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沖縄Day3-5・首里城(無料エリア)
沖縄本島ドライブ&ポタリング編・第14回


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「首里城でのお約束写真」


「那覇」の市街地に来ました。
次の目的地は「首里城」です。
初めはそのまま車で行こうと思っていたんですが、周辺の駐車場はどこも満車でとめることができません。
そこで先に宿にチェックインし、車と荷物を置いて身軽になってから出かけることに変更。

ここで「Brompton」でめぐることもちょっとは考えていました。
でも駐車場を探して周辺を走っている間に結構急な坂が多いことがわかって断念!
やはりタクシーで移動することにしました。
運転手に話を聞くと、週末だと駐車場は満車になってしまうとのこと。
それなら最初から宿に直行していたほうがよかったんですね(^^;

タクシーを「首里城前交差点」の近くで降り、歩いて向かいます。
程なく右手に「首里杜館」(すいむいかん)があり、入口手前で地図つきのパンフレットを入手しておきましょう。
内部は「レストハウス」になっていて休憩施設や売店、レストランがあります。
「情報展示室」もあるので、時間があれば立ち寄っておくといいかもしれませんね。


表紙の写真は、「首里城」の入口にある「守礼門」(しゅれいもん)です。
交差点から150mほど、坂を上ったところにあります。
「首里城」の代表的な門として紹介されているので、ここが最初の門とずっと思っていました。
でも、説明によるとここは第2の門なんですね~。
知らなかった!

「旧首里城守礼門
 守礼門はかつての中山門に続く首里城第二の坊門で、琉球王国時代の尚清王代(1527~1555年)に創建されたと伝えられている。
 当初、「待賢」、ついで「首里」の扁額が掲げられたことで「待賢門」、「首里門」と呼ばれていたという。
 尚永王代(1573~1588年)に「守禮之邦」の扁額が作られ、冊封使の滞在中だけ掲げていたが、
 尚質王代(1648~1668年)から常時掲げるようになり、「守礼門」と呼ばれるようになったと伝えられている。
 建築様式は、中国牌楼の流れをくむ装飾建築といわれている。
 構造は、三間重層入母屋造で、屋根は赤瓦の本瓦葺き、高さ7.05m 両端柱間7.94mである。
 昭和8年に国宝に指定されていたが、去る沖縄戦で破壊された。現在の守礼門は昭和33年に復元されたものである。」



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掲げられている「守禮之邦」の扁額。
門の名前の由来となったものですね。


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門をくぐって先に進むと、道が二手に分かれます。
メインエリアは右にあるのでそちらに。


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その前に左側にある石造りの門を。
こちらは「園比屋武御嶽石門」(そのひやんうたき いしもん)。
「御嶽」(うたき)とは「琉球信仰における祭祀を行なう場所、聖域」なんだそう。
入口の扉は閉ざされているため、ここから先に進むことはできません。
ですが1つ前の写真の左にある坂を下ると、ここの裏側に回ることができるようです。

「園比屋武御嶽石門
 園比屋武御嶽
 石門とその奥の森を園比屋武御嶽といい王府の祈願所であった。
 石門は神社でいう社殿にあたるが本殿に相当する建物はなく、石門の後ろに広がる森がそれにあたるという。
 石門の創建は尚真(しょうしん)王時代の1519年。1933年には旧国宝に指定されたが、沖縄戦で大破。
 1957年に復元され、後に解体修理し1986年に完成した。
 石門は竹富島の西塘(にしとう)の作と伝えられる。石材は主に琉球石灰岩を用い、板葺唐破風屋根を表わす。
 屋根の飾りなどに日本と中国の様式を合わせて用いた沖縄独特の優れた石造建築である。」


御嶽(沖縄)@Wiki


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石垣のところに設けられた最初の門は「歓会門」(かんかいもん)。
その名の通り、来城者を歓迎するという意味があるんだそう。

「歓会門 かんかいもん
 首里城の城郭内に入る第一の正門です。
 中国皇帝の使者「冊封使」(さっぽうし)などを歓迎するという意味でこの名がつけられました。
 「あまへ御門(うじょう)」ともいいます。
 「あまへ」は沖縄の古い言葉で「歓んで迎える」を意味しており「歓会」はその漢訳です。
 門の両側の一対の獅子像「シーサー」は魔除けの意味をもっています。
 1500年前後創建。沖縄戦(1945年)で焼失し、1974年(昭和49年)に復元されました。」



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門の横でにらみを利かせる「シーサー」
普通にイメージする「シーサー」とは大分ちがって、どこか厳かな雰囲気があります。
ほかの城にはありませんでしたが、かつてはここのように門に置かれていたんでしょうかね。


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「歓会門」を抜けると階段があり「瑞泉門」(ずいせんもん)、奥の「漏刻門」(ろうこくもん)と続きます。
なお「守礼門」を出てから少し先にある右へのルートを通ると、階段のないルートで奥まで進むことができますよ。

「漏刻門 ろうこくもん
 漏刻とは、中国語で水時計という意味です。
 この門の上の櫓の中に水で時間をはかる水槽(水時計)が設置されていました。
 門をすぎた広場には日時計があり、その二つで時刻をはかり、太鼓をたたいて時をしらせました。
 別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいいます。
 駕籠(かご)で登城することを許されていた身分の高い役人も、国王に敬意を表しこの門で駕籠から下りたということから
 そのように呼ばれました。
 創建は15世紀頃。老朽化のため昭和初期には撤去されていたものを1992(平成4)年に復元しました。」



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「漏刻門」を過ぎたところにある広場からの眺め。
いかにも「沖縄」風な外観をした大きな建物は「沖縄県立芸術大学」の建物ですね。
落ち着いた配色のためか、とても自然に周囲になじんでいる感じです。

沖縄県立芸術大学


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振り返って「首里城」内部の方を。
左は「北殿」、右の修復中の建物は「奉神門」(ほうしんもん)です。

「奉神門 ほうしんもん
 奉神とは「神をうやまう」という意味です。別名「君誇御門」(きみほこりうじょう)ともいいます。
 向かって左側は薬・茶・タバコなどを扱った「納殿」(なでん)、右側は城内の儀式などに使われた
 「君誇」(きみほこり)という部屋になっていました。
 3つの入口のうち、中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)などの身分の高い人だけが通ることができました。
 1992(平成4)年に復元されました。」



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無料エリアにある最後の門がこの「広福門」
扁額は「廣福」と字体が異なっています。

「広福門 こうふくもん
 「広福」とは「福を行き渡らせる」という意味です。建物そのものが門の機能を持っているのが特徴です。
 門の正面に向かって左側が、王族の財産をめぐる争いを調停する「大与座」(おおくみざ)、
 右側が神社仏閣などを管理する「寺社座」(じしゃざ)という役所になっていました。
 創建年は不明。明治末期頃に撤去され、1992(平成4)年に復元されました。」



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「奉神門」の正面。
現在、外壁の「漆」の塗り直し作業が行われています。
作業工程は「木地」の調整から下地・塗装・彩色まで20もの工程があるとのこと。
ここから先は有料エリアとなりますが、その部分については次回にまとめます。


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2012年は「首里城公園」が開園してから20周年にあたるため、園内では「首里城祭」が行われていました。
スタッフが着ているシャツは、門などの外壁に使われている「漆」の色をイメージしたものでしょうか。


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最後は「守礼門」を裏側から。
扁額の裏側がそのまま見えてしまってますね(^^;
でも「神社」ではこうして見たり撮ったりすることがないので、さてどうなっていたかな~?


すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、首里城の有料エリアです。
by sampo_katze | 2013-02-05 21:30 | Brompton+沖縄 | Comments(0)


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