隅田川右岸5e・両国橋から勝鬨橋へ
隅田川右岸に沿って走ろう!編・最終回


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「蛇行する川、うねる高架」


今回および前回のシリーズで訪ねた「隅田川」は、「赤羽」付近の「新岩淵水門」「荒川」から分岐し
「足立区」「堀切駅」付近までは蛇行しつつ東寄りに、それ以降は南下して「中央区」「東京湾」に注ぐ「一級河川」です。
全長は23.5km。

初めて橋が架けられたのは「徳川家康」が入府して間もない1594年(文禄3年)のこと。
この橋が「千住大橋」(当時は単に「大橋」)で「日光街道」が通っています。
「幕府」は防衛上の理由(極端に言えば「江戸城」の外堀にあたる)から
これ以外の橋を架けることを禁じたので、「渡し舟」があちこちにできました。
ですが1657年(明暦3年)に発生した「明暦の大火」で対岸に避難することができず
多数の犠牲者を出したことがきっかけとなり、1661年(寛文元年)に2番目の「両国橋」が架けられました。
その後は「江戸時代」にさらに3本、「明治時代」に6本、「大正時代」に1本と続々増えていきましたが、
「関東大震災」では木造橋が焼失したため、避難路が確保できませんでした。
このため「復興事業」では「鉄橋」へと架け替えることになり、それまでの橋はすべて生まれ変わりました。

現在、その数は「鉄道橋」「専用橋」をのぞいても全部で26本!
平均すると約0.9kmに1本という多さです。
造られた時代背景もありますが、デザインもシンプルなものから凝ったものまで多種多様。
個人的には「千住大橋」から下流にある橋が好きですね(^^)

さて今回は最終行程で、「両国橋」から「勝鬨橋」へと走ります。
橋は個性的なのが多くて見所も多いですが、走る道は川から離れた普通の道なのでちょっと面白みに欠けますが(^^;


表紙の写真は、「両国橋」から600mほど南の「浜町公園」(はまちょうこうえん)北東角から眺めた
「首都高速6号向島線」の高架です。
左岸編で対岸とはいえ同じような写真をトップに持ってきていますが、こちらの方がやや迫力があるかな?

「浜町公園」は「関東大震災」の「復興事業」の一環として整備された公園の1つで、
ほかに「墨田公園」「錦糸公園」があります。
ここは元々「熊本藩主」である「細川氏」「下屋敷」だったそうで、以前「新宿線ポタ」でも立ち寄っています。
園内には「清正公寺」があってその由来は「?」だったんですが、今回「熊本藩」つながりということで納得。
「加藤清正」公は初代藩主ですからね(^^)

浜町公園@1000円もって公園へ行こう!
浜町公園@Wiki
加藤清正@Wiki

「浜町公園」を訪ねたときの記事はこちら
2011年4月9日の記事 隅田川を越えて九段下へ


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「浜町公園」のすぐ南に架かる「新大橋」です。
初めて架けられたのが1694年(元禄6年)で「隅田川」の橋としては「千住大橋」「両国橋」に続いて3番目。
「歌川広重」作の「江戸名所百景」の1つ、「大はしあたけの夕立」でも描かれました。

現在の橋は1977年(昭和52年)に架けられたものです。
この1つ先代の橋は1912年(明治45年)に架けられた鉄橋で、「関東大震災」では唯一落橋せずに残りました。
このため多くの人を避難させることができたことから「人助け橋」と呼ばれ、これにちなむ石碑が西詰に立っています。
また「中央区」側(西側)の8分の1にあたる約25mを架け替えの際に「明治村」に移築、展示されています。

ちょうど「隅田川ライン」「ユアータウン」号が通過していきました。
この日も「屋上デッキ」は閉鎖されていましたね。

新大橋@Wiki
東京都観光汽船 TOKYO CRUISE


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「新大橋」から500mほど下流にある「清洲橋」(きよすばし)。
1928年(昭和3年)に「関東大震災」からの「復興事業」として計画され、初めて橋が架けられました。
デザインは「ドイツ」「ケルン市」にあった「吊り橋」を参考にしており、その優美な姿は「震災復興の華」とも称されたほど。

「土木學會選奨土木遺産2000 帝都を飾るツイン・ゲイト(清洲橋)

 「復興は橋より」、これが関東大震災後の復興事業の合言葉でした。
 帝都を代表する隅田川の入り口にあたる第一、第二橋梁は、筋骨隆々とした男性的なイメージ(永代橋)と
 優美な下垂曲線を描く女性的なイメージ(清洲橋)で演出されました。
 これに加えて土木学会では、次のような理由から永代橋と清洲橋をワンセットにして、
 第一回選奨土木遺産に選定しました。

 ・二つの橋は、近代橋梁技術の粋をあつめてつくられた震災復興橋梁群の中心的存在である。
 ・清洲橋は、美しさを追求した特殊な吊橋である。」

※説明板より引用、以下同じ

清洲橋@Wiki


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対岸には「小名木川」(おなぎがわ)の河口に架かる「萬年橋」が。
左手には「松尾芭蕉」の住居があったことにちなみ「芭蕉歴史庭園」が整備されています。
1段高いところには「芭蕉」の石像が置かれていますが、ある時間になると向きが変わるんだそう。
1689年(元禄2年)、「芭蕉」はここから船に乗って「隅田川」をさかのぼり「千住大橋」の近くで下船。
そこから「おくのほそ道」の旅へと出立していきました。

そのすぐ奥は「新小名木川水門」です。
美しい橋のすぐ向こうに無骨な水門があるのはちょっと景観的にはどうなの?という感じもしますが(^^;


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テラスに下りて「清洲橋」を見上げます。
向かいの「萬年橋」のたもとからの眺めは「ケルンの眺め」と呼ばれ、最も美しく見える場所とされています。
でも個人的にはこちらからの眺めも捨てがたいですね。


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再び500mほど下流にある「隅田川大橋」へ。
まずはスロープでアプローチできる橋の南側歩道に上がり、下流にある「永代橋」を眺めます。
この橋については後ほど。
その向こうには「佃島」の高層住宅群があり、なかなか見ごたえがありますね。


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「隅田川大橋」は「首都高速9号深川線」の高架真下にあります。
これは西側の「箱崎JCT」方面を眺めたところ。
ここもかなり構造が複雑ですが、「JCT」の真下から見たらどんな感じなのかなぁ?

「隅田川大橋
 隅田川大橋は、高速道路(9号線)と、都道475号線が重なった、珍しい新しい橋である。
 箱崎町は、古くは大名屋敷のならぶ、隅田川三角州のひとつであったが、
 維新後には最初の日本銀行が建てられた地であり、また倉庫や住宅地でもあった。
 現在は、箱崎川が埋立てられ、高速道路のインターチェンジと、成田空港に行くエアーターミナルが設けられた。
 街もまたビルやマンションの立ちならぶ、交通量の多いところとなって、昔の俤(おもかげ)はない。
 対岸の深川は、社寺の多い街として発展し、以前は木場でも有名であった。
 わが国最初のセメント工場跡も近い。
 昭和54年(1979年)10月に完成したこの橋は、京浜・京葉地帯を結ぶ湾岸道路に通じ、隅田川十五橋の中では、
 形も役割も特異な橋となることであろう。」



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1度下に下り、今度は「Brompton」を担いで階段を上がり北側の歩道に出ます。
なぜなら、どうしても「清洲橋」と「スカイツリー」の組み合わせを撮りたかったから。
南側はスロープがあるので自転車でも比較的簡単に上がれますが、北側は階段なので少々しんどいんですけどね(^^;
いろいろ位置を変えながら撮っていると、上流から「隅田川ライン」の船が「モーターボート」を引き連れて(?)やってきました。
船首がピンクなので「リバータウン」ですね。


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「永代橋」のすぐ北で「隅田川」に合流する「日本橋川」
その河口にかかるのがこの「豊海橋」(とよみばし)です。
ハシゴを横にしたような形のトラスが特徴。

「中央区民文化財 豊海橋
 現在の豊海橋は、大正15年(1926)5月起工、昭和2年(1927)9月竣工。
 日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋梁です。
 橋の歴史は古く、江戸時代中期には豊海橋(別名「乙女橋」)がありました。
 この辺りは新堀河岸と呼ばれ、諸国から廻船で江戸に運ばれた酒を陸上げする所で、
 川に沿って白壁の酒蔵が並んでいました。
 明治期に豊海橋は鉄橋になり、大正12年(1923)の関東大震災で落橋してしまいました。
 復興局は新規に設計を土木部の田中豊に依頼、実際の設計図は若手の福田武雄が担当。
 隅田川支流の河口部の第一橋梁はデザインを一つ一つ変えて区別しやすく工夫していました。
 それは隅田川から帰港する船頭に対する配慮でした。
 福田武雄は ??? フィーレンデールの案出した橋梁デザインを採用し、梯子を横倒しにした様な外観で
 重量感ある豊海橋を完成しました。
 この様式は日本では数カ所あるのみで、近代の土木遺産としても貴重な橋で、区民有形文化財に登録されています。」

※「???」は判読不能

豊海橋@Wiki


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そして「永代橋」をたもとから。
現在の橋は1926年(大正15年)、「関東大震災」後の「復興事業」として最初に架け替えられたもの。
その当時はこの橋が「隅田川」の最下流にあったことから「帝都東京の門」とも称されたそうです。
道路は5車線あり、時間帯によって中央の車線が東行きと西行きに切り替わるようになっています。

「永代橋
 永代橋は、元禄11年(1698)に隅田川の第4番目の橋として、現在の永代橋の場所よりも上流約150mのこの付近に架けられていました。
 当時 ??? を永代島と呼んでいたことから「永代橋」と名付けられましたが、
 一説には五代将軍綱吉の50歳を迎えた記念として、その名を付けられたとも伝えられています。
 当時諸国の廻船(かいせん)が航行していたため、橋桁を十分高く取ったので、
 「西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総、限りなく見え渡り眺望よし」
 といわれる程の橋上からの景観でした。
 (中略)
 永代橋が現在の場所に移されたのは明治30年(1897)のことで、
 わが国の道路橋としては初めての鉄橋に生まれかわりました。
 その後、関東大震災で大破し ??? に現在の橋に架替えられました。
 その姿は、上流の清洲橋の女性的で優美な雰囲気とは対照的に、男性的で重量感にあふれており、
 隅田川の流れとともに広く都民に親しまれています。」

※「???」は目隠しされていて判読不能

永代橋@Wiki


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上流に目を向けると「隅田川大橋」の姿が見えます。
造られた時代背景と「高速道路」併用の橋という目的からか、素っ気ないデザインです。
この橋も、上流にある「五色桜大橋」のようにアーチがかかっていたら素敵な風景になったんでしょうけどね。


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「永代橋」のアーチ。
橋の向こう側へと伸びる「永代通り」を進むと左手に「富岡八幡宮」「深川不動堂」があります。


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「お台場」へと向かう「ヒミコ」
まるで「宇宙船」、あるいは「風の谷のナウシカ」「オーム」を髣髴とさせる外観はひときわ異彩を放っていてますね。
デザインは「松本零士」氏の手によるもので、船内放送も「銀河鉄道999」のキャラクターたちが担当しているとのこと。
2004年3月から就航していますが、2012年からは姉妹船の「ホタルナ」も登場。
こちらは「ヒミコ」にはない「屋上デッキ」が設けられています。
そういえば「ホタルナ」はタイミングが合わないのか、まだ1~2回程度しか見たことがありません。


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「永代橋」からできるだけ川のそばを進み、「中央大橋」を横目に通り過ぎます。
ほどなく現れるつき当たりを道なりに右、その次の十字路を左へと曲がると小さな橋があります。
それを渡ると左手に奇妙なオブジェが。
丸い筒状のベンチのようですが、表面に刻まれているのはちょっとシュールな顔。
何をイメージしたものなんでしょうね?


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渡った小さな橋は「南高橋」(みなみたかばし)。
「日本橋川」の河口から約500mのところで分岐する「亀島川」に架かります。
ここも「震災復興」の一環で架け替えられましたが、予算の都合で「両国橋」の一部を移設して造られたんだそう。
でもそのおかげで、小さくなったとはいえ現在にその姿を伝えています。
しかも現役で稼動(?)しているのですから貴重ですよね。

「中央区民文化財 南高橋
 創架年代は、昭和6年(1931)に起工、同7年3月に竣工。
 現在の南高橋の地には江戸時代には木橋は架橋されておらず、亀島川上流に高橋があったのみでした。
 大正12年(1923)の関東大震災ののち、街路の大規模な区画整備が行われた時に
 当時の本湊町と対岸の越前堀1丁目との間の亀島川に新しく橋を架けることになりました。
 東京市は、多くの橋を改架したため、予算も乏しくなりました。
 そのため明治37年(1904)に改架され、大震災で損害を受けた隅田川の両国橋の三連トラスの中央部分を補強し、
 橋幅を狭めて南高橋として架設したのです。
 都内において、珍しくも明治37年のトラス橋の一部が現在に残ることとなり、その意味でも近代の土木遺産として貴重です。
 都内に残る鋼鉄トラス橋としては江東区に移転した八幡橋(旧弾正橋)についで2番目に古く、
 車両通行可能な鋼鉄トラス橋としては全国で6番目に古い橋梁になります。
 区民有形文化財に登録されています。」


南高橋@Wiki


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端部のてっぺんにある装飾。
ちょっと無骨なところがまたいい感じ?


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「南高橋」から500mほど下って次の「佃大橋」へ。
歩道へは南西側にあるスロープを通って上がります。
橋の中央から下流を眺めると最下流に架かる「勝鬨橋」を真横から眺めることができます。
あいにくの曇り空になってしまったのは残念ですが。


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右に目を向ければ「聖路加ガーデン」のツインタワーがそびえます。
この2棟の建物は低層部だけでなく、中層部でも通路でつながっているんですね。


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「勝鬨橋」の西詰北側にある「ニチレイ東銀座ビル」の前から眺める「勝鬨橋」。
このあとはもう少し走ろうかどうしようかちょっと迷いました。
でも結局、最寄りの「東京メトロ日比谷線」「築地駅」まで移動しそのまま輪行して終了。
もう少し天気が持ってくれたらよかったんですけどねぇ(^^;


ここまでのルート
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これだとずっと川沿いに道があるように見えますが、実際には離れています。
左岸とはちがって壁のすぐ向こうに川があるというパターンでもありません。
「永代橋」から「中央大橋」まではかろうじて走れますが、基本的に「遊歩道」なのでゆっくり走りましょう。


今回のルート(走行距離:57.2km)
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「西浦和駅」から「荒川」沿いに出るまでの「秋ヶ瀬橋」横断がちょっとネックでしょうか。
北側にしか歩道がないため対面通行となりますし、風が強いときはいわずもがな(^^;
ここに限った話ではないですけどね。

「赤羽」から「千住大橋」にかけては一部で川沿いに出られるところがありますが、区間は限られています。
ですが「千住大橋」から「浅草」へは土手下は乗り入れができませんが、土手上は快適☆
「吾妻橋」から先は1区画以上内陸を走る区間がほとんどとなります。

左岸と右岸、どちらがいいか?ですが非常に難しいですね(^^;
純粋に川沿いをサイクリングできるのは「千住大橋」~「吾妻橋」間のみですし。
より川に近いところを走れるのは左岸のほうが多い感じかな?
今回は川の流れに沿ってただひたすら下るだけでしたが、周辺には見どころがいろいろあるので
移動コースの一部に組み込むのがいいでしょう。
「隅田川ライン」をつかった船輪行を合わせるのも楽しそうですし。


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次回から新シリーズ、「すみだ水族館」を訪ねます。
by sampo_katze | 2013-08-06 20:25 | with Brompton | Comments(0)


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