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浜松城に登城
真夏の出張2016のオフタイム編・第9回


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「富士見櫓跡からの眺め」


いよいよ「浜松城」へと登城します。
ここは「明治維新」後のいわゆる「廃城令」で破却されましたが、1950年(昭和25年)に「浜松城公園」として整備。
1958年(同33年)には「復興天守」が造られ、翌年「浜松市史跡」に指定されて現在に至ります。

ちなみに今回の一連の流れで訪ねた「彦根城」も本来は破却されるところだったそう。
ですが1878年(明治11年)、巡幸の途上に当地に立ち寄られた「明治天皇」の大命により免れました。
もし巡幸がなかったら、「彦根城」はなくなっていたのかもしれないんですね。

さて公園内にある「若き日の家康公像」の背後には小高くなったところがあります。
そこは「富士見櫓」があった場所で、なんだか眺めがよさそう。
少し急でしたが、上ってみることにしました。


表紙の写真は、「富士見櫓」のあったと思しき場所から眺めた「浜松駅」方面の様子です。
手前に見える「グランド」「体育館」は隣接する「元城小学校」(もとしろしょうがっこう)。
その名の通り廃城後の跡地に建てられたもので、創立は1873年(明治6年)で市内では最も長い歴史を持つそう。
中央右奥に見える茶色の建物は駅の北東にそびえる「浜松アクトタワー」
高さは212.77mで「静岡県」内ではもっとも高く、独特の外観から当地のランドマークになっています。
「新幹線」の車窓からも、まだ駅から離れているところからよく見えますね。


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「富士見櫓」跡から振り返ると「天守台」が見えます。
左は2014年3月に復元が完了した「天守門」、右は「復興天守」です。
時間的に逆光だったのがちょっと残念。

「浜松城跡
 浜松城は徳川家康が遠江攻略の拠点として築いた城で、元亀元年(1570)6月に入城し、17年間在城した。
 東西600m、南北650mの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三之丸、二之丸、本丸、天守台と連なり、順次高さを増す。
 ここは、その天守曲輪(くるわ)の跡である。家康の後、城主は代々譜代(ふだい)の大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多い。
 中でも水野越前守忠邦(みずの えちぜんのかみ ただくに)の名はよく知られている。石垣は、野づら積みと呼ばれる堅固な作りで、
 古い石垣の特徴をよく残しており、浜松市の史跡に指定されている。」

※説明板より引用、以下同じ


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少し時間を戻し「天守門」下の石垣を眺めます。
「野面済み」(のづらづみ)と呼ばれる手法がとられています。
築かれてから400年以上経た今でもその姿をとどめているんですね。

「浜松城の石垣(野面積み)
 浜松城の石垣は見るからに荒々しく、外観は粗雑で一見崩れやすそうに思えますが、400年の風雪に耐え、
 今なお当時の面影を残している重要な遺構であり、史跡浜松城跡の中で文化財として価値の高い部分です。
 この石垣は、基本的には野面石(のづらいし 自然のあるがままの石)を使い、接合部(合端 あいば)をほとんど
 加工しないで積む野面積みという方式です。慶長(1596~1615年)以前はこの方法が多く用いられていたと言われています。
 各段の積み方は、布積(ぬのづみ)と呼ばれる、石材を一段ずつ横に並べて据えながら積み上げ、布の横糸が通ったように
 積む技法が採用されています。しかし、石材があまりにも荒々しくて不揃いなことから、横の通りが乱れた部分が多くあり、
 布積崩しと呼ばれることもあります。
 石垣を正面から見ると、石と石の隙間に小さな石が詰めてあります。これを間石(あいいし)と呼びます。
 この石は、石垣を成形する効果だけで、石垣を強化する効果は持っていません。間石が抜け落ちる程度のほうが
 石垣は頑丈だと言えます。
 この石垣がいつの時代に築かれたかについては正確な資料がないのでわかりませんが、
 浜松城二代目城主堀尾吉晴(ほりおよしはる)の頃(1590年頃)という説が有力です。」



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石垣の構造を図示したもの。
そういえば、これまでいろいろな城を見てきましたがこのような図を見たのは意外にも初めてのような?

「不整形な石を積むとはいえ、原則的には石の大きな面を表にし、小さな面を内にして積みます。
 隙間に背後から飼石(かいいし)を入れて、石が動かないように固定します。背後(内側)には多量の栗石(ぐりいし)を詰めて強化します。
 栗石は約1~1.5mほど詰めてあり、さらに砂利を入れてあるので水はけも良く、水圧で崩れることはありません。」



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「天守門」をくぐって「天守台」へと入ります。
ここでは「復興天守」が目の前で見られます。
説明にもありますが、確かに下の土台に比べると上の「天守」はやや小ぶりに見えます。
左側にはずいぶん空きがありますし。
でも17世紀には「天守」が失われていたらしく、資料もないので仕方ないですね。

「天守台
 浜松城の天守台は、一辺21mのややいびつな四角形をしていて、西側に八幡台(はちまんだい)と呼ばれる突出部が付いている。
 また東側には、付櫓(つけやぐら)と呼ばれる張り出し部分があり、現在は復興天守閣への入口として利用されている。
 浜松城の天守は第二代城主堀尾吉晴の在城期(1590頃)に築かれた説が有力だが、
 17世紀の絵図には天守が描かれていない事から、江戸時代前期には天守が失われていたと考えられている。
 昭和33年に作られた現在の復興天守閣は、天守台の大きさと比べると小さいものである。
 かつての浜松城は、築城時期等から大きな屋根を持つ下層部の上に小さな望楼(ぼうろう)が載せられる
 望楼型」であった説が有力である。その規模は天守台の大きさから推測すると現在よりも一回り大きい
 三重四階で、巨大な天守だったと考えられる。」




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「天守」に入ります。
入口の中には「うちわ」と冷たい「おしぼり」が置かれていました。
この日も非常に暑かったのでこれは助かりました(^^)

こちらは館内に展示されていた「浜松時代の若き徳川家康公像」
昨年作られたものですが、若き日の資料が非常に少なかったため製作にはとても苦労されたようです。
でもこうして見るとリアルでとても迫力があります。

「浜松時代の若き徳川家康公像
 元亀3年12月22日、31歳の若き徳川家康公が、わずかな兵で日本史上最強の軍団と言われる
 「甲斐の虎」武田信玄公と戦った三方ヶ原の合戦。
 ここ浜松城から戦場へと出陣していく家康公の姿を再現しました。」



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館内はお約束の?資料館になっています。
撮影もOKだったのですが、暑さもあってあまり写欲がわかず数は少な目です(^^;
こちらは「江戸時代 当世具足」(とうせ ぐそく)ですが、来歴などは書かれていませんでした。

「江戸時代 当世具足  本多一 氏寄贈
 「当世」とは「現代」、「具足」とは「すべて備わっていること」いう意味で、室町時代から安土桃山時代にかけて作られはじめた
 甲冑の様式の名前です。当世具足は、集団戦法や鉄砲を用いた戦いに対応するため、より頑丈で柔軟な動きが出来るように、
 無駄をなくし丈夫な素材が用いられるなど、様々な工夫がなされています。」



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「浜松城」周辺の様子。
「天守」がなく「天守台」だけが残されているところから江戸時代を再現しているものと思われ。


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そして最上層へ。
「天守門」を裏側からですが眺めます。

「天守門
 浜松城の第二代城主、堀尾吉晴は城の中枢である天守曲輪に天守を建築したと言われているが、
 この天守は古図などの資料から、江戸初期には喪失していたと考えられる。天守曲輪入口の天守門は
 幕末まで維持されたが、明治6年(1873)に解体され、払い下げられた。
 「安政元年(1854)浜松城絵図」には安政地震による浜松城の被害状況が示されており、
 天守門でも櫓の壁が一部潰れたものの、深刻な被害を免れたことが記載されている。
 絵図には天守曲輪の外周を土塀(どべい)が囲んでいる様子も描かれている。天守門は、門の上部に櫓が載る
 櫓門と呼ばれる形式がとられている。天守門のように櫓が両側の石垣上にのびる渡櫓(わたりやぐら)は、
 石垣を多用した西日本の城に多く見られる。」



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北東方向の眺め。
「富士山」が見えるはずなんですが、雲に隠れていて何も見えません(^^;


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よく晴れて見通しがいい日の写真がパネルになっていました。
冬の少し早い時間に撮ったもののようですが、やはりその時期が一番いいのかな。
ちなみにここから山頂までの距離は約115kmあります。


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最後は入口でもらった「うちわ」。
絵柄は「浜松市」のゆるキャラです。
右は2011年4月に誕生した「出世大名 家康くん」、左は今年7月に誕生した「出世法師 直虎ちゃん」
背景には「徳川家」「三つ葉葵」「井伊家」「橘紋」があしらわれていました。
そして、どちらにも共通しているのはやっぱり「うなぎ」
「家康くん」では頭の上にちょこんと出ているだけでしたが、「直虎ちゃん」では右手に持った「思い槍」で存在感アップ!


すべて iPhone5S


次回は最終回、浜松での夕食と滋賀での昼食です。
by sampo_katze | 2016-12-26 21:35 | 東海・中部 | Comments(0)


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