青森の青函連絡船メモリアルシップ・八甲田丸
夏の函館~青森訪問2017編・第8回


c0081462_22361415.jpg
「名前は青森を代表する山から」


「津軽海峡」をはさんで向かい合う「函館」「青森」
かつて、この2つの町を結んでいたのが「青函連絡船」です。
1908年(明治41年)に開設され、「本州」の北端と「北海道」とを結ぶ重要な航路として運航されてきました。
特に1970年代前半には最大で1日30往復もの便が運航されることもあったことも。
ですが、その後は様々な要因により利用客数や貨物数が減少して低迷。
1988年(昭和63年)3月の「青函トンネル」の開業に伴い、その任を終えました。
現在は「摩周丸」「函館」で、「八甲田丸」がここ「青森」でそれぞれ展示されています。
ということで、今回は「八甲田丸」の船内を見学していきます。


表紙の写真は、「青森駅」側にある「可動橋」と「八甲田丸」です。
「八甲田丸」は「函館」で展示されている「摩周丸」と同じく「津軽丸型」と呼ばれるタイプで、その2号船にあたります。
1964年(昭和39年)8月12日に就航し、途中延命工事を受けて1988年3月の終航まで活躍をつづけました。
その間23年7か月で、これは歴代の船の中で最長だそうです。
またこの場所はかつて3つあった岸壁のうち、第2岸壁があったところ。
駅からの線路と船内をつなぐ「可動橋」が残されています。
2011年(平成23年)7月に「摩周丸」、「八甲田丸」そして「函館」の「可動橋」とともに「機械遺産44番」に指定されました。


blogram ランキング参加中!よろしければクリックをお願いします。
blogram投票ボタン










c0081462_22361838.jpg
「可動橋」の手前には3本の線路が敷かれています。
これが「青森駅」構内へとつながっていて、車両の積み下ろしをしていたんですね。
線路が極端に寄っているのは不思議ですが、橋の上で車両が並べないようにするためでしょうか?


c0081462_22362154.jpg
「八甲田丸」への入口は2階にあります。
駅からつながる道を進み、階段またはスロープを上がります。
そこから左に伸びるのはかつて「青森駅」のホーム北側とつながっていた「連絡船」乗り換え用の跨線橋です。
「青函連絡船」廃止後に閉鎖されましたが、再整備されて駅西側とを結ぶ連絡橋として使われています。


c0081462_22362450.jpg
通路から「八甲田丸」の船尾や「青森ベイブリッジ」を眺められます。
「可動橋」からは結構離れているんですね。


c0081462_22362829.jpg
前方に目を向けると鮮やかな黄色をまとった船体が見えます。
1964年(昭和39年)8月12日に就航したときは船体下半分が薄緑色、煙突はピンクと淡く地味なイメージ。
その5年後の1969年(同44年)9月に現在の黄色に塗り替えられました。
ただ、この黄色が何に基づくのかはよくわかりません。
「摩周丸」も建造中は同じ薄緑色に塗られていましたが、1965年(同40年)の竣工直前に「新幹線」カラーに変更されたとのこと。
こちらは前年10月に「東海道新幹線」が開業したことが関係していそうです。


c0081462_22363276.jpg
煙突には「JNR」マークが描かれています。


c0081462_22363570.jpg
2階の「船楼甲板」にある入口から入館します。
そこには「青森」の名産である「りんご」がたくさん入った箱が並んでいました。
もちろん模造品ですが、品種は明治初期に導入された「紅玉」(こうぎょく)と「国光」(こっこう)の2種。
これらを市場で売っている様子を再現しています。
これはかつて「船の科学館」で展示されていた「羊蹄丸」(ようていまる)内の施設「青函ワールド」にあったもの。
「羊蹄丸」解体に際してこちらに移設されました。

「ようこそ 青函ワールドに
 青函ワールドにお越しいただきありがとうございます。
 青函ワールドは、昭和30年代の青森の街の姿や青森駅の光景などをジオラマ化した、世界に一つしかない貴重な資料です。
 同ワールドは、財団法人日本海事科学振興財団の「船の科学館」が、東京お台場に、青函連絡船「羊蹄丸」を、
 平成8年3月23日に公開展示した際に作られました。
 その羊蹄丸が、平成23年9月に公開展示を終えた後に、「一般社団法人えひめ東予シップサイクル研究会」愛媛県新居浜市在に譲渡され、
 愛媛県新居浜市で平成24年4月27日から6月10日まで公開展示され、その後シップリサイクル研究等のため、解撤されることになりました。
 青森市はこれを機に「青函ワールド」を、同市で公開展示したいと願いました。さらに、全国並びに市民からの同ワールドの保存を
 求める要望もあり、本市への譲渡を「一般社団法人えひめ東予シップサイクル研究会」に申し出たところ、
 同会から御快諾をいただき公開展示が実現しました。
 研究会並びに新居浜市の皆様に心より感謝申し上げます。
 青函ワールドが展示されている八甲田丸は昭和39年から、羊蹄丸は昭和40年から、青森-函館間を昭和63年3月13日の運行終了日まで、
 航行していた歴史があります。ゆえに八甲田丸を最適な展示場所と位置づけました。
 青森市は、青函連絡船と鉄道の歴史と歩み、発展してきた都市です。市民や、未来を担う子どもたち、市外からお越しの皆様に、
 懐かしさや歴史の断片に触れることで、新たな未来の夢や希望を見いだすきっかけの場となることを切に願います。
   平成24年7月31日  青森市長 鹿内 博」

※説明板より引用、以下同じ


c0081462_22363963.jpg
3階の「遊歩甲板」の一角に「青函ワールド」の一部が再現されていました。
こちらは「行商の人たち」で、それぞれ野菜と卵を売り歩いているとのこと。
今で言えば「移動販売」といったところでしょうか。
それぞれの人形にもちゃんと人物設定がなされているところがポイント。

「行商の人たち
 人形
 ●有戸あかね
  19才、朝市のアイドル、元気でかわいい娘さん。今日もさわやかな笑顔で仕事に勤しむ。
  父母は洞爺丸台風(昭和29年台風第15号)の犠牲になり彼女は孤児。
 ●有畑はる
  62才、産みたての卵を、小さなそりの上に並べ、行商する品の良いお婆さん。
  先の戦争で二人の息子を失っている。

 そりを台にして、おがくずの中にいる卵を売っているのは、行商のはるさんです。
 戦争で息子さんを2人ともなくしました。いまは、隣で野菜を売るあかねさんが、自分のこどものように思えます。
 今のように、コンビニもスーパーも家の近くにはありません。家で作っているようなもの以外は、
 市場に出向くか、はるさんたちのような行商人が、家に立ち寄ってくれるのを待って購入するかでした。」



c0081462_22364352.jpg
向かいは「大衆魚菜市場」
こちらはお店を構えているようです。
中ではなにやらもめごとがおきているようですが、これも日常の光景らしい(^^;

「大衆魚菜市場
 人形
 ●湊那美子
  38才の女ざかり、少々大柄であるが、頼りになる強くて優しい女。いつも、夫・ぐず夫を叱ったり励ましている。。
 ●湊ぐず夫
  37才、お人好しだが、頼りにならない、ぐず男。
 カニ、ホタテ、シャケ、イクラ・・・・・。北海の海の幸がいろいろ整然と並べられています。
 その奥に、この店のあるじと思われる男女2人が、なにかとっくみあいをしています。
 どうも、旦那さんの仕入れになにか手違いがあった様子。とはいえ、こうしたとっくみあいは日常茶飯事のようで、
 お隣さんたちは特に騒ぎ立てることもありません。」



c0081462_22364693.jpg
「駅構内」のシーンで使われていた品々。
「時刻表」「運賃表」「発車案内」などの鉄道関連のほか、照明や広告などが置かれています。


c0081462_22364968.jpg
「羊蹄丸」で展示されていた当時の様子を紹介したパネル。
船の中という比較的狭い空間の中で、本物の駅構内のように再現されていたんですね。
できれば別施設で、完全な形での「青函ワールド」が再現できたらよかったんですが。


c0081462_22365211.jpg
最後は「角巻の女」です。
冬の北国の女性というと確かにこんなイメージでしたね。

「角巻の女
 人形
 ●角巻の女
  年齢不詳。柱の傍らにたたずむ女、角巻姿の典型的な衣装をまとっている。津軽の風物詩を語りかけてくる。
 師走に入ったら、女たちは正月の準備をしはじめます。新巻鮭やほうきなど、新年を迎えるために必要な品々を、
 市場や街頭、あちこちでそろえていくのです。
 角巻は、大型で四角形をした毛布です。青森の女性たちはこれを防寒着として愛用していました。
 いろいろな荷物を背負っていても、自由自在にカバーすることができたからです。」




すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は最終回、八甲田丸船内の後半部分です。
by sampo_katze | 2018-03-11 21:00 | 東北 | Comments(0)


<< 八甲田丸・遊歩甲板~車両甲板と... 青森ねぶたがいつでも見られる!... >>