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第7室-1・いろいろな船
大阪の交通科学博物館を訪ねよう!編・第7回


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「古代の船」


「交通科学博物館」の展示は主に「鉄道」が中心で、館内の半分以上を占めています。
ですが、それ以外の「交通」についても展示があるのが特徴。
第7室の「航空・船・自動車のあゆみ」がそれです。
スペースとしては「第1展示場」の約1/3と小さいですが、結構充実した展示があります。
2009年3月からは閉館した「東京外神田」「交通博物館」に収蔵されていたものの一部が移転・展示されていますし。
ただここも来年閉館となり新たな「鉄道博物館」ができるわけですが、これらの展示がどうなるのか?
ちょっと気になるところではありますね。

さて、まずは展示順に「船」に関する展示から紹介していきます。
もっともサイズが大きいゆえに実物はなく、イラストや模型の展示に限られますけどね(^^;


表紙の写真は、初期の船のイラストです。
左が紀元前5世紀の「ローマ」「ガレー船」
「ガレー」という言葉自体が「船」を意味するので二重表現だそうですが、それはさておき。
「船腹」からたくさんの「オール」が飛び出していることからもわかるとおり、まさに「人海戦術」で進む船です。
といっても条件次第では「帆」を張り風を利用して進むこともあったそう。
右は紀元8世紀の「バイキング船」です。
「ロングシップ」ともいうようですね。

「歴史に描かれた船
 最も古い船の絵は、約6000年前に描かれたものである。
 船には道路が必要ないので、車輪よりも早く使われ始めた。
 農業や牧畜が発達する1000年ほど前から航海した人々がいたと考えられ、
 主に商業や軍事目的のために発達してきた。
 ヨーロッパにおける船の構造の発達は、紀元前5世紀のギリシアで、
 こぎ手を上下に何段にも並べた「ガレー船」と呼ばれた軍艦と、
 8世紀ごろヨーロッパ中を荒らしまわった、船首と船尾が同形の「バイキング船」の二つの流れに分けられる。」

※説明文より引用、以下同じ


ガレー船
ロングシップ
※いずれも@Wiki


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こちらは「日本」の船。
上は「はにわ船」で、「古墳時代」に造られたものの縮小模型。
「宮崎県西都市」(さいと)で発掘された「重要文化財」「埴輪船」(J-21498)をモデルにしたもののようです。
下は「江戸時代」に活躍した「五下」(ごした)と呼ばれる「荷船」

「五下
 五大力船と同じような役割をした海川両用の荷船。
 五大力船より小さく、そのため五下と呼んだのではと考えられる。
 川に入ると竹ざおで航行するのも同じで、これはこの2種の船以外にはない特徴である。」


e国寶 国立博物館所蔵 国宝・重要文化財
※「埴輪船」で検索してください。


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そして「京都~大阪間の淀川を往来した三十石舟とくらわんか舟の模型(イメージ)」
客を乗せて走る「三十石舟」に「くらわんか舟」と呼ばれる小舟で近づいて酒や食事などを売っているという様子です。
それにしても「三十石舟」を川岸で曳いている人がいることにオドロキ!(^^;

くらわんか舟


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快速帆船「カティーサーク」のイラスト。
「ウィスキー」の銘柄としても知られていますね。

この帆船は「中国」から「イギリス」「茶葉」を運ぶ帆船「ティークリッパー」として1869年に建造されました。
1972年にライバルの「サーモピレー」とのし烈な「ティーレース」(いかに速く運ぶか)を繰り広げました。
ですが、登場から10年足らずの1878年を最後に本業から引退。
その後「羊毛輸送」などに携わり、1895年「ポルトガル」に売却されましたが1922年に「イギリス」に復帰。
現在は「グリニッジ」で保存展示され、余生を送っているようです。

「帆船の発達
 メソポタミアで発見された紀元前3500年ごろの泥でつくられた船の模型は、当時、
 既に帆かけ舟があったことを示している。
 西暦1000年ころには、「ラティーン・セイル」(三角帆)が現れ、船は風上に向かって走れるようになったが、
 まだオールでこぐことも必要であった。
 15世紀になると、帆はより大きく、また数も増えて、帆だけで走る船が現れ、より長い航海ができるようになった。
 やがて19世紀の初めには、帆船の技術は最高になり、スピードを競い合った。」


カティーサーク@Wiki


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1930年(昭和5年)に登場した「日本」の練習帆船「日本丸」(にっぽんまる)。
同時に姉妹船の「海王丸」(かいおうまる)も登場しています。

その美しい姿から「海の貴婦人」とも呼ばれました。
1984年(同59年)に引退してその任を「日本丸Ⅱ」に譲り、現在は「横浜」「日本丸メモリアルパーク」に保存されています。
一方「海王丸」は1989年(平成元年)に引退して「海王丸Ⅱ」が後継船となり、「富山県」「海王丸パーク」で保存されています。


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世界で初めて実用化された「蒸気船」「クラーモント号」の模型。
1807年に「ロバート・フルトン」によって造られ、同年8月に試験航行を成功。
9月には営業運行を開始させています。

ところで、疑問が1つ。
なぜ「外輪」があるのに「帆」がついているんでしょうか?
そう思ったらちゃんと答えが書いてありました(^^;
当時の「外輪」は推進のためではなかったんですね。

「(船腹の輪を指し)これは"外輪"っていうんだけど、いったいどういう働きをしているんだろう?
 下にあるボタンを押してごらん。クルクル回りだしたでしょ!
 蒸気機関で外輪を回し、帆に風を受けることで船が進むんだよ。」


ロバート・フルトン@Wiki


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夜の航行の安全を守るのが「灯台」の役割。
これは「屋久島灯台」に使われていた8面ある「レンズ」のうちの1つです。
中央部分は「フレネルレンズ」という同心円状に段差がつけたものが使われています
1897年(明治30年)の初点灯時から使用されていたもののようです。
なお灯台は「屋久島」の北西端にあり、となりの「口永良部島」(くちのえらぶじま)との海峡付近を照らしています。

屋久島灯台@Yahoo!トラベル
屋久島観光協会
口永良部島ガイド協会
フレネルレンズ@Wiki


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レンズ上部の断面。
1枚ものの中央部とは異なり、分割された「プリズム」が並んでいます。
このときは、どうしてこのようにちがう構造になっているのかわかりませんでしたが、
後で調べたところ「外周部の光を水平方向に射出するため」とのことでした。


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小型船などに使われた「焼玉エンジン」(やきだま)。
以前「房総半島」の南端部を走ったとき、「館山駅」近くにある「"渚の駅"たてやま」で見たことがあります。
こちらに展示されていたのは3気筒(?)でした。
見た目は「ラピュタ」に出てきそうな「ロボット」3体が並んでいるような雰囲気です。

「焼玉エンジン  1966年
 「焼玉」というシリンダーの頭の部分を外から加熱して、燃料を爆発させる。
 構造は簡単で修理も楽なため、漁船や「ポンポン船」など広い範囲で使われたが、
 燃料の消費量が多いなどの欠点から、現在ではあまり使われなくなった。」


焼玉エンジン@Wiki

「館山」で「焼玉エンジン」を見かけたときの記事はこちら
2012年7月5日の記事 内房エリアへ


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こちらは大型船に使われていた(と思しき)「播磨スルーザーディーゼルエンジン」(1959年)の模型。
年代以外は詳細不明です(^^;


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幻となった巨大豪華客船の「橿原丸」(かしはらまる)。
当初は「貨客船」として建造されていましたが、「太平洋戦争」の開戦を控え「航空母艦」へと改装されました。
建造している時点で、すでにその改装を見越した造りになっていたようですが。
もし完成していれば現在就航している船も含め、国内では最大となっていたそうです。

この模型は本来の姿を再現したものと思われ。
さらにびっくりしたのは
「この模型は、マストなど一部の部品を除いて紙で作られている」
ということ!
よく見てみると確かに微妙に曲がったところなどがあるのでわかりますが・・・・・。
一体これだけの模型を造るのに、どれくらいの時間がかかったんでしょうか(汗)

「豪華客船の出現
 20世紀になると、エンジンの改良や船体の全鋼鉄化などの、新しい技術が進歩したため、
 遠洋航路でも使える客船がつくられるようになった。
 船会社は、金持ち客相手に「浮かぶ宮殿」といわれた「豪華客船」を競ってつくり、
 世界中で定期航路を開き、海外旅行が盛んになった。
 しかし、1960年代の終わりには、大型ジェット旅客機の発達によって、定期便はなくなり、
 豪華客船と呼べるものは、ゆっくりとした船旅を楽しむ「観光客船」(クルーズ船)だけになった。」


「客船「橿原丸」
 サンフランシスコ航路に就航する予定で、1939(昭和14)年、三菱長崎造船所で「橿原丸」として建造中に
 戦争のため、1941(昭和16)年、航空母艦「隼鷹」(ジュンヨウ)として改造され、翌年進水した。
 1944(昭和19)年12月、アメリカの潜水艦の雷撃を受け大破し、終戦後佐世保で解体される運命を辿った。
 豪華客船「橿原丸」としては日の目を見なかった。

 総トン数 27,700トン  全長 238m  全幅 26.7m」


橿原丸級貨客船@Wiki


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巨大な船といえば「タンカー」を忘れるわけにはいきません。
これは「ゴールデンイーグル」(1956年)という船。
「タンカー」というと「ブリッジ」(船橋、艦橋)が船尾近くにあるという(勝手な)イメージがあるので、
中央にあるのは意外な感じがしました。
この船についての詳細がわからないので何とも言えませんが(^^;

「タンカーの役割
 「タンカーは液体を運ぶ貨物船で、あらゆる輸送手段の中で、最も大量な荷を積むことができる。
 大型のものは、主に原油を運ぶために使われるが、液化天然ガスなど化学製品を輸送するものもある。
 また、原油と同時に鉱石や穀物などを運ぶ「兼用船」もつくられている。
 これは行きと帰りで異なる種類の品物を積んで往復輸送ができる。
 また、時期によって運賃の高いものを選んで運べるなど、むだのない輸送を可能にしている。」


タンカー@Wiki


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「青函連絡船」として活躍していた「八甲田丸」
運航最終日の1988年(昭和63年)3月13日、「青森」「函館」行きの最終便に充当された「メモリアルシップ」でもあります。
引退後は「青森駅」近くに係留され、「博物館船」として余生を過ごしています。
実物を昨年の夏に訪ねていたんですが、内部が公開されていることは知らなかったのでもったいないことをしました。

「鉄道連絡船と鉄道航路のあゆみ
 「鉄道連絡船」は、海や湖による鉄道線路の不連続点をむすぶ「列車」である。
 「鉄道航路」は、1882(明治15)年、琵琶湖の大津-長浜(ながはま)間に開かれたのが始まりで、
 この航路は東海道線が全通する1889(明治22)年まで運行された。
 貨車の航走が始まったのは1911(明治44)年の下関-門司(もじ)間で、当初は「はしけ」を使って行われた。
 その後、船内に直接車両を積み込むための設備が作られるようになった。
 現在では長大橋や海底トンネルで結ばれるようになったため、連絡船はほぼその役目を終え、
 JRと連絡する宮島航路、南海電鉄と連絡する南海フェリーだけとなっている。」


「青森駅」そばにある「八甲田丸」を訪ねたときの記事はこちら
2012年10月23日の記事 薄暮の青森港町を歩く


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「岡山県」「宇野駅」「香川県」「高松駅」を結んでいた「宇高航路」(うこう こうろ)で活躍した船たち。


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一風変わった形をしている「第三橋立丸」
「タグボート」のような船体の両舷に「貨車」を乗せた「はしけ」を従え、さらに後ろにもつなげています。


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最後は1988年に就航したクルーズ船「ふじ丸」
当時は日本籍最大の客船でした。
今年の7月1日のクルーズを最後に引退しています。

「客船「ふじ丸」
 1989(平成元)年、三菱重工神戸造船所で製造された、日本最初のクルーズ客船で、
 コンピューター制御による横揺れ防止装置などの安全システムを装備し、和室や展望大浴場などを備え、
 日本初のクルーズ客船の基礎となった。
 総トン数 23,235トン  全長 167m  全幅 24m
 ※この模型は、マストなどの一部の部品を除いて紙で作られている。」


ふじ丸@Wiki


すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、空(そら)です。
by sampo_katze | 2013-10-11 20:30 | 博物館・美術館 | Comments(2)
Commented by たけと at 2013-10-12 13:43
はじめまして、ブログ楽しく読ませて頂きました。
船が最初なんですね、6000年ってすごいですね^^
Commented by sampo_katze at 2013-10-13 19:58
たけとさん、こんばんは☆
そして初めまして!

船が移動手段として確立されたのが最初というのは確かに意外!?
でも、川や海に流れる流木なんかを利用しようと考えたのがきっかけかもしれませんね。
そうだとしても6000年前ってすごい!(笑)


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