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国宝・犬山城を訪ねる
犬山訪問Ⅱ~犬山城編・後編


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「巨石がお出迎え」


「犬山城」へと登城する前に周辺を歩き、「木曽川」に架かる「ライン大橋」から遠景も眺めて偵察は万全?
いよいよ「天守」へと攻め上がります。
とはいえ、見てると結構な山の上にありますからね~(^^;
以前、「福井県」「大野城」だったかな?
城へと通じる道の入り口に「登山口」なんていう看板が立ってたところもありました。
ここはそれほどきつくはなさそうですけど、油断しないで行かないと返り討ちにあうかも?
なんてね。

ちなみにここ「犬山城」は、かつては「個人所有の国宝の城」でした。
城を個人所有しているだけでもすごいのにさらにそれが「国宝」ですからね。
ですが2004年(平成16年)に所有者が「財団法人」に変更となっています。


表紙の写真は、入り口付近にある巨石です。
その大きさはなかなかのインパクトがあり、表面には「国宝 犬山城」と刻まれています。
ただこの石は石垣に使われていたものかもしれませんが、出どころはよくわかりません。


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「犬山城の歴史
 犬山城は天文6年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。
 戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関ヶ原の合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。
 小牧長久手合戦(1584年)の際には、豊臣秀吉は大坂から12万余の大軍を率いてこの城に入り、
 小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。
 江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元和4年(1618年)城主となってからは、
 成瀬家が代々うけついで明治にいたりました。
 明治4年(1871年)9代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、櫓や城門など天守閣を除く建物は
 ほとんど取り壊されてしまいました。
 明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れましたので、それを修理する条件で
 再び成瀬家所有の城となりました。
 その後、伊勢湾台風などでも被害をうけましたが、昭和36年(1961年)から40年まで4年間をかけて
 解体修理をおこないました。
 望楼型の独立天守で、高さは24メートルです。
 国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城の4城のなかでも、最も古い城であります。
 平成16年4月、財団法人 犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になりました。」

※説明板より引用、以下同じ


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「天守」の足下に到着。
小ぶりではありますが堂々としたたたずまいをしています。
最上層の手すりはかなり低いですね(^^;


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さっそく中へと突入!
靴は入口にあるビニール袋に入れて持って上がります。
「現存天守」なので、内部の階段は手すりが追加されているなどをのぞけば昔のまま。
ステップの奥行きは小さく角度は非常に急で、上がるのはともかく下りるにも一苦労。
しかも靴も持っているので片手がふさがってしまうのも難点ですね。
結構お年を召した方も多かったので何とかならないものかとも思うんですが、難しいんでしょうね。

「天守」の入口は地下2階で、ここは1つ上がった地下1階。
外からしか見られない石垣が内側から見られたり、むき出しになった梁が目の前で見られたり。
普段なら展示を横目にしてさっさと上に上がってしまうところですが、お客さんが結構多かったこともあり
時間つぶしも兼ねてじっくりと観察してしまいました。


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城内は例によって博物館のような感じで、さまざまなものが展示されています。
ただ撮影禁止でないというのがめずらしいですね。
これは「天守」の模型で、とても精巧に作られています。

「天守閣構造の大要
 坪数 約200坪
 外観 三重(内部4階、石垣の中2階付)
 内部
  1階 納戸の間 150畳
    中央部4室に区画した所があり 西南部に床が7寸高く 所謂、上段の間が南面して設けられ
    天井、床の間、床脇等の痕跡もあり特別室になって居る 創建当時の城主の居間で その北が武者隠の8畳で
    万一を警護する武士の詰所である 東2間は供に納戸で6畳と10畳とあり以上4室を取り巻く2間巾の板の間は
    武者走りと言います。
  2階 武具の間 144畳
    中央部が武具の間で西北東の三方に武具棚があります
  3階 唐破風の間 28畳  小間合せて41畳
    外観二重の屋根裏に当る
  4階 物見の段 28畳
    四方に約半間の廻椽及勾欄あり展望がよろしい
 天守の石垣 低いのは室町時代の特長であります」



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そして最上層である4階の「高欄の間」へ。
やわらかい風が吹き抜けて気持ちいいです。
急な階段の連続だっただけになおさらですね。

で、外に出てみると下から見たときにわかっていたこととはいえ欄干が低い!
しかも足元の通路も微妙に外側に向かって傾いています。
軽い高所恐怖症なので、あまり欄干の方には近づけませんでした(苦笑)
こちらは北側の眺めです。

「高欄(こうらん)の間
 ここは4階で高欄の間といいます。
 廻縁からの展望は素晴らしく戦国時代の見張台及び司令塔であったとみられます。
 又、対岸は美濃の国で、自然の断崖という天然の防備を持っています。
 広さ 49,835平方メートル」



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こちらは入場券売場のある南側。


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「ライン大橋」のある西側。
太陽がこちら側にあるので、ゴーストが写りこんでいます。


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そして最後は「モンキーセンター」がある東側の眺め。
右寄りの山の中には、この写真ではわかりづらいですが「モンキーパーク」の観覧車が見えます。

「木曽川」に架かっている橋は「犬山橋」
かつてこの橋は1925年に建設された「鉄道道路併用橋」で、道路の真ん中を「名鉄犬山線」が通っていました。
ですが交通量の増加にともなう諸般の事情により、2000年3月に鉄道と車道・歩道が分離されています。


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「天守」を後にして、再び「ライン大橋」へ。
日が傾いてきたので、夕日を浴びる「天守」が見られるかな?と思って。
でも思ったよりも赤くはならなかったですね。


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ここで考えを変えて、再び「犬山城」の駐車場へと戻ります。
城ではなく、夕日そのものを撮ろうと思って。
ふと見上げると青い空に飛行機の軌跡が2本、長く伸びていました。


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そして夕焼け!
地平線に近いところは雲が厚かったですが太陽があるあたりは少し薄かったからか、美しい光景が。
1日目のいい締めくくりとなりました(^^)


10枚目 D700+VR70-200mmF2.8G+TC-14EⅡ
ほかはすべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は犬山訪問の2日目、明治村を訪ねます。
by sampo_katze | 2016-01-31 21:00 | 東海・中部 | Comments(0)


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