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4丁目の武術道場と病院とSL
犬山訪問Ⅲ~博物館明治村編・第9回


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「"ハイカラ3"が通る」


「3丁目」にある「品川燈台」を後にして、再びちょっとした山道を歩いていきます。
結構アップダウンがあるので、前半は平気でしたが後半になるとだんだんしんどくなってきます。
日ごろの運動不足がたたっているのはいうまでもありませんが。
でも村内をめぐる「バス」は使わない方針で進めていきます。
べ、別に無理をしているわけじゃないんですよ~(^^;

さて次の「4丁目」へ。
すでに昼をだいぶ過ぎているので、お腹がずいぶんすいてきました。
そのせいもあって「3丁目」~「4丁目」はかなり駆け足でめぐっています。
後半になるほどペースが上がっているんですよね(笑)


表紙の写真は、村内をめぐる「村営バス」です。
先の「市電 京都七条駅」付近で見たのは「小型路線バス」という感じの車両でした。
でもここですれちがったのはレトロな「ボンネットバス」
詳しいことはわかりませんが、年代物の車両のようです。
このときは坂の下から上がってくるのを偶然見つけ、少しあわててたので写真を撮るので精いっぱい。
エンジンの音とかまで気が回りませんでした。
あとから見ると、「運転手」の服もレトロ調になっているのがわかりますね。


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こちらは「金沢市」にあった「第四高等学校武術道場」「無声堂」(むせいどう)。
「柔道」「剣道」「弓道」の3つの道場があります。

「第四高等学校武術道場「無声堂」
 旧所在地 石川県金沢市仙石町
 建設年 大正6年  解体年 昭和44年  移築年 昭和45年
 建築面積 176.1坪  構造 木造平屋建  寄贈者 石川県

 第四高等学校武術道場「無声堂」は柔道、剣道、弓道の3つの道場からなっている。
 第四高等学校の創立30周年を記念して大正6年(1917)に建てられたもので、後に金沢大学へと引き継がれた。
 一見伝統的な造りに見える建物だが、柔道場の床の弾力を高めるためスプリングを入れ、
 剣道場の反響を良くする目的で床下に溝が掘られ、また弓道場の的場側には全面開放が可能である。
 「無声堂」の名は「孫子 虚実篇」から取られたものである。」

※説明板より引用、以下同じ


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中に入ってみます。
手前の畳敷きになっているところが「柔道場」で、奥の板張りの部分が「剣道場」です。
「柔道場」の畳の上でジャンプしてみたところ、やや硬いですがスプリングの効果を感じることができました。
見た目にはわからないところに様々な工夫が施されているんですね。
また「弓道場」は左奥に見える小さな出口のさらに奥にあります。


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壁には「心身自在」と書かれた書が掲げられていました。
なんともこの場に合った言葉のように感じましたが、いつ誰の書かはわかりません(^^;


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つづいては「渋谷区広尾」にあった「日本赤十字社中央病院病棟」
「中央病院」というにはずいぶん小さいように見えますが、それもそのはず。
ここにあるのは9棟あった病棟のうちの1棟だからです。
屋根の上には3つの換気塔が並んでいます。

「日本赤十字社中央病院病棟
 旧所在地 東京都渋谷区広尾
 建設年 明治23年  解体年 昭和48年  移築年 昭和49年
 建築面積 89.5坪  構造 木造平屋建  寄贈者 日本赤十字社

 日本赤十字社は、明治10年(1877)西南戦争が始まった時に敵味方の区別なく負傷者を救護するために
 設立された博愛社を前身とする。この中央病院は、わが国が明治19年(1886)に万国赤十字条約に加盟した際、
 皇室から賜った御料地に建てられた大規模病院である。西洋の病院にならった分棟式で、
 9棟の病棟が中庭を囲んで配置された。
 設計監督は、赤坂離宮の設計者であり、日本最初の建築家4人のうちのひとり、片山東熊である。
 ハーフティンバースタイルを基調とした洋風になっている。
 病棟は高床で二重床とし、屋上には換気塔を設け、廊下はガラス張りとなっている。
 防湿、採光、換気など病院建築として細心の注意が払われている。」



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入口を入って右側には木製のレリーフが飾られています。
中央には「赤十字」、上段には「鳳凰」が刻まれていました。
なかなか豪奢な作りです。


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病棟内の廊下。
向かって左側に病室が並んでおり、その反対側は全面ガラス張りになっていて明るい雰囲気です。


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全体平面図。
向かって右が北で、ここに移築された病棟は赤く塗られた部分です。
これを見ると廊下の奥で、さらに別の建物へとつながっていたようですね。

「日本赤十字社中央病院病棟の建築について
 病院はドイツのハイデルベルグ大学病院に手本をとったといわれ、木造平屋建てで、レンガ造りの本館と、
 木造の手術室、9棟の病棟からなる分棟式病院で、中央には広々とした中庭を設け、相互に渡り廊下で連結されていました。
 建物北側に沿わせた(明治村では南北がちょうど逆に建てられています)幅一間の廊下に、背の高い引き違いガラス窓を並べて
 十分な採光を確保し、また、床を高く、屋上には換気塔を設けるなど、通風・換気に注意が払われています。
 病棟の端には、浴室・便所が別棟で併設されています。
 外壁はハーフティンバー様式で、下見板は平張で、欄間は赤十字を文様化した装飾で、腰板は「たすきがけ」に
 化粧板を交差させ、軒先には華やかな透かし軒飾りをめぐらしています。
 この病棟の設計に当ったのは、宮廷建築家として名を馳せた『片山東熊』(かたやまとうくま)です。
 明治村に移築されているのは西三号病棟です。」



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各病室は展示室になっていて、さまざまな資料を見ることができます。
そのうちの1室ではこのようにベッドなどが展示されています。
置かれているベッドは4基でそれぞれ微妙にスタイルが異なっていますが、これはランクのちがいによるものだそう。
また枕元には「病院食」のサンプルも置かれていました。

「日本赤十字社中央病院の病棟は特等病室・上等病室・中等病室・下等救助病室の4つのランクに分けられています。
 この病室は下等救助病棟の5人部屋ですが、ここに展示しているものは、各病室で使用されたベッド及び調度品です。
 (ベッドの種類、調度の種類が病室によって異なっています。)」



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再び屋外展示へ。
静態保存されている「尾西鉄道蒸気機関車1号」
「尾西鉄道」(びさいてつどう)は1898年(明治31年)に開業した鉄道で、この機関車はその前年に製造されたものです。
その後の1925年(大正14年)に「名古屋鉄道」と合併し、現在の「名鉄尾西線」となりました。
なお同鉄道で活躍していた別形式の機関車が村内で動態保存され、客車3両とともに活躍しています。

「尾西鉄道蒸気機関車1号  明治30年(1897)
 アメリカ ブルックス社(Brooks Locomotive Works)製
 この蒸気機関車は尾西鉄道が開業するにあたってアメリカのブルックス社から購入し、
 現在の名古屋鉄道尾西線(びさいせん)を中心に走った1号機です。
 尾西鉄道は大正14年(1925)年に名古屋鉄道と合併したため、この1号も名古屋鉄道の所属となり、
 最後には新潟県の信越本線二本木駅に隣接する日本曹達株式会社で工場専用機として使用されていました。」



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正面から。
真ん中に大きく掲げられた「1」が誇らしげです。
前照灯はなく、連結器も旧式の「鎖式連結器」がついています。
ただし「自動連結器」がつけられていた時期もあったのではないかと思われ。
車両の歴史がわからないので詳細は不明ですけどね。


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側面についている車両の銘版。
上半分の「BROOKS LOCOMOTIVE WORKS」は製造会社だとわかりますが、下半分の「DUNKIRK U.S.A.」が不明。
「Dunkirk」(ダンケルク)は「フランス」にある地名らしいんですよね。


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動輪は2軸。
現代風でいうと「B-1形蒸気機関車」といったところでしょうか。


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「運転席」も見学できます。
中の構造は比較的シンプルでしたね。


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「1号機関車」の後方には国内初の複線用鉄橋である「六郷川鉄橋」が架かっています。
鉄道開業当初の橋は木製だったというのはちょっとオドロキですね(^^;
また、この場所は少々深めの谷?になっています。
そのため、複線線路のうち一方は人道橋になっていました。

「六郷川鉄橋
 旧所在地 東京都蒲田・神奈川県川崎間の六郷川
 建設年 明治10年  解体年 昭和40年  移築年 昭和63年
 全長 約30m/幅 約7.5m 桁高 約3m  構造 錬鉄製トラス桁

 六郷川鉄橋は日本初の複線用鉄橋である。明治5年(1872)に日本で初めて鉄道が開業した当時、
 新橋-横浜間に架かる橋は全て木橋であった。開業直後、複線化の計画とともに桁橋への架け替えが進められた。
 六郷川に架けられていた当時、橋は錬鉄製トラス6連からなる本橋と避溢(ひいつ)橋(川が増水氾濫した場合を想定し、
 河原に続く陸地部分に架ける橋)からなり、全長が約500mであった。明治村へ移築されたのは本橋部のトラス1連である。
 設計は、お雇い外国人であるイギリス人土木技師ボイルによるものであり、イギリス・リバプールの
 ハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社で製作されたトラス桁を輸入した。」



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橋に取りつけられた銘版。
ここには土木技師の「ボイル」の名は読み取れますが、説明にあるほかの内容は・・・・・?

「WILLIAM POLE.
 F.R.S.
 ENGINEER IN ENGLAND

 R.VICARS BOYLE.
 C.S.I.
 ENGINEER IN JAPAN」



すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、4丁目から最後のエリアの5丁目へと進みます。
by sampo_katze | 2016-03-05 21:00 | 東海・中部 | Comments(0)


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