣氏」と内通した罪により切腹となってしまいました。
代わってこの城に入ったのが築城の名手とうたわれた「藤堂高虎」です。
以降の歴史については、説明文の内容をどうぞ。

「上野城の沿革
 慶長13年(1608)藤堂和泉守高虎が、伊賀・伊勢の地へ転封、大阪城の豊臣秀頼に対する拠点の城として、
 慶長16年正月、筒井氏の城を西に拡張、その時日本一高いといわれる高石垣を築いた。
 翌17年9月、当地を襲った台風により五層の天守閣は倒壊、大阪夏の陣で徳川方の勝利に終わったので
 天守閣の再建はされなかったが上野城は伊賀国の城として存続、城代家老が置かれて明治まで存続した。
 今の天守閣は昭和10年(1935)10月、地元の名士川崎克氏により復興、伊賀文化産業城と称した。
 天守閣一階には甲冑・武具・伊賀焼を展示、二階には天守閣復興者川崎克氏の書画や伊賀焼・藩主藤堂家の調度品などを展示。
 三階には横山大観をはじめとする有名人の書画46点の大色紙が格天井に飾られている。」

※説明板より引用


表紙の写真は、公園に入る前に西側にある堀越しに眺めた「上野城」の「天守」です。
この時点ではわからなかったんですが、ここには3層3階の「大天守」と2層2層の「小天守」があります。
こちらは西側にある「小天守」の方でした。



伊賀上野観光協会
上野城@Wiki
筒井騒動@Wiki



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城の南西角に来ました。
堀の向こうには高い石垣がそびえます。
「天守」のサイズからするとずいぶんと立派な石垣になっていますね。
この城が整備された背景を考えると納得がいきますが、それを知らないとずいぶんと分不相応な感じがしてしまいます。
って、実際思いました(^^;

さて、公園の外周を西から南へと回って入口にある駐車場へ。
係の方に聞いて「Brompton」を管理事務所近くの小さな空き地に駐輪させてもらいます。
そして徒歩でまずは「忍者博物館」に向かい、その後「上野城」へと足を運びました。
「松尾芭蕉」ゆかりの施設は今回は立ち寄っていません(^^;


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南側から「天守」群を見上げます。
右が「大天守」で、左が「小天守」。
1935年(昭和10年)の建造と比較的新しいのですが、「川崎克」氏が純和風にすることを要望したので木造なんだそう。


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石垣の上から眺めます。
かつては「日本一高い石垣」とうたわれていただけあって、ほんとに高いですね~!
端には手すりも何もないのでちょっとコワイですが(^^;
ちなみに最も高い石垣は「大阪城」とのこと。


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石垣の端に沿って歩いていたときに見つけたとある石。
その下には木の根っこのようなものが出ていますね。


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正面に回ってみるとこんな感じ。
樹肌からしてこれは「松」の木かな?
大きな石の間から幹が伸びてしまったような感じですね。
切られてしまったのがちょっと残念。
もしかすると、いわゆる「松くい虫」が原因なのかもしれませんが。


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天守の基礎部分。
石垣の下は小石が積み上げられただけのように見えます。
これを取り除くと隠れている石垣が顔を出すんでしょう・・・・・ね?


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「天守」の北東側には奇妙にねじれた松の木が立っていました。
何らかの理由で幹が切られたものの、そこから再生したもののようです。


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再生した部分をアップに。
鼻を高く上げた「ゾウ」のようにも見えますね。


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さて、「上野城」から北へ2.5km走って「伊賀上野駅」に戻ってきました。
列車の本数は約1時間に1本の上、ここから「大阪」まで移動しなければならないのでちょっと大変です。
「上野公園」であまりのんびりできなかったのも、それが理由なんですけどね。

これはホームにあった駅のスタンプ。
さすが「忍者の里」だけあって、絵柄にも登場しています。


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向かいの「亀山行き」ホームに入ってきた「キハ120形」
「JR西日本」の非電化路線に投入されている小型の「ディーゼルカー」です。
ここを走る車両は前面部および裾部分などが紫色に塗られています。

JR西日本キハ120形気動車@Wiki


ここから17:54発の列車で「加茂駅」へ。
さらに列車を乗り継いで「大阪」へと移動しました。
翌日は「神戸」の北西にある「三木」(みき)からスタートするので、「神戸」で宿を取りたかったんですが
移動が長くなってしまうので(^^;


今回のルート(走行距離:58.2km)
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「伊賀上野駅」をスタート&ゴールにする周回ルート。
駅にはコインロッカーがあるので、ポタに不要な荷物を預けておけるので安心です。
結構アップダウンはあるので、「関西本線」「大河原駅」をスタートにしたコンパクトコースにしてもいいかも?
「月ヶ瀬CC」の南は、川の南側を通るのがオススメです。
健脚の方なら「八幡橋」を渡って北側を進むのがいいですが(^^;

ゴール近くの「上野公園」「伊賀流忍者博物館」「上野城」など、見所が多いです。
ただ今回はどちらもと欲張ってしまったのがちょっと失敗でした。
もう少しゆっくり観光したかったですね。

コースの詳細はこちら
伊賀上野~月ヶ瀬めぐり@ルートラボ


すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回から新シリーズ、兵庫県南西部の自転車道をはしごします。
by sampo_katze | 2012-12-20 21:30 | Brompton+西日本 | Comments(0)


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