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隅田川左岸6e・佃から勝鬨橋へ
隅田川左岸に沿って走ろう!編・最終回


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「永代橋とスカイツリー」


「隅田川」左岸下りも最終エリアに突入です。
流れが2手に分かれる分岐点にある「佃島」に入ると残る橋は3本、距離にして2kmもありません。
で、さらに河口へと行くならば南端の「豊海」(とよみ)エリアまで行く必要があるんですが・・・・・。
残念ながら最後の「勝鬨橋」(かちどきばし)あたりで「GPS」のバッテリー切れ!
久しぶりに長い時間を走ったこともあるので油断してました(^^;
「USB」接続のバッテリーがあればもう少し走れたんですが、その手持ちはなく「勝鬨橋」から最寄りの「築地駅」へと移動。
そこから輪行して終了となりました。
でもまぁ、橋はすべて巡れたのでよしということで??


表紙の写真は、「佃島」の北端から眺めた「永代橋」(えいたいばし)です。
この場所は階段状の「テラス」になっていて、眺めもいいしなかなか気持ちのいい場所。
これは一番下から撮ってますが、橋と「スカイツリー」との組み合わせには最適だと思います。


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「佃島」から北向いにある「新川」とを結ぶ「中央大橋」
1993年(平成5年)に架橋された左右非対称の斜張橋で、「隅田川」に架かる橋としては2番目に新しい橋です。
ちなみにもっとも新しい橋は2006年(同18年)架橋の「千住汐入大橋」です。

中央大橋@Wiki


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前の写真もそうですが、角度によっては主塔の隙間と「スカイツリー」を重ねることができます。
レンズをもう少し上に向ければよかったかな?


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川沿いに南へと進むと「中央区立佃公園」へと出られます。
これはその一角の高台にある「石川島燈台跡」
といっても復元されたもので、階下はちらっと見えるマークからもわかるとおり「トイレ」になっています(^^;

「佃島は摂津国西成郡田村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁師達が幕府の許可を得て築造した漁村である。
 家康が1582年(天正10年)、京都から堺の地に遊んだ時、本能寺の変が伝えられ、
 急遽踵を返して間道を通り抜け大阪に向かったが、出水のため途方にくれている時に佃村の庄屋孫衛門が多数の舟を出して一行を助け、
 ここに徳川家と佃島漁民の間に固い絆が結ばれることになった。
 その後、家康が江戸に幕府を開くにあたり、佃村の漁師に対する恩賞として彼らに幕府の御菜御用を命ずべく、
 老中安藤対馬守を通じて、その出府を促し、1613年(慶長18年)には「網引御免証文」を与え、
 江戸近海において特権的に漁が出来るようになった。
 1644年(正保元年)には現在の地に百間四方の土地を埋立てて築造し故郷摂津国の住吉神社の分霊を奉祀し、島の名を佃島と命名した。
 石川島の灯台は1866年(慶応2年)、石川島人足寄場奉行清水純畸が、隅田河口や品川沖航行の船舶のため、
 油絞りの益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので六角二層の堂々たる灯台であった。
 この完成を最も喜んだのは 近在漁師であった。

 このたび佃公園を整備するにあたり、モニュメントとして灯台を建設するとともに、
 護岸前面に安藤広重の浮世絵をレリーフしたものを3題設置して往時をしのぼうとするものである。」

※案内板より引用、以下同じ

加役方人足寄場@Wiki


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再開発が進んで高層住宅が多く立ち並ぶようになっていますが、公園の南側の掘割に囲まれた一区画は昔ながらの雰囲気が残っています。
老舗の「佃煮屋」も3軒あり、香ばしくて食欲をそそるいい香りがあたりに広がっていました。
その香りだけでご飯1杯いけるかも・・・・・( ̄∇ ̄*
手前は天保年間創業の「佃源田中屋」さん、奥は天保8年(1837年)創業の最古参「天安」(てんやす)さんです。
そしてこの写真では見切れていますが、左側に1859年(安政6年)創業の「丸久」(まるきゅう)さんがあります。

天安本店
つくだに 丸久


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「佃」を後にして「都道473号線」の南へ。
こちらは「もんじゃ」で有名な「月島」エリアですが、そこを避け北西側の路地を進みます。
そしてほどなく「隅田川」に架かる最後の橋「勝鬨橋」に到着。
これは橋を越え、南側の行き止まりまで進んだところから撮影しています。

「勝鬨橋」は船の往来のさまたげにならないよう、中央部分が開閉する「跳ね橋」として造られたのは有名な話ですね。
またこの橋は1940年(昭和15年)に「皇紀2600年」を記念して開催される「日本万国博覧会」のメインゲートとなるはずでした。
これは2007年9月29日放送の「タモリ倶楽部」で知ったんですけどね。

「日本国重要文化財 永代橋

 橋長  246.0メートル
 幅員  跳開部 26.6メートル
     固定部 25.8メートル
 上部工 中央径間 鋼製跳開橋
     側径間  鋼製タイドアーチ橋2基

 勝鬨橋は、東京港修築工事の一環として、海運と陸運の共栄を意図し、建造された、中央2連がハの字型に跳ね上がる
 日本国内において唯一のシカゴ型二葉式跳開橋等で、昭和15年(1940年)6月に竣功した。
 勝鬨橋の特筆すべき点として、我が国最大の可動支間を有し大規模でかつ技術的完成度の高い構造物であり、
 上部構造は中央2連の中路式可動桁及び機械装置よりなる跳開橋と、左右1連の拱曲線(※)を放物線とした
 下路式ソリッドリブタイドアーチからなる。
 下部構造は直接基礎の鉄筋コンクリート造で内部に機械装置を収め、可動桁の端部が回転する空間を備える橋脚2基と、
 杭基礎の橋台2基からなる。
 建造工事は、東京市が施工し、設計者は東京市嘱託員成瀬勝武の指導のもと同技師滝尾達也及び安宅勝らである。」

※「きょうきょくせん」または「くきょくせん」か。訓読みでは「拱く」(こまねく)となるが、どんな曲線かは不明。  

勝鬨橋@Wiki


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橋の向こうにそびえる「聖路加タワー」「聖路加レジデンス」
こちらからだと2棟の建物がくっついて見えます。
奥の「聖路加タワー」の47階には展望室があったんですが、2010年7月をもって閉鎖となってしまったんだそう。
無料の上に周辺の眺めがよかったんですけどね~。
残念です。

聖路加ガーデン
聖路加ガーデン@Wiki


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左に目を向けます。
「築地市場」の向こうに「東京タワー」「六本木ヒルズ森タワー」のシルエットが見えました。


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「勝鬨橋」の南側を東詰から望遠で。


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中央の可動部の両側には「制御室」が設けられています。
橋が開くときは通行ができなくなるので、このように「信号機」も取りつけられていました。

橋の開閉は1970年11月29日を最後に停止、通電も1980年で終了しているので機能は完全に停止しています。
ですが、橋の西詰にある「かちどき橋の資料館」の見学会に参加すれば橋脚内部が見学できるとのこと。
詳しくは下記リンクからどうぞ。

東京都道路整備保全公社


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歩道のガードにある装飾。
デザインは4種類あり、つなげると橋が開いて船が通り過ぎていく様子が描かれているのがわかります。


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橋の上から「佃島」の高層住宅群を。


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最後は東詰から美しいアーチをもう1度。


ここまでのルート
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今回は訪ねませんでしたが、「佃」の掘割には赤い欄干の「佃小橋」があります。
「船だまり」の向こうに高層住宅が並ぶというちょっと不思議な光景が見られますよ。


今回のルート(走行距離:64.0km)
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「JR武蔵野線」「西浦和駅」をスタートし、はじめは「荒川」の左岸を進みます。
途中「JR宇都宮線」の橋を越えた先にある「国道122号線」、通称「岩槻街道」が通る「新荒川大橋」で右岸に移りました。
こうしたほうがどちら側を進むにしても「隅田川」沿いへのアクセスがしやすいです。
川沿いは車が通らない道も多いですが、防波堤の壁が高くて見晴らしがよくない区間も多いのが少々難点か(^^;
また「日暮里・舎人ライナー」の高架をくぐってから「東武スカイツリーライン」「堀切駅」付近までは川沿いの道がないようで、
ここはちょっとしんどかったです。
「千住大橋」から下流は個性的な橋が続くので、個人的には楽しめる区間でしたね。


1、3、7~9枚目 D40+VR70-300mmF4.5-5.6G
14、15枚目 PC画面キャプチャ
ほかはすべて D40+DX18-55mmF3.5-5.6GⅡ


次回からは、向かい側の右岸を下ります。
by sampo_katze | 2013-07-15 20:50 | with Brompton | Comments(0)


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