青森ねぶたがいつでも見られる!ねぶたの家 ワ・ラッセ
夏の函館~青森訪問2017編・第7回


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「青森の海を臨む架け橋」


7月29日(土)。
この日は「青森駅」の北東側にある「ねぶたの家 ワ・ラッセ」を訪ねました。
夏の「青森」といえば毎年8月2日から7日にかけて開催される「青森ねぶた」
「ワ・ラッセ」は「青森ねぶた」に関する歴史や資料、「ねぶた」本体などを展示する「ねぶた博物館」です。
開館したのは2011年(平成23年)1月5日で、「青森市」が主体となって管理しているとのこと。
真っ赤な外観をした建物なので、かなり目を引きますよ。


表紙の写真は、「ワ・ラッセ」横の広場から眺めた「青森ベイブリッジ」です。
1992年(平成4年)7月に2車線で暫定開業し、1994年(同6年)7月に4車線になりました。
全長は1219mで、県内第2位の長さがあります。
「青森駅」のホームの上も通っていて、ホームはもちろん跨線橋からもその姿を見ることができますよ。
橋の上は歩くことができますがエレベーターがないため、上へはもちろん階段のみ。
展望を楽しむのでしたら有料ですが「青森県観光物産館アスパム」の展望台の方がいいかも?(^^;
左手にあるのは商業施設の「A-Factory」、橋の向こうに見える船は「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」です。
「八甲田丸」については次回アップします。


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「チケット売り場」のある2階に上がるとさっそく「ねぶた」が出迎えてくれます。
タイトルは「五穀豊穣祈願 田村麻呂と鬼神様」
「第6回 全国小・中学生 ねぶた下絵コンクール 中学生の部 最優秀賞」を獲得した作品です。
「青森」は米どころでもあるので、「五穀豊穣」はまさにぴったりのテーマですね。
説明では「ねぶた」の由来と「田村麻呂」の関係についても書かれていますが、これは諸説あるようです。

「五穀豊穣祈願 田村麻呂と鬼神様
 昔、鬼沢には阿蘇部の森に鬼がおり村人の弥太郎と親しくなり、相撲をとったり、耕作の手伝いをしていた。
 ある日、弥太郎は水田を拓いたがすぐ水が枯れてしまい困っていた。そのことを鬼に伝えたところ鬼は赤倉沢上流のカレイ沢から
 一夜にして堰を作り大量の川水を村の田に与えてくれた。村人はこれを喜び、鬼を鬼神様として祀った。これが鬼神社の始まりである。
 延歴年間、坂上田村麻呂東征のおり、岩木山山頂奥宮に鎮まる高照姫命の霊験により再建したお宮としても伝えられている。
 ねぶたは豊作を願う田村麻呂と永遠に水が尽きることのない壺を持つ鬼神様にくわえ、豊作を舞を踊る高照姫命が田野に光を放ち
 田村麻呂の期待に応じようとする二神の勇姿を描いた場面である。」

※説明板より引用、以下同じ



この奥には「ねぶたアーカイブ」のエリアがあります。
そこでは「ねぶた」に関する様々な資料を見ることができるようですが、ここまでは無料で入ることができます。

その先にある「ねぶたミュージアム」「ねぶたホール」へは入場券が必要。
単独券は大人600円ですが、「八甲田丸」とのセット券なら900円。
さらに「アスパム」との3館セットは1300円で約3割引とさらにおトクになりますよ。

「ミュージアム」に入ると「青森ねぶたグラフィティ」のエリア。
「ねぶた」の由来や歴史、制作過程などが展示されています。


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「青森ねぶたグラフィティ」を抜けた先の通路。
その上に飾られているのは「青森駅」の改札前にもあった「金魚ねぶた」です。
まん丸の体に大きな目、三角形をした大きな尾びれが特徴です。
サイズは小型で、手に持って歩いたり「灯籠」として使ったりするようです。
「青森」だけでなく「山口県」でも同様のものが見られるんだそう。

「金魚ねぶた
 金魚ねぶたは、丸い胴体と立派な尾びれ、そして背びれのないのが特徴で、
 江戸時代に弘前藩が独自に飼育改良した金魚「津軽錦」がモデルであるともいわれています。
 主に、小さな子供たちの持ち歩き用や、祭りの間、家や商店を飾る灯籠として用いられています。
 明治期には、ねぶたの時期になると各家々が門口に脚をつけた金魚ねぶたを立て、その下に水を張ったたらいを置いて、
 水面に映る灯籠の明かりを楽しみながら、ねぶたが回ってくるのを待ったといいます。」



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通路を抜けると「名人ホール」
「名人」の称号が贈られた6人の「ねぶた」制作者の作品、その映像を見ることができます。
そしてその先にあるのがこの施設のメインともいえる「ねぶたホール」
いくつかの大型「ねぶた」が展示されていて、間近で見学することができます。
なお、公式サイトを見ると2017年に開催された「ねぶた」の後に展示内容が変更となっているよう。
ここで紹介するのはそれより前に展示されていたものです。

「名人ホール」から見おろせる場所にあったのは「俵籐太と竜神」(たわらのとうた と りゅうじん)。
「俵籐太」が「琵琶湖」の竜神に頼まれ、「三上山」「大百足」を退治するという伝説がモチーフになっています。
左にいるのが「俵籐太」、右は「竜神」ですね。
間にいる「カメ」が「竜宮」へと連れてきたのかな?

「俵籐太と竜神
 平安時代中期、瀬田(せた)の唐橋(からはし)の下に棲む竜神は大百足(おおむかで)に悩まされていた。
 そこへ通りかかった田原籐太秀郷(ひでさと)の剛胆さを見込んで百足退治のため龍宮へ案内する。
 竜神に頼まれ三上山(みかみやま)の大百足を退治した秀郷は、お礼として
 慈尊出世(じそんしゅっせ)を告げる名鐘(めいしょう)と米の尽きることのない米俵や名剣を贈られた。
 こののち田原籐太は俵籐太といわれる。
 名鐘は三井寺(みいでら)へ納められ「三井の晩鐘(ばんしょう)」といわれ、
 名剣は「蜈蚣切」(むかできり)の名で宝刀として伊勢神宮に所蔵されている。いわゆる大人の龍宮伝である。」



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これは「俵籐太~」の「ねぶた」の下絵です。
この絵を元にして造られたんですね。


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「俵藤太」の左下には「タイ」とちょっとわかりづらいですが「イシダイ」が、
左上には「ヒフキアイゴ」「チョウチョウウオ」の仲間の「ゲンロクダイ」?がいます。
「琵琶湖」の「竜神」に招かれた「龍宮」になぜ海の魚が?なんていう野暮はナシですね(笑)


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こちらは裏側。
右の女性は表側の真ん中にいたのと同一人物(?)のようですが、左はわかりません。
背後には「竜宮城」らしきものが見えていますね。


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夏と言えば「怪談」がつきものですね。
ん、「憑きもの」
ということで「陰陽師、妖怪退治」です。
右手で「竜」の頭を持つ異形のものの脚をつかみ、今まさに斬りかからんとする「陰陽師」
右には鍋ぶたを頭に掲げて逃げ惑う三ツ目の妖怪が逃げ出しています。
迫力の中にユーモラスさも入っていますね。

「陰陽師、妖怪退治
 陰陽師とは、古代の日本に存在した呪術、占術「陰陽道」を用い、吉凶を占い幻を現し、時には呪いや鬼さえも操ったと言われている。
 陰陽師が最も活躍したのが平安時代だが、その時代は闇と迷信が支配し、怪異や天変地異、物の怪や怨霊が世を乱すと思われていた。
 人々は神、鬼、精を「もの」と呼び恐れ、「もの」は人に憑(と)りつき、ある時は疫病(えきびょう)を流行らせた。
 どこからともなく現れ、人々に不幸をもたらす妖怪変化(ようかいへんげ)と戦い、あるいは前兆を読み、
 不浄を取り除くことが陰陽師の役割だった。
 このねぶたは、陰陽師が霊符(れいふ)を用い、魑魅魍魎(ちみもうりょう)を退治している場面である。」



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「竜」頭の妖怪の向こうには大きな目をぎょろつかせた赤顔の鬼が。
これが妖怪たちのボスかな?


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それらを迎え撃つ「陰陽師」をアップに。
勇ましい表情と頭上に掲げられた太刀がポイントと考えて切り取りました。
最初は太刀が水平になるように撮ったんですが、こうして少し斜めにするとより迫力が増した感じがします。


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裏側には大きな「化け猫」が!
左には泣いている子もいますが・・・・・。
よく見ると「化け猫」の顔には「羽根つき」の敗者のような落書きがされています。
右ではヒゲをひっぱる子もいますし、頭の上には宿敵?の「ネズミ」が乗っかっているという(笑)
これでは「化け猫」ではなく「借りてきた巨大な猫」ですね~(^^;


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こちらは「蝦夷ヶ島 夷酋と九郎義経」(えぞがしま いしゅうとくろうよしつね)。
「源義経」「平氏」滅亡後に兄である「頼朝」に追われ、「奥州平泉」「藤原秀衡」(ふじわらのひでひら)の元へ身を寄せます。
ところがほどなく「秀衡」が死去し、その2年後には子の「泰衡」(やすひら)の襲撃を受け自害しました。
でも実は「義経」は生きていて「津軽海峡」を渡り「蝦夷地」(えぞち)、「北海道」へ渡ったという伝説があります。
「義経北方伝説」と呼ばれているもので、この「ねぶた」は彼の地で出会った「アイヌ」との様子を描いたものになっています。

「蝦夷ヶ島 夷酋と九郎義経
 源九郎義経は奥州平泉で自刃せず、生き延びて北を目指したと密やかに伝えられる。
 津軽半島からさらに北へ、蝦夷地(えぞち)へと辿り着く。
 そこに生きるのは力強く、生命力に満ち溢れたアイヌたち。
 かれらは、極彩色の豪華絢爛な衣装に身を包み、こちらをねめつけるような視線を送る。
 水辺へやって来た鹿を素手で仕留め、日々の糧(かて)とする。
 厳しい自然に立ち向かい、時には共存しながらたくましく生き抜くアイヌの姿と、
 それを目の当たりにして己の天命を全うしようと固く決意する義経であった。」



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最後は「素戔嗚尊 八岐大蛇退治」(すさのおのみこと やまたのおろちたいじ)です。
巨大なキバをむき出しにして迫り来る「八岐大蛇」と、それを鬼の形相で迎え撃つ「素戔嗚尊」が描かれています。
物語に出てくる「肥の河」(ひのかわ)は「島根県」東部と「鳥取県」西部を流れる「斐伊川」(ひいかわ)のこと。
昔からたびたび洪水に見舞われたことから「八岐大蛇」の伝説が生まれたという説があります。
また「尊」が「大蛇」の尾を切ったところ、手にしていた剣の切っ先が欠けてしまいました。
それを不思議に思った「尊」が尾を切り裂くと、中から一振りの鋭い剣が出てきました。
これを「天照大神」(あまてらすおおみかみ)に献上し、後に「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになったといいます。

「素戔嗚尊 八岐大蛇退治
 高天原(たかまがはら)を追放された素戔嗚尊が、出雲国(いずものくに)肥の河(ひのかわ)の一軒の家で、
 老夫婦と美しい娘が泣き悲しむ様子に出会った。尊が尋ねると
  「私には8人の娘がいたが八岐大蛇が毎年来て一人づつ喰べてしまった。
   今年も来る時期になり、最後に残った奇稲田姫(くしなだひめ)を差し出さなければなりません」
 と言った。
 尊は娘を妻にもらうことを条件に退治する約束をして、老夫婦に強い酒をつくるよう命じた。
 やがて大蛇がやって来てその酒を飲み干し、酔って寝込んでしまったところを尊が切り刻んでしまった。
 そのため肥の河は真っ赤に染まってしまった、という出雲国の神話である。」



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「素戔嗚尊」と「八岐大蛇」がにらみあっているような部分を切り取ってみました。
個人的にはこの「ねぶた」が1番のお気に入りです。



すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸を訪ねます。
by sampo_katze | 2018-03-09 23:00 | 東北 | Comments(0)


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