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第7室-2・航空のあゆみ
大阪の交通科学博物館を訪ねよう!編・第8回


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「原点ははばたくことから」


第7室の続き、「船」の次は「飛行機」です。
「空を飛ぶ」というのは誰しも夢見ることでしょう。
アニメ「ドラえもん」の主題歌でも「空を自由に飛びたいな」というフレーズもありますし。

でも「ニンゲン」は生身では飛ぶことができません。
そこで飛ぶための機械を創り出し、それを用いて飛ぶことが研究されてきました。
このエリアではその歩みを紹介しています。

「大空への挑戦
 鳥のように大空を飛ぶことは、大昔からの人類の夢であった。
 翼をもった神や空を飛ぶ英雄の物語が、そうした思いを数多く伝えている。
 やがて、科学的な大空への挑戦が始まったが、それには大きく分けて二つの研究方法があった。
 『空飛ぶ汽車』をつくったヘンソンや彼の友人のストリングフェローは模型で研究して、
 それを人が乗れるまで大きくしようとした。
 リリエンタールやライト兄弟は操縦に重点をおいて、グライダーで実際に飛んで研究した。」

※説明文より引用、以下同じ


表紙の写真は、「レオナルド・ダ・ビンチのはばたき機」です。
実際に飛ぶ鳥の姿を観察したりし、それを基に設計図を描いたとされています。
ちなみにこの模型はどのような経緯で作られたかわかりません。
もしかしたら実際にはばたいて飛ぶのかも?
無理とは思いますが、その様子はぜひ見てみたいものですね。

また「ダビンチ」といえば、かつて「ANA」の社章に使われていた「ヘリコプター」のスケッチも有名。
ですが、こちらは展示されていませんでした。

オーニソプター@Wiki


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冒頭の説明文中に出てきた「リリエンタール」が飛行実験に使った「グライダー」
翼の下に操縦者がぶら下がって飛行する「ハンググライダー」のようなものだったようです。
「飛行」という人類の夢を実現する基礎を作った人物ですが、1896年の飛行実験で墜落し亡くなっています。
ですが彼が研究・実験で残したデータは後述の「ライト兄弟」にも影響を与えています。

「リリエンタールのグライダー
 1891年ドイツのリリエンタールが空中滑走に使用したグライダー。」


オットー・リリエンタール@Wiki


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「ライト兄弟」が造った「ライトフライヤー号」
1903年12月、人類初の「動力による空気より重い機械」での飛行に成功しました。
ちなみにややこしいですが「世界で初めて飛行に成功した航空機」ではないです(^^;

「空を飛ぶために  ~フライヤー号の工夫~
 翼の形は、何度も計算・実験して、主翼をたわませて機体の左右のバランスが取れるように設計した。
 翼を軽くするために、木と針金で骨組みを作り、綿布を張る工夫がされている。
 エンジンは、ちょうどよい出力と重さのものがなかったため、自分達で制作した。
 高性能ではなかったが、短時間の飛行には充分だった。
 プロペラは木を貼り合わせて、けずりだしている。
 機体後方に2つ取付け、左右の回転を逆にするために、片方のチェーンをねじって動力を伝える工夫をしている。
 操縦者はうつ伏せで乗り、機種を上下させる水平舵(すいへいだ)と、たわみ翼等を操作する。
 ライト兄弟は、様々な工夫で世界初の「動力飛行」を成功させた。」


ライト兄弟@Wiki


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一方「日本」では?
こちらは「エレキテル」でよく知られる「平賀源内」が考案した「雲中飛行船」
構想のみで実現はしなかったのかな?
飛ぶというよりは浮かぶという発想でしょうか。

「日本人による発明
 日本では江戸時代、平賀源内が『雲中飛行船』(うんちゅうひこうせん)という帆かけ船に
 気球を組み合わせたものを考えていた。
 また二宮忠八(ちゅうはち)は、科学的な航空原理でプロペラ飛行機を考えた最初の日本人であった。
 1893(明治26)年、彼の模型『玉虫型飛行器』は、飛行実験に成功したが、研究はそこで中断したため、
 1903(明治36)年、飛行機の発明はライト兄弟のものとなった。」



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「日本の航空機の父」とも呼ばれた「二宮忠八」
この「烏型模型飛行器」「カラス」が滑空する様子からヒントを得て作成した模型です。
1891年(明治24年)に初めて飛行実験に成功しました。
ちなみに「鳥型」(とりがた)ではなく「烏型」(からすがた)です。

「烏型模型飛行器
 最初に忠八が構想し、飛行に成功した模型の複製。」


二宮忠八飛行館
二宮忠八@Wiki


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「烏型」の飛行実験から2年後に有人飛行を前提に作成された「玉虫型飛行器」
実物の1/10の模型です。
その後は資金不足などのため研究は進まず、残念ながら実際に人を乗せて飛ぶことはありませんでした。
もし「忠八」がこの開発を上申した際に「軍」が受け入れていたら、「ライト兄弟」に先駆けて飛行実験に成功していたかも?
でも当時としてはあまりに荒唐無稽な提案だったからでしょうね。


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ちょっと毛色が異なりますが「硬式飛行船ツェッペリン伯号」(LZ 127)を。
「飛行船」というと楕円形をした巨大な「風船」(語弊がありますが)の下に「ゴンドラ」がついているタイプが思い浮かびますね。
それに対しこちらは外周に骨組みがあってそれに外皮を貼り、内部に浮揚ガスを入れる「気嚢」(きのう)を複数持っています。
ざっくり分けると前者を「軟式飛行船」、後者を「硬式飛行船」と呼びます。
詳しくは省きますが。

この「LZ 127」は1929年(昭和4年)8月に21日間強をかけて世界一周を実現しています。
ですが翌年「イギリス」「R101」が、1933年には「アメリカ海軍」「アクロン」が墜落し多数の犠牲者を出してしまいます。
さらに1937年5月6日には「ヒンデンブルグ号爆発事故」が発生。
空の主役は「飛行機」へと移っていきます。

飛行船@Wiki





「プロペラ機の発達
 「プロペラ」は、飛行機に推力を与えるためのもので、発案者は「飛行機の父」と呼ばれた
 イギリスのG.ケイリーであるといわれる。
 プロペラを回転させて飛ぶには、軽くて出力が大きい「ガソリンエンジン」が必要であった。
 アメリカのライト兄弟は、独力でそれを開発し、世界で初めて飛行機と呼べるものをつくった。
 その後、「プロペラ機」は多くの人々によって改良が重ねられ、「ジェット機」が現れるまで、
 飛行機の歴史の主役であった。」



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ここから「プロペラ機」の模型をいくつかご紹介。
まずは「三菱A6M零式戦闘機」、通称「ゼロ戦」
最初期のものですね。

「三菱A6M零式戦闘機 1939年:日本
 エンジン:中島栄12型(940馬力/離昇)1基  全幅:12.0m  全長:8.74m
 最大速度:509km/h  航続距離:1,875km(増槽付3,110km)
 武装:20mm機関砲2門  7.7mm機銃2丁  爆弾:30kgまたは60kg2発
 乗員1名 <データは最も活躍した零戦21型>」



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1936年から運用が開始された「ダグラスDC-3型双発機」
高いコストパフォーマンスを持ち、安定した性能と整備のしやすさから当時のベストセラー機になったそう。
「太平洋戦争」では輸送機としての生産も行われ、戦後は旅客装備を加える改造をされたものも存在します。

DC-3@Wiki


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さらにさかのぼって1929年の「ドルニエDo-X大型飛行艇」
「主翼」の上に6組12個の「プロペラ」がつくという特異な形が目を引きます。
内装は豪華で「空飛ぶ客船」といった風情だったようですが、問題点が多く製造されたのは3機のみ。
うち「ドイツ」の1機は1945年に空襲で破壊、「イタリア」が発注した2機は軍の実験に使用されたものの
短期間に終わり解体されてしまいました。

ドルニエ Do X


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「飛行艇」なので下から見ると「船」のような形をしています。


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「航空研究所長距離機」、通称「航研機」と呼ばれる記録機。
1938年に航続距離の世界記録を樹立した機体です。

「航空研究所長距離機 1938年
 製造者  東京帝国大学航空研究所
 エンジン V型12気筒 出力715HP(最大800HP)1基
 全長 15.06m  全幅 27.93m  全高 3.84m
 自重 3,850㎏  乗員3名  最大速度 245km/h

 東京帝国大学航空研究所では、航続距離の世界記録をつくるために記録機を制作した。
 1938(昭和13)年、第3回目の周回飛行が行われ、世界新記録11,651.011キロを樹立した。
 これは歴史上、日本が初めてつくった世界記録であった。」


山本峰雄サイバー・ミュージアム
古典航空機電脳博物館 ※メニューの「航研機物語」へ



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「ピストンエンジンのうつりかわり」


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実物もいくつか展示されています。
ここでは「星型エンジン」を1つだけご紹介。

「1910~20年代 ル・ローンC型エンジン(実物)
 大正時代の代表的なエンジンの一つです。
 フランスの設計で、同じ型のエンジンは早い時期に国産化されました。

 データ
  型式:空冷星型  シリンダ:9気筒  出力:80馬力
  製造年:1922年(大正11)  製造:東京瓦斯電気工業(株)

 冷却効果を高めるため、回転式になっています。
 同型は1916年(大正5)に、島津ローン式エンジンとして国産化されています。」



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様々な「プロペラ」
上から「ライト式」「サルムソン式」「ユンカース式」「ハーツェル式」、そして「YS11型用可変ピッチ」と並びます。




「プロペラ機」の実機も2機展示されています。
うち1機が通路の上に展示されている「川崎KAL-1型小型機」
機体がうまく撮れなかったので写真はありません(^^;

「川崎KAL-1型小型連絡機  1953年
 製造会社 川崎航空機(現 川崎重工業株式会社)
 エンジン ライカミングGO-435-C2 出力260HP 1基
 全幅 9.08m  全長 10.40m  全高 2.50m
 自重 1,120kg 乗員 4名    最大速度 290km/h

 戦前、多くの軍用機をつくっていた川崎航空機が、戦後初めてつくった軽飛行機。
 2機制作され、1号機は社有機で、2号機は陸上自衛隊で連絡機として使われた。
 乗員4名で1,600キロ飛ぶことができ、1954(昭和29)年には、台湾への親善飛行に使われた。」



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もう1機が「エアロコマンダー680F型飛行機」

「エアロコマンダー680F型飛行機  1960年
 製造会社 エアロ・コマンダーInc.(米)
 エンジン ライカミングIGSO-540-BIA 出力360HP 2基
 全長 10.7m  全幅 15.0m  全高 4.42m
 自重 2,522kg 乗員 7名(最大)  最大速度 450km/h(海面上)

 双発ビジネス機で有名なエアロ・コマンダー社が1960(昭和35)年に発表した高性能プロペラ双発機。
 高翼のため下への視界がよく航空写真や測量、新聞社の取材などに使われた。
 ここに展示しているのは、朝日新聞社で使われていた「東風」(こちかぜ)で、約21年間活躍した。」



すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、空の続編です。
by sampo_katze | 2013-10-13 20:15 | 博物館・美術館 | Comments(0)


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