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彦根城博物館を見学・続き
真夏の出張2016のオフタイム編・第3回


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「藩の中心的建物」


前回に引き続き「彦根城博物館」です。
建物は1987年(昭和62年)に復元した「表御殿」で、「彦根市市制50周年」を記念したもの。
「彦根藩」の藩主を務めた「井伊家」が伝えてきた美術工芸品や古文書、土地や藩に関する資料など膨大な資料を収蔵しています。
内部は基本的に撮影がOKというのもちょっと意外でしたが、うれしいポイントでした。
事前にわかっていれば「D700」を持ってきたでしょうけど、後の登城のことを考えると微妙なところ?
季節が真夏でなければ間違いなく持ってきてたでしょうけどね。

「表御殿
 表御殿は、彦根藩の藩庁であったところで、藩の政務や対面、儀式に使われた公的空間(表向き)と、
 藩主が日常生活をおくった私的空間(奥向き)で構成されていました。
 この表御殿は、明治維新後に取り壊されましたが、昭和62年(1987年)に復元し、現在は彦根城博物館として開館しています。
 復元した表御殿の内、寛政12年(1800年)に建てられた能舞台(市指定文化財)は当時の建物で、藩主が日常生活を送った
 奥向きは当時の姿さながらに木造で復元しています。」

※説明板より引用、以下同じ


表紙の写真は、「彦根城博物館」の入口付近の様子です。
左手にある「ひこにゃん」のパネルの奥が入口で、靴を脱いで上がります。
中はクーラーが利いていたので、見学する前に汗が引くまで座って休ませてもらいました(^^;
また右手にある門の先では「ひこにゃん」のパフォーマンスが行われます。
時間によって行われる場所が異なるので、「表門橋」などにある掲示をチェックしておきましょう。


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前回は守りの要たる「甲冑」がメインだったので、今回は攻めの「刀」とその付属品から。
展示されている種類は多いですが、こちらでアップするのは少ないです(^^;
まずは「来国光」(らいくにみつ)の手による「太刀」
かなりの長さがありますが製作当初より短くなっているとのことです。
本来はどれくらい長かったんでしょう?

「太刀 銘 来国光  鎌倉時代  本館(井伊家伝来資料)
 彦根藩井伊家初代・直政の指料(さしりょう)と伝えます。
 擦り上げられ、製作当初の姿から短くされていますが、それでもまだ長身です。棒樋(ぼうひ)が入った中反りの姿に、
 刃紋(はもん)は来派の作風とされる沸出来(にえでき)の直刃(すぐは)にわずかに小乱(こみだれ)を交えます。
 来国光は、鎌倉時代後期に山城国(やましろのくに 京都府)で活躍した来派の刀工です。同じ来派の国次(くにつぐ)と並び、
 この時期を代表する名工といわれました。」



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「堀川夜討図三所物」(ほりかわ ようち みところもの)。
「三所物」とは「刀」の付属品で、上から「目貫」(めぬき)・「笄」(こうがい)・「小柄」(こづか)です。
「目貫」は「刀」の「柄」(つか 握るところ)につける装飾。
「笄」は「櫛」(くし)のように髪を整えたり、あるいはかゆい所をかいたりするためのもの。
「小柄」は「小刀」の「柄」のことで、ここでは「刀身」がありません。
モチーフとなったのは「平家物語」の1シーンとのこと。

「堀川夜討図三所物  江戸時代  本館(井伊家伝来資料)
 『平家物語』巻12、土佐坊被斬(とさぼうきられ)の段を意匠化した小柄・笄・目貫です。
 平家討伐後、源頼朝は弟である義経を亡き者にすべく、家臣の土佐坊昌俊(しょうしゅん)を京都へと遣わしました。
 昌俊は義経邸へ襲撃を試みたものの、捕らえられ、六条河原で斬られてしまいます。
 この三所物が描いているのは、頭巾を被った昌俊が、義経の住む堀川館へ夜襲をかけている場面です。」



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「平家物語図鍔」
「鍔」(つば)は「刀身」と「柄」の間にある武具で、こちらも「平家物語」からモチーフを取っています。
先の「三所物」にしても、この小さな部位に見事な装飾を施したものと感心しますね。

「平家物語図鍔  江戸時代  本館(井伊家伝来資料)
 『平家物語』の場面を表した鍔。藤原仲国(ふじわらのなかくに)が、高倉天皇の寵愛を受けた琴の名手小督(こごう)を、
 琴の音を頼りに探し歩く「小督」をはじめとした、4つの場面が立体的に彫り出されています。
 鍔や目貫などの刀装具の中には、本作のように文学作品を題材とした意匠が数多く見られ、
 その中でも『平家物語』に取材した作品の多さは群を抜きます。」




ここからは「能」(のう)に関する展示をご紹介。
「能」自体は正直難しくてよくわからないんですが(^^;
でも展示はおもしろかったですね。

「幽玄の美
 江戸時代、能は武家の式楽として、四季折々に演じられました。
 面や装束にみる洗練された美意識は、新鮮な魅力にあふれています。」


「能面
 能の面には、儀式的な祝言「翁」(おきな)に専用の翁系の面のほかに、男の老人である尉(じょう)の面、鬼神の面、怨霊の面、
 そして男・女の面があります。主要なものだけでも約六十種。役柄によっても使いわけます。
 面は一見すると無表情のようにも見えますが、舞台の上では上下左右の動きにつれて、千変万化の表情を生み出すのです。」



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まずは「能面」「三光尉」(さんこうじょう)。
「尉」とは、年老いた神あるいは神の化身としての老翁のこと。
昔話に出てきそうなおじいさんって感じですね。

「三光尉  江戸時代  本館(井伊家伝来資料)
 老翁の相貌。室町時代の面打、三光坊(さんこうぼう)が創出したので、この名があるといいます。
 尉の面には、老神の面から人間の老人まで、いくつかのパターンがありますが、三光尉は皺の数が多く、しかも肉厚に作られます。
 やや品格には欠けるものの、かえって庶民性を感じさせます。」



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続いては非常に難読な字を含む「癋見悪尉」(べしみ あくじょう)。
同じ老人でも目や鼻の大きさが強調され、さらに険しい表情が迫力あります。
でもどことなくユーモラスな雰囲気も感じられるんですよね。
個人的にはこれがお気に入りでした。

「癋見悪尉  中村直彦作  大正~昭和時代初期  本館(井伊家伝来資料)
 年の功を経た天狗の首領の面。癋見と悪尉の双方の性格を兼ね備えます。
 悪尉は、強く猛々しい老人、癋見は天狗??(注)の面、眼光鋭く、口を真一文字に結び、まさに力強さがはちきれるようです。
 直彦は、大正から昭和前期を代表する面打。」

注:現地で撮った写真に不備があり、読み取れなかった部分です(^^;


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「今月の逸品」として展示されていた「大鷹」

「大鷹  桃山時代  本館(井伊家伝来資料)
 おもに神霊の役に用いられます。しかめた眉間の皺、盛り上がった眼、歯間にのぞく赤い舌。鋭さが一段と強調されています。
 面裏の朱漆銘によれば、鳥取・池田家が享保16年(1731年)に求めたもので、作者は、越前出目(でめ)であるとあります。
 江戸時代の世襲面打と区別して、それ以前の出目家を越前出目と称しました。
 細工が宜しい(よろしい)とあるのも、おもしろいところです。」



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面の裏に書かれている文字。
一番左に「細工が宜しい」と書かれているんですね。

ほかにもいくつか展示されていたんですが、面はここまで。
あまり載せると大変になるので(^^;
続いては「能装束」(のうしょうぞく)です。

「能装束
 能の装束には、唐織(からおり)・厚板(あついた)などの小袖から、狩衣(かりぎぬ)・長絹(ちょうけん)などの広袖のもの、
 そして大口(おおくち)・半切(はんぎり)などの袴にいたるまで、実に多くの種類があります。
 そこには多様な色彩や文様がみられ、舞台ではその組み合わせにより役どころをみごとに印象づけるのです。
 永い年月の間に洗練を重ねた能装束のデザインは、現代の私たちの目にも新鮮な感覚をそなえています。」



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「能装束」の展示。
役柄に応じてさまざまな衣装があります。


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左から2番目にある「袷法被」(あわせはっぴ)をアップに。
雲、そこから伸びる稲妻、その中を自由に飛び回るような龍。
見た目にわかりやすいこともあって、つい目を引きました(^^;

「袷法被 紫地稲妻と雲飛龍文様  大正~昭和時代  本館(井伊家伝来資料)
 紫の地にとげとげしい稲妻と瑞雲(ずいうん)、飛竜を配した金襴(きんらん)の1領。なめらかな金糸のきらめきと輝き。
 際立つコントラストが、いちじるしい効果をあげています。
 法被は、武人や鬼畜の役に用いる表着(うわぎ)で、鎧や超現実的な衣服を象徴するものです。」



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最後はとても豪華な「唐織」(からおり)。
今思えば、細部をもう少し撮っておけばよかったな~と。

「唐織 紅萌葱濃茶段青海波に色紙短冊菊萩文様(べにもえぎ こいちゃだん せいがいは しきし たんざく きくはぎ もんよう)
   江戸時代  本館(井伊家伝来資料)
 金糸の青海波(せいがいは)に、菊や萩の秋草、そして色紙や短冊を散らします。豊かな色彩を巧みに処理して
 豪奢(ごうしゃ)な世界を作り出しており、能装束の魅力をこの1領に凝縮した感があります。
 唐織は、能装束を代表する華麗な装束で、おもに女役の表着として用いられるものです。」



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次回は、ひこにゃんのパフォーマンスの様子です。
by sampo_katze | 2016-12-12 21:30 | 東海・中部 | Comments(0)


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