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天守への道はプチ登山
真夏の出張2016のオフタイム編・第5回


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「急こう配と落石に注意」


「ひこにゃん」のパフォーマンスを見たので、いよいよ「天守」へと向かいます。
でもその道は結構急な上に、階段も幅広タイプで歩きづらいです。
敵が攻め込んできたときのための備えですから、歩きづらく造ってあるんですね。
しかもこの日は真夏の猛暑のおまけつきという二重苦。
果たしてたどり着けるんでしょうか(^^;

「お城の石段
 彦根城天守へ登る山道は4箇所ありますが、その石段は非常に登りづらいと言われています。もともと城への石段は、
 万一敵が攻め入った場合、歩調が乱れ一息で登れないよう、意図的に不規則に造られているものです。
 お寺の屋根のように、最初はゆるやかな登りが、登るにつれて斜度が急になり登りにくくなったり、踏み幅や踏み高を
 微妙に違わせ一定にせず、敵に対しては足元に注意を向けながら登らせ、上から攻撃しやすくしているのです。
 観光客の皆さんには、大変登りづらいと思いますが、十分気をつけてご見学ください。」

※説明板より引用、以下同じ


表紙の写真は、登り口から眺めた「天守」への道です。
右にゆるくカーブしながら上へと続いていますね。
このあたりは山の木が生い茂っているので日陰になっていて、幾分涼しいかな~?
なんて思ってましたが、この暑さでは効果なし!
周りが暑すぎて「焼け石に水」状態でした(汗)


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登り口の手前には「杖」が置かれていました。
道中は転落防止の柵はありますが、手すりのようなものはありませんからね。


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約3分後。
初めの上り坂をクリアしました~。
勾配はキツイですが、距離が短かったのは幸いです(汗)


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坂の先で1度平坦になります。
その先には「天秤櫓」(てんびんやぐら)へと続く「廊下橋」(ろうかばし)が架かっていました。
この写真は橋をくぐって反対側から見たところです。
坂側から撮ろうとしたんですが、まともに逆光でしたので。
このあと、向かって右側にある階段を通って「廊下橋」へと上がっていきます。
そう、まだまだ上りは続くんですよ~・・・・・orz


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「廊下橋」への階段の途中から「天秤櫓」をパノラマで撮ってみました。
超広角がないこういうときには便利ですね~。

「天秤櫓
 天秤櫓は、大手門と表門からの道が合流する要(かなめ)の位置に築かれた櫓です。この櫓は、上から見ると「コ」の字形をしており、
 両隅に2階建ての櫓を設けて中央に門が開く構造となっています。あたかも両端に荷物を下げた天秤のようであり、江戸時代から
 天秤櫓の名があります。けれども詳細に見ると両隅の2階櫓は棟の方向が異なっており、格子窓の数も左右で違うなど
 決して左右対称ではありません。このような構造の櫓は他に例がありませんが、均整のとれた美しさに加え、
 城内の要の城門としての堅固さを感じさせます。
 大手門と表門からの道が合流する天秤櫓の下は、鐘の丸から天守へと伸びていた尾根を、築城時の縄張りによって
 大きく断ち切った箇所で「堀切」(ほりきり)と言います。堀切には橋が架かっていますが、この橋がなければ天秤櫓の高い石垣を
 登らないと本丸へ侵入できません。戦となれば、この櫓が果たす役割は重要でした。
 天秤櫓が築かれるのは、築城の開始から数年後と考えられています。彦根藩主井伊家の歴史書である『井伊年譜』(いいねんぷ)には、
 この櫓が長浜城の大手門を移築したものであると記しています。昭和30年代の解体修理では、移築された建物であることが判明し、
 「上り藤」や「三つ柏」など井伊家の家紋とは異なる紋瓦も確認していますが、天秤櫓の前身が『井伊年譜』の記載どおり
 長浜城大手門と断定するまでには至っていません。
 天秤櫓はおよそ400年の長い年月の間に、幾度か修理を重ねてきました。中でも嘉永(かえい)7年(1854)の修理は大規模で、 
 建物のみならず石垣まで積み替えています。堀切から天秤櫓を見上げてみてください。右手の高石垣が、越前(現在の福井県北部)の
 石工たちが築いたと伝える築城当初の「牛蒡積み」(ごぼうづみ)。そして、左手が幕末の嘉永年間に積み替えた切石の「落し積み」です。」



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「天秤櫓」の概略図。
「廊下橋」から通じる入口を中心に左右対称になっているかというと、さにあらず。
両端の2階部分の建物の向きが90度ちがっていますね。
また入口は坂下側にずれてついています。
さらに石垣の積み方も左右で異なっていますが、これは後年に積み替えられたためのもの。


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「廊下橋」のたもとから石垣のちがいを見てみます。
こちらは「嘉永年間」に積み替えられた「落し積み」によるもの。
石同士のすき間があまり見られずすっきりとした印象です。


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反対側の「牛蒡積み」。
長い石が横向きに積み重ねられているんだそうで、その形から名前がついたのかな?
表面がデコボコしていて荒々しい雰囲気ですね。


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「天秤櫓」の内部が公開されていました。
せっかくなので中に入ってみることに。
内側の壁はむき出しの土壁になっていますが、「廊下橋」側は上下で厚さが異なっていました。
このときは確認してなかったんですが、反対の「天守」側は均一の厚さで造られているとのこと。
確かに内側を厚くしても意味がないですもんね(^^;

「天秤櫓の壁
 天秤櫓の壁は、防火や防弾のために厚い土壁となっています。土壁は、竹を縦横に組んだ竹小舞(こまい)を骨組みとして
 藁縄(わらなわ)を絡め、それに荒壁、中塗り、白漆喰(しろしっくい)の順に塗り重ねています。建物の外面は、
 柱などを土壁で完全に塗り込める「大壁(おおかべ)造り」、内面は柱を見せる「真壁(しんかべ)造り」となっています。
 また、敵が攻め寄せる外側は、防弾の効果を高めるために壁を二重に造って一段と厚くしています。
 その厚さは30cmを超えています。このように厚くなっているのは、防弾が必要な壁面の中位より下であり、
 それより上方は通常の土壁としています。
 天秤櫓のどちら側が二重壁になっているか、確認してみてください。
 二重壁のある側が、深い「大堀切」(おおほりぎり)に面した外側になっているはずです。」



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窓から外を眺めてみるとこんな感じ。
橋の左側にある登り口から上がってくるとこの櫓の前を横切った後、ここを背にして迂回してから「廊下橋」へとつながります。

ここを攻め込まれたらどうするか?
まずは左手の急な坂を駆け上がってきたら、「大堀切」側の2階櫓からねらい撃ち。
坂をクリアしても、この櫓の前を通るところでねらい撃ち。
櫓の前を通り抜けても、階段を大きく迂回している間に背後から狙われます。
そこをクリアされたら最後の手段で「廊下橋」を落としてしまえばオッケー!?
ほんとによく考えられている構造ですね。

さて、ここをくぐり抜ければゴールの「天守」に到着・・・・・じゃな~い!
なんとここからさらに「太鼓門櫓」まで、階段で上がらなくてはならないんです!
いや、もうほんと勘弁してくださいよ~(汗)


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そしてようやく、ようやく「天守」に到着です!
はぁ~、長かった~・・・・・。
でもここまで、来たかいが、ありました~・・・・・(息切れ)。

「天守
 3階3重の天守。
 規模は比較的小ぶりだが、屋根は『切妻破風』(きりづまはふ)『入母屋破風』(いりもやはふ)『唐破風』(からはふ)を
 多様に配しており、2階と3階には『花頭窓』(かとうまど)、3階には高欄付きの『廻縁』(まわりえん)を巡らせるなど
 外観に重きを置き、変化に富んだ美しい姿を見せている。
 この天守は大津城(滋賀県大津市)の天守を移築したものと伝えられている。」



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近くから見上げるのはよくあるパターン。
でもここには「天守」を横から眺められるような場所がありました。
方角でいえば東側にある「着見台」(つきみだい)です。
ここから眺める姿は美しい!
惜しむらくはまたもや逆光だったこと。
青空が広がっている午前中だったら、あるいは夕焼けだったら・・・・・。
そんないいタイミングで来てみたいところですね~。

「着見台(着見櫓跡)
 眺望の良い当地には、かつて9.8m(5間)に10.6m(6間)の二階櫓があり着見台と称していました。
 眼下の城門佐和口及び京橋口の看視に当たるとともに、遠く中山道から分岐して佐和山を越え、
 城下に入る切通道(彦根道)を望みました。明治初年に櫓は取り壊され、今日では展望台として
 多くの人々の目を楽しませています。」



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北西方向をパノラマで。
その先には「琵琶湖」が広がっています。
直線距離でも1km弱なので十分歩いていける距離ではあります。
さすがにこの日はそんな元気はありませんでしたが(笑)


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「天守」に入ってみましょう。
これは「火頭窓」(かとうまど)の窓枠。
ここで使われていたものかどうかはわかりません。

「火頭窓
 鎌倉時代に禅宗建築として伝来した建築様式を禅宗様(唐様)という。中国の宋時代に行われていた様式をそのまま輸入した様式で、
 初めは禅宗建築にのみ用いられていたが、やがて他の宗派の建築にも波及し、のちには、一般の寺院建築や城・住宅にも
 広く使われた。
 火頭窓には、花頭窓、火灯窓、火燈窓、架頭窓、華頭窓など、いくつかの字があてられるが、要するに上部が繰形をなす
 曲線から成る窓のことである。石山寺本堂の源氏の間にあることから「源氏窓」と呼ばれることもある。一般的な傾向として、
 古い形式のものは竪框(たてがまち)が垂直に近く、時代が下がるにつれて脚元がひらいていく。中央頂部が尖塔形となっていて
 火のように見えることから、火頭窓というが、木造建築では火の字を嫌うので花頭窓と書かれるようになったといわれる。
 火頭窓の形状にも変形があらわれ、その形状のより蕨火頭、富士火頭、琴締火頭などと呼ばれるものもある。
 出入口に火頭形が用いられることは禅宗建築ではあまり行われなくなってしまったが、桃山時代以降、霊廟や茶室の給仕口や
 茶道口に用いられている。ただし、頂部は尖塔形はなくアーチ状である。
 蕨火頭というのは、上部の窓框が蕨手形に巻き込んだ形をもっているものをいう。
 富士火頭というのは、上部を台形に富士山状に整形したもので、大徳寺孤蓬庵方丈玄関の壁面に用いられている。
 これは遠州好みといわれており、いかにも遠州らしい明晰な意匠感覚による造形といえよう。」



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天井の木組み。
曲がりくねった木が組み合わされていて、なんとも不思議な雰囲気です。
確かまっすぐでないことに何か意味があると聞いたことがあったんですが・・・・・。

さて、「天守」はいわゆる「現存天守」なので中の階段は狭くて急です。
上りよりも下りの方がコワいんですよね(^^;
しかも結構滑りやすいので注意が必要ですよ。


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そして「天守」からの眺め。
外に出られないのでちょっと眺望はイマイチな感じですが、屋根越しに「琵琶湖」が望めました。
この後はあまりの暑さに耐えきれなくなり、そそくさと帰りました(汗)


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「彦根駅」の改札の中にあった人形。
「ひこどん」の名前があります。
モチーフが誰かはわかりませんが、デフォルメが効いていてかわいらしいですね。


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最後は夕方のニュースで表示されていたこの日の最低・最高気温。
「彦根市」では35.3℃、「京都市」ではこのエリア最高の37.9℃!!
ありえないですね~・・・・・( ̄Д ̄;
そんなときにプチ山登りつきの城訪問はちょっと、いやかなり失敗だったかも?
でもほかに時間をつぶす方法を思いつきませんでしたからね~。


すべて iPhone5S


次回は、翌日の京都水族館訪問の様子です。
by sampo_katze | 2016-12-16 21:00 | 東海・中部 | Comments(0)


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