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明治の偉人たちゆかりの建物
犬山訪問Ⅲ~博物館明治村編・第3回


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「学習院長官の官舎」


引き続き「1丁目」の建物群を見学します。
村内は「5丁目」まであるんですが、この時点で時刻は10時30分。
訪問した11月の開村時間は9時30分から16時までとやや短いため、このペースで行くと全部まわりきれそうもありません。
最初のエリアがまだ未完了なのにすでに1時間経過しているとなると、単純計算で全エリアを見る所要時間は6時間。
でも興味がある建物はついじっくり見てしまうのでそんな計算は成り立つわけもなく、もうあきらめモードですね~。
次の日に再訪という手もなくはないですが今回はその予定もありませんので、また日を改めてということで(^^;


表紙の写真は、「東京都豊島区」にあった「学習院長 官舎」です。
「学習院長」の公邸として建てられたもので、建設前年の明治41年に「学習院」が現在の「目白」に移転したのがきっかけ。
内部は一般公開されていませんが、見学会に参加すれば中を見ることができるようです。
ただこの日は都合により?見学会は中止となっていました。
まぁこちらも時間が合いそうになかったんですけどが、いずれにしてもちょっと残念!

「学習院長 官舎
 旧所在地 東京都豊島区目白町
 建設年 明治42年  解体年 昭和37年  移築年 昭和39年
 建築面積 54.6坪  構造 木造二階建  寄贈者 学習院大学

 学習院長官舎は学習院長の公邸であって、接客や実務を行う洋館と住まいとしての和館とをつないだものである。
 官公庁をはじめとする公的な場は、生活の場よりも早くから洋式化し始めたため、
 明治後期にはこのような和洋を折衷する形式がみられた。
 創建当時、第10代院長であった陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)は赤坂の私邸から通ったが、
 その後の第11代から第17代院長はこの建物を住居として使用した。
 車寄上部には鋳鉄で学習院の校章「桜」を描いている。」

※説明板より引用、以下同じ


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「車寄」の上にある装飾。
先の説明にある通り、「学習院」の校章となっている桜がかたどられています。
でももしこの説明がなかったら見過ごしていたかもしれないですね~。


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建物の左側に回ってみると、出窓が。
めずらしいな?と思ってのぞいてみると中は台所のようでした。
暗かったので窓越しの撮影は無理でしたが(^^;


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別の部屋を見てみると、こちらは洋風の内装です。
建物の見取り図によるとここは「応接室」となっています。


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こちらは窓側に机が置かれていて、見取り図では「書斎」とあります。
背もたれの低い椅子が1脚にやや豪華な椅子が2脚あることから、簡易的な応接にも使われていたのかもしれません。


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右手に回ってみると、縁側がありました。
こちら側は住居として使われていた和館のようです。
この日は曇っていましたが、天気がいいときはここで日向ぼっこをしてみたいですね(^^)


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縁側にはなぜか1着のドレスが飾られています。
これは日本で初めて発表された「美人コンテスト」にちなむもののよう。
ただ、このドレスがどのような出自なのかはよくわかりません。


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こちらがそのコンテストでノミネートされた美人たち。
左に写っているのが1等となった「学習院」の女性です。
でも、1等に選ばれたことで大変なことになってしまったようで・・・・・。

「乃木希典院長と美人コンテストとの意外な関係?!
  これは明治40年3月15日に発表された日本初の美人コンテストの結果の一部です。
 主催はアメリカの新聞社「シカゴ・トリビューン」で、その依頼を受けて日本の「時事新報社」が令嬢を対象に
 美人写真大募集を行いました。
  厳しい審査の結果、みごと1等をとったのが女子学習院中等科で3年で16歳の末弘ヒロ子でした。
 我が校から日本一の美人が選ばれ、学校挙げて大喜び!と思いきや、その正反対。
 なんと、乃木院長をはじめ職員たちはヒロ子に風紀を乱すとして退学を命じたのです。
 当時の新聞記事にのった学校側の意見は・・・

  「・・・女は虚栄心の盛んなるもの、いわんや女学部生徒のごとき上流の家庭に育ちしものにありては、
   本人が虚栄心に駆られて自ら応募せしならば、他生徒等の取り締まりの上、停学もしくは諭旨退学の処分をなさんと
   目下しきりに協議中にて、(中略)なおヒロ子他これに応募したる同校生徒をもそれぞれ取り調べの上、処分するはずなりと。」
  ⇒明治41年3月22日 大阪毎日新聞

  実は写真はヒロ子の義兄が勝手に送ったものでした。
 父や新聞での抗議もむなしく、ヒロ子は結局自主退学させられてしまいます。
 しかし、乃木院長はヒロ子を冷たく放ってはおきませんでした。ヒロ子に結婚相手を探して、自ら仲人となったのです。
  お相手は野津道貫(のづみちつら)の息子で伯爵の野津鎮之介(しんのすけ)でした。
 結局、ヒロ子は伯爵夫人という幸せをつかんだのです。」



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続いては「重要文化財」となっている「西郷從道」(さいごうつぐみち)の邸宅です。
「從道」は「西郷隆盛」の実の弟とのこと。
歴史、特に近代史は詳しくないので今回初めて知りました(^^;
玄関は向かって後ろにあるので、こちらは背面側となります。
2階の半円状になったバルコニーがいい感じですね。

「西郷從道邸
 旧所在地 東京都目黒区上目黒(西郷山)
 建設年 明治10年代  解体年 昭和38年  移築年 昭和39年
 建築面積 76.8坪  構造 木造二階建銅板葺  寄贈者 日本国有鉄道

 この建物は西郷隆盛の弟、西郷從道が建てた住宅のうち、接客用に設けられた洋館である。
 從道は陸海軍の大臣を歴任していたため、在日外交官の来客も多く、明治22年(1889年)には明治天皇の行幸も仰いだ。
 設計にはフランス人レスカスが関与していると伝えられ、建築金具や階段などをフランスから取り寄せているほか、
 2階には日本三景が描かれた陶板で飾った暖炉も設置されている。
 この建物は耐震性を高める工夫がなされており、屋根には軽い銅板が葺かれ、壁の内側にはおもりとなるように
 煉瓦が埋め込まれていた。」



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玄関横の紅葉がとてもきれいだったので思わず1枚。
外壁の淡い色とは好対照です。


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建物の外から食堂の様子を。
テーブルの上には食器類が並べられていて、今にも食事が始まりそうな雰囲気です。


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内部の見学もすることに。
テーブルの上に並んでいるのは「ノリタケ」のティーセット?です。
ここや先の食堂ではいすにも座ることができました。
明治の洋館に招かれた客人の気分を味わうことができますよ。


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食堂の隣の部屋の天井。
鉄板を型押ししたものが張られているんだとか。

「豆知識
 この部屋の天井は、鉄板を押して整形したものが張られています。
 近代以前の建物に多く見られる『石彫』『木彫』などの装飾を、産業革命によって生まれた大量生産品で
 代用するようになったものです。
 しかし、明治10年頃の日本では超高級品に値しました。
 二階ベランダでも見られます。」



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別角度から。
向かって右側は木々に囲まれているため、見ることはできないようでちょっと残念。


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そこから少し坂を下ったところに明治の文豪も住んだ住宅があります。
元は医学博士の「中島襄吉」(なかじまじょうきち)の新居として建てられたものだそう。

「森鴎外・夏目漱石住宅
 旧所在地 東京都文京区駒込千駄木町
 建設年 明治20年頃  解体年 昭和38年  移築年 昭和39年
 建築面積 39.2坪  構造 木造平屋建  寄贈者 斎藤文根

 この建物は明治の文豪森鴎外と夏目漱石が時を隔てて借りた家であるが、当初は医学士中島襄吉の新居として
 建てられたものである。
 鴎外は明治23年から1年半ほどこの家に住み、「文づかひ」などの小説を書いた。
 約13年後、漱石は明治36年から約3年住み、「吾輩は猫である」を書いて文壇でその名を高めた。
 文中ではこの家の様子をよく描写している。
 住宅としては玄関脇の張り出した和室(書斎)、台所から座敷への中廊下は住宅の近代化の先駆けとみることができる。
 なお、漱石が住んでいた頃、書斎の東北隅に幅6尺・奥行3尺で西向きの押入があったことを示す痕跡が発見されたが、
 資料不足のため復元を行っていない。」



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坂を下りきると家の前へ。
理想的な和風住居といった感じです。
長い縁側があるのがいいな~。


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「夏目漱石」の作品の1つ「吾輩は猫である」にちなんで猫の置物が出迎えてくれました。
奥には「夏目漱石のおともだち」として3人の人物が紹介されています。
ですが、猫に気を取られていてそちらは未チェックでした(汗)


すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、明治時代の貴重な鉄道車両を見学します。
by sampo_katze | 2016-02-06 22:00 | 東海・中部 | Comments(0)


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