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第2室 鉄道の誕生
大阪の交通科学博物館を訪ねよう!編・第2回


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「クライマースチームロコ」


2番目の展示室は「第2室 鉄道の誕生」です。
最初の展示室は「リニアモーターカー」を中心とした「未来の鉄道」でした。
もっとも「中央新幹線」が具体化した今ではもはや「未来」ではなく「近い将来」といったところですね。
そして次では一転して「鉄道」の原点を紹介しています。


表紙の写真は、「1800形蒸気機関車」(1801号)です。
説明文にある「京都」「大津」間は当時25‰(パーミル、1000m進んで25m上がる)という急勾配でした。
これは「蒸気機関車」ではかなり厳しい勾配ですが、この機種は消費燃料の割に高性能だったそう。
正面の「40」という番号は1893年(明治26年)につけられたもので、1909年(同42年)に「1800形」と名称が変わりましたが
これは変わらなかったようです。

「鉄道記念物 1801号蒸気機関車
 明治14(1881)年、英国キットソン(Kitson)社製で、官設鉄道の京都~大津間急勾配区間に用いる目的で造られた
 日本最初の勾配線用蒸気機関車である。
 設計者はイギリス人鉄道技術者で、神戸工場汽車監察方のライト(B.F.Wright)。
 本機を含めて同型機は8両あるが、多数の同型機が1906年まで官設鉄道をはじめとして全国の私設鉄道で増備され、
 明治中期における急勾配区間、小単位列車、入換用など標準形機関車として広く用いられた。
 旧鉄道院では形式1800の1801号となった。
 昭和4(1929)年、同形機1両とともに高知鉄道に譲渡されたが、昭和15(1940)年に東洋レーヨン(現・東レ)(株)
 大津工場に転じて、工場構内の入換用機関車として用いられた。
 昭和39(1964)年、同社より旧国鉄に寄贈され、交通科学館(現・交通科学博物館)に保存された。
 明治中期までの強力な急勾配用、短距離貨物用機関車の代表的存在であり、
 欧州メーカー7社に同系機が分散製造されたとはいえ、各地で広く用いられた点では特筆すべき機関車といえよう。
 昭和40(1965)年、旧国鉄の準鉄道記念物に指定された。

 諸元
 全長:8801mm  全高:3658mm  軸配置:C形タンク機関車  運転整備重量:33.1t
 軸重:11.4t  動輪直径:1219mm  使用圧力:960kpa  弁装置:スチーブンソン式

 平成16年10月14日指定  西日本旅客鉄道株式会社」

※説明文より引用、以下同じ


日本の鉄道史@Wiki


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「ワットの蒸気機関」
左側が動力源で「ピストン」による上下運動が発生、上から右下へと伸びるアームによって右の「ホイール」を回転させます。
上下運動を回転に変えるという流れは「自転車」と同じですね。

「ワットの蒸気機関
 J.ワットの蒸気機関は、強力でそれまでの蒸気機関の1/4の石炭しか消費しない、優れものだった。
 また歯車を使ったクランクにより、ピストンの動きを回転運動に変えることができたので、
 織機(おりき)や工作機械など、さまざまなものに利用できるようになった。
 展示されているこの模型は、ロンドンの科学博物館のものを参考にしており、実物は1788年から70年間も
 工作機械に使われていたという。」


「工場の動力源 ワットの蒸気機関のしくみ
 ワットの時代では、まだ高圧蒸気を利用することは技術的に不可能であった。
 ワットが低圧蒸気で蒸気機関を動かした方法は次の通りである。
 ピストンの一方の側で、低圧蒸気のわずかな膨張力を作用させ、
 反対側では、蒸気をコンデンサーで冷却・凝縮させ、真空状態をつくりだしている。
 これにより、ピストンの両側にできる圧力差でピストンを動かした。」



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「ジョージ・スチーブンソン」が開発した「ロコモーション号」
石炭運搬のために敷かれた「ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道」(S&DR、全長約40km)に投入されました。
この鉄道は1825年9月27日に開通。
石炭運搬の貨車に客車も連結されていたそうで、これが世界初の「旅客輸送」でした。
また採用された1435mmの軌間はその後「標準軌」として全世界に広まっています。

ジョージ・スチーブンソン@Wiki


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「S&DR」から3年後の1830年9月15日、「リバプール・アンド・マンチェスター鉄道」(L&MR)が開通します。
ここに投入されたのがこの「ロケット号」
「蒸気機関車」の基本設計が確立されていて、その後に登場した機種にも踏襲されたことから
「蒸気機関車の父」とも呼ばれるそうです。
いわれてみれば、ちがいは「ロッド」が斜めにつけられているところくらいですね。

「陸蒸気(おかじょうき)誕生
 19世紀のはじめ、イギリスでR・トレビシックによって蒸気機関車が発明された。
 1825年には世界最初の鉄道が開業、ストックトン・ダーリントン間で蒸気機関車による貨物輸送がはじまった。
 その後、1830年に旅客営業を中心としたリバプール・マンチェスター鉄道が開業した。
 このとき馬の代わりに、G・スティーブンソンとその息子ロバートによってつくられた蒸気機関車が使われ、 
 大量の荷物や人を運ぶ新しい公共交通機関としての「鉄道」が完成した。
 その安定した運転は蒸気機関車が馬車より優れていることを証明した。
 そして蒸気機関車による鉄道営業は、イギリス国内だけでなくフランスやアメリカなどへ急速に広がっていった。」



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一方の「日本」
1853年(嘉永6年)「長崎」に来航した「ロシア」「プチャーチン」が船上で模型を走らせたのが最初。
翌年には「ペリー」「江戸幕府」への献上品として大型模型を持参し、走らせています。
その際に役人の「河田八之助」が屋根に乗って、国内で最初の鉄道旅客(?)となっています。

これは1855年に作られた「佐賀藩精錬方製造 蒸気機関車模型」
「からくり儀右衛門」こと「田中久重」の手によるものです。
燃料は「アルコール燃料」とのこと。
水を熱して蒸気を発生させてそれを動力に使うという点では、初期の国産蒸気機関車といえるのかもしれません。

「鉄道知識の伝来
 欧米諸国で鉄道営業がはじまると、当時鎖国状態であった日本にも「鉄道」の存在が書物などで伝わってきた。
 1854(嘉永7)年、米国使節ペリーが持参した大統領から将軍へのおくりものの中に蒸気機関車の模型があった。
 実際に横浜でレールを敷いて運転をしてみせ、幕府の役人たちを驚かせた。
 またこの前年、長崎でもロシア使節プチャーチンが蒸気機関車模型を走らせて、人々を驚かせている。
 日本人は書物で知っていた「鉄道」をこうした模型を見ることによって、より具体的な知識として身につけていった。」


日本の鉄道開業@Wiki


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「明治初期の日本人が見た蒸気機関車の図」
文字が解読できないので詳細は不明です(^^;


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「新橋駅開業」のジオラマ。
当時の駅は、現在の「新橋駅」より約300mほど東にありました。
後にこの場所は「貨物駅」である「汐留駅」になり、1986年(昭和61年)廃止。
周辺は再開発されましたが駅跡地は発掘調査がされました。
そして2003年(平成15年)に「旧新橋停車場」が再現され、当時の様子を今に伝えています。
もっとも周辺は高層ビルが立ち並んでいるので、「札幌市時計台」と同じ感じになってますけどね(^^;

「日本の鉄道の誕生
 1869(明治2)年、日本の鉄道建設が明治政府によって「国民の心をまとめ、国を治めるため」に必要であるとして決定された。
 当時、まだ鉄道の役割がよく理解されていなかったため、一部で強い反対もあった。
 しかし政府の決意は固く、イギリスから資金を借りて資材を購入し、建設や運営のためイギリス人技術者を雇って建設がはじめられた。
 こうして1872(明治5)年10月14日(太陰暦9月12日)、開業式が新橋駅で明治天皇ご臨席のもと盛大におこなわれ、
 新橋・横浜間29キロメートルの鉄道が開業した。」


汐留駅(国鉄)@Wiki


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起点を表す「0キロポスト」「ホーム」の石組み。
「0キロポスト」は複製ですが、石組みに使われている石は本物です。

「旧新橋駅プラットホーム石組み
 旧新橋停車場は、米国人建築家R・P・ブリジェンスによって設計され、明治5(1872)年の鉄道開業から、
 大正12(1923)年の関東大震災で延焼するまでの約半世紀、近代を代表する西洋建築として多くの人々に親しまれた。
 その後はすべて解体され、往時の姿は全く残っていないと考えられていた。 
 しかし近年、東京都埋蔵文化センターの発掘調査によって、江戸時代の大名屋敷から鉄道用地への改修の様子をはじめ、
 停車場の基礎構造が捉えられた。
 プラットホームは「乗車場」と呼ばれ、長さ151.5m、幅9.1m、高さ1.2mあり、ホームの石組みは凝灰岩の切石を
 右の図の用に小口面と長手面を交互の横に並べて各段を積み上げていた。
 なお、ホームの切石の下には江戸時代の建物の礎石が転用されて敷き詰められていた。
 ここに展示されている石組みは、実際に旧新橋停車場跡から発掘された切石の一部を積み上げたものです。」



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「東京名所上野山下ステンション 開業式汽車発車之図」
「上野駅」の開業式を描いたもので背景には「上野公園」のある「上野台」「寛永寺」と思しき屋根も見えます。

「鉄道の錦絵
 まだ写真が発達していない明治の初めころ、版画の錦絵が事件や新しいできごとを知らせるものであった。
 鉄道の開業は、当時の人々にとって大事件であり、西洋の新しい文明としてめずらしがられ、錦絵に描かれて、
 日本中に「陸蒸気」(蒸気機関車)が知られていった。
 錦絵には版元にせかされてか、ほかの錦絵をまねたものや、想像して描いたものもあるが、
 当時のようすをよく伝えている。」



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「阪神間を開業時に走った5000形蒸気機関車」
こちらは「機関車」後部に「炭水車」を連結している日本初の「テンダー機関車」です。
「客車」は短くてまるで「マッチ箱」のようですね。

「京阪神間の鉄道開業
 新橋・横浜間の開業から2年後の1874(明治7)年、大阪・神戸間が開業する。
 国は東西両京をむすぶ幹線の建設を優先的にすすめてゆき、1877(明治10)年には京都・大阪間も開業した。
 このとき、京都駅で開業式が盛大におこなわれ、天皇を乗せたお召し列車が京都・大阪間を走った。
 京阪神間でも鉄道が開業したことにより、それまでの船や馬、徒歩であった人や物の移動が鉄道に代わり、
 交通体系が大きく変化した。」


国鉄5000形蒸気機関車@Wiki


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「阪神間開業時の時刻表」
上の右半分には「神戸」「三ノ宮」「住吉」「西ノ宮」「神崎」「大阪」の6駅の発車時刻が、
左半分には各駅相互間の「運賃表」が掲載されています。

また下半分には「列車」のイラストが添えられています。
左にある「信号」の柱の中段には人が描かれていますね。


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「昔の駅」
昭和初期に建てられた一般的な駅を再現しています。
ホームの向こうには表紙の「1800形蒸気機関車」が停車しています。

「昔の駅
 鉄道の創業当初、駅舎はりっぱな洋風建築や民家風の小駅など、さまざまなスタイルのものがあったが、
 1906(明治39)年、私設鉄道の国有化をきっかけに、様式の統一が進められた。
 その代表的なものには、昭和初期に制定された『小停車場本屋標準図』と『乙号以下官舎標準図』がある。
 ※賃金表や発着時刻表は長浜駅を参考に作成しました」



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「改札口」付近の様子。
ドラマのセットみたい。


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「駅員室」には回転式の「乗車券箱」が置かれていました。


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最後は「大阪駅」の駅舎。
これは1874年(明治7年)に開業した「初代」で、レンガ造りの2階建てです。


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1901年開業の「2代目」は石造りになりました。
初代より大きく見えますが、これは(詳しくはわかりませんが)展示方法によるものです。
なお現在の駅舎は2011年5月に開業した5代目です。


すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、第3室の鉄道のあゆみです。
by sampo_katze | 2013-10-01 20:30 | 博物館・美術館 | Comments(0)


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