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松江城にある迎賓館・興雲閣
マイル修行で松江訪問編・第7回


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「ピンクのしまねっこ号は、元東急車」


「松江フォーゲルパーク」を一通りめぐったところでちょうどお昼どきになりました。
園内で食事がとれるのは「レストラン フローラ」「そば亭不昧庵」(ふまいあん)の2か所。
「フローラ」は「バイキング」があるのですが、訪問した日は期間外?だったのか未実施。
そのため、軽食の提供にとどまります。
「不昧庵」の方はというとこちらも団体貸切で、13:30以降だったかな?でないと入れませんでした。
さすがにそこまで待つのもなんですし、何より昼ごはんが遅くなると夕ごはんの楽しみが半減しそうです。
ちなみに「不昧」とは「出雲松江藩」の7代藩主松平治郷(まつだいらはるさと)の称号のこと。
「偏」(へん)は「口」ではなく「日」なのでお間違いなく。
決して「不味(い)」(まずい)ではありませんよ~!(笑)

ということで、園内での食事は断念して「松江」の市街に戻ることにしました。
ですが残念なことに「松江しんじ湖温泉駅」行きの電車は12:01発が出たばかりで、次は13:01発までありません。
雨もほぼやんでいたので、時計を見ながら先の駅まで歩くことに。
結局2つ先の「長江駅」(ながえ)まで、約3kmほど歩けました(^^;
道は「宍道湖」沿いにあるので平坦で歩きやすかったですね。
さらに次の「朝日ヶ丘駅」まで行けそうでしたが、さすがに乗り遅れそうだったのでやめておきました(笑)


表紙の写真は、「松江しんじ湖温泉駅」に到着した列車です。
全体がピンク色に塗装され、左下には「島根県」の観光キャラ「しまねっこ」が描かれていました。
後で調べてみるとこの車両は元「東急1000系」で、「東横線」「東京メトロ日比谷線」の相互乗り入れに使われていた車両。
2両×3編成が導入され、3番目のこの編成が「しまねっこ」のラッピングがされています。
車内は特別な装飾などはされていなかったと思いますが・・・・・(^^;











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「松江しんじ湖温泉駅」から少し歩いたところにあるお店で昼ごはん。
その後は「松江城」に向かって歩きます。
お店を出てからしばらくは天気も落ち着いていたんですが、城に近づくにつれ雨が本降りに!
おまけに風も出てきましたが、幸い気温は暖かいので気にせず?進みます。
これは「島根県県庁」の東側の通りから見た「松江城」です。
写真からもわかるように、あいにく「桜」はすでに散ってしまっていました。
今年は早かったですからね~。

「史跡松江城・国宝松江城天守
 松江城は、慶長16年(1611年)に松江開府の祖、堀尾吉晴公とその孫で2代藩主の忠晴によって築かれ、
 堀尾氏1代、京極氏1代の治世を経て、寛永15年(1638年)に松平直政公が城主となり、
 以降明治維新まで10代にわたって松平氏が城主を務めました。
 山陰地方で唯一、天守が現存する貴重な城郭遺産で、城域一帯は昭和9年(1934年)に国の史跡に指定されました。
 松江城天守は、昭和10年(1935年)に、当時の国宝保存法により国宝の指定を受け、
 昭和25年(1950年)には文化財保護法の施行により重要文化財となりましたが、
 平成27年7月8日に改めて国宝に指定されました。
 【国宝指定:松江城天守 
  国宝附(つけたり)指定:祈祷札(きとうふだ)2枚、鎮宅(ちんたく)祈祷札4枚、鎮物(しずめもの)3点(松江歴史館所蔵)】」

※説明板より引用、以下同じ


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通りの西側にある広場には騎馬武者の像がありました。
「松江藩」を治めた三家の1つ、「松平家」の初代「松平直政」(まつだいらなおまさ)がモデル。
初陣となった「大坂冬の陣」での逸話がモチーフとなっているとのこと。
これには「真田幸村」も登場しますが、某大河ドラマではこのシーンは出てきたのかな?

「松平直政公像
 松平藩主は、堀尾氏3代、京極1代、松平10代である。松平家初代の直政公は、
 富国・安民・質素・節財等の大綱を示し、藩政の基礎を固めた。
 慶長19年(1614)大坂冬の陣に際し、母 月照院は、14歳で初陣する直政に対し
 「君は徳川家康の孫で、父 結城秀康は名称である。父に劣らぬ奮戦をせよ」と励まし、馬印(隊旗)を縫って与える。
 越前隊と加賀隊が先を争って真田丸に進むが、弓銃が激しく撤退する。その時、一将が進み出る。見れば直政である。
 従士の天方通房(あまがたみちふさ)は馬を止め矢表に立ち「大将が先がけるとは何事ぞ」といさめるが直政は更に進む。
 通房は再び矢表に立ち塞がる。何度も矢表を争う主従を見た城将 真田幸村は、直政の勇気と従士の忠義を賞し、
 弓銃を撃たせず、主従の武士道の誠を讃え、櫓より軍扇を投げ与える。
 この美談徳目は、時代を越えて輝き、郷土の先人は感嘆し銅像建立へと進んだ。明治から大正にかけて小銅像が制作され、
 昭和2年に米原雲海作の直政公初陣像が松江城本丸に建立される。昭和18年戦時により供出される。
 その後、再建の気運が高まり昭和52年、松平直政公銅像再建委員会が設置され、平成20年、同建設委員会が設置される。
 銅像制作は、二科会理事倉沢實氏による。
    平成21年11月吉日 松江開府400年祭・市制施行120周年事業  松平直政公銅像建設委員会・松江市」



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通りをそのまま北へと進むと、「松江城」への入口があります。
その右側にあるのが「堀尾吉晴」(ほりおよしはる)の像です。
「関ケ原の戦い」出陣直前に刃傷事件で負傷したため出陣できませんでしたが、子の「忠氏」が出陣。
ただし、この前年(1599年)「忠氏」に家督を譲って隠居していたことも理由の1つかもしれません。
その功績から「出雲・隠岐の国」を与えられ、「松江」を拠点とするため城下町を造った人物です。

「松江開府の祖 堀尾吉晴公
 天文12(1543)年、堀尾泰春(やすはる)の長男として尾張国御供所村(ごごしょむら 愛知県大口町)に生まれた吉晴は、
 幼名を仁王丸(におうまる)、長じて小太郎と称し、次いで茂助(もすけ)と改めた。父の仕えた岩倉織田氏が
 織田信長により滅ぼされると、早くから豊臣秀吉に仕え、長篠の戦い、備中高松城攻めに活躍し、
 山崎の戦いでは天王山を占拠して明智光秀を敗走させた。
 賤ケ岳(しずがたけ)、小牧・長久手の各戦に武功を樹て、秀吉の下で近江国佐和山4万石、
 遠江国(とおとうみのくに)浜松12万石へと出世した。朝廷春宮坊(とうぐうぼう)護衛の長官を意味する
 帯刀先生(たてわきせんじょう)にも任ぜられ堀尾帯刀と称した。容貌端正(ようぼうたんせい)、性格温厚で仏の茂助と呼ばれた反面、
 戦場では勇敢に戦い鬼の茂助とも呼ばれた。秀吉の信任厚く、政務仲裁役である三中老(さんちゅうろう)の1人に任ぜられた。
 秀吉没後は徳川家康に与みしたが、三河国池鯉鮒(ちりゅうう※)の刃傷事件で重傷を負う。
 家督を継いだ子の忠氏(ただうじ)が関ヶ原の戦いに出陣し、その功で出雲・隠岐2国24万石を与えられた。
 父子は尼子氏(あまごし)の旧城富田城(とだじょう 安来市広瀬町)に入るが、広い城下が見込め、交通の要衝である松江に拠点を移すことを決める。
 城地をめぐり父子で意見が分かれたが、忠氏の急死後、吉晴はこの志を継ぎ、亀田山に城を築きその麓に城下町を造ることを決意する。
 吉晴は秀吉も認める普請上手で、北の丸で指揮を執ったと伝わっている。慶長12(1607)年に着手し、5年目、
 城下の完成を目前に69歳で没した。この像は、松江城の築城とその城下造成を指揮する、吉晴の雄姿である。
    題字 金津大潮   彫刻 西村文男   平成25(2013)年6月吉日」

※現在の「愛知県知立市」(ちりゅうし)で、のちに「東海道」39番目の宿場町となった


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城内に入り、2015年に「国宝」に指定された「天守」を目指します。
その途中、淡い緑がかった「木造擬洋風」の建物が見えたのでそちらに立ち寄ることに。
こちらは1903年(明治36年)に建てられた「興雲閣」(こううんかく)。
「明治天皇」の行幸または巡幸時に使用する「御宿所」とすることが目的でした。
ですが「明治天皇」の巡幸はなく、1907年(明治40年)に「皇太子」「嘉仁親王」(よしひとしんのう)が「山陰」を行啓。
その際に利用されています。

「興雲閣
 興雲閣は、明治36年(1903)に松江市が松江市工芸品陳列所として建てた建物です。
 当初、明治天皇の行在所に使用する目的でつくられたため、装飾・彫刻を多く用いた華麗な仕上げとなっています。
 結果的には天皇の巡幸は実現しませんでしたが、明治40年(1907)、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の
 山陰道行啓にあたって、同年5月22日から25日まで御旅館となり、迎賓館としての役割を果たしました。
 その後、明治45年(1912)に正面階段を奥に移動するなどの改修が行われ、松江市の公的な歓迎所として、
 また、各種の展覧会場・会合に使用されました。昭和48年(1973)から「松江郷土館」として活用してきましたが、
 平成23年(2011)3月に閉館し、建物そのものの持つ歴史と魅力を生かした新たな活用のため
 平成25年度から平成27年度にかけて保存修理工事を行いました。
 概要
  名称:興雲閣
  所在地:松江市殿町1番地59
  指定年月日:昭和44年(1969)2月18日 島根県指定有形文化財 平成23年(2011)7月20日 歴史的風致形成建造物
  員数:1棟  所有者:松江市」



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「興雲閣」の内部は見学ができます(無料)。
「玄関ホール」を入った正面には2階への階段。
赤いじゅうたんが敷かれて重厚な雰囲気です。


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2階に上がり、「大広間」を抜けると「ベランダ」があります。
ここから「回廊」が続いていますが、こちらには入ることはできませんでした。
安全上の問題ですから仕方ありませんけどね。


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「大広間」の南側には「貴顕室」(きけんしつ)があります。
3つの間に分けられていて、中央にあるのが「拝謁の間」(はいえつのま)。
スペースはもっとも小さいです。

「貴顕室
 明治40年(1907)皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰道行啓の際、御座所や御寝所として使われた部屋です。
 建具とシャンデリアの本体は現存するものを修復して展示しています。
 カーテンボックス、カーテン、じゅうたん、照明のガラスシェード、机と椅子は当時のものが残っていないため
 古写真をもとに復元しています。」



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左側にあるのは「御座所」(ござしょ、おましどころ)。
「居間」であり、「執務室」でもあるといった感じでしょうか。


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上の2間はじゅうたん敷き。
バラとリボンがあしらわれています。


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右側は「御寝所」(ごしんじょ、ごねどころ)。
こちらは畳敷きになっており、スペースも最も広く「拝謁の間」の2倍ほどありそうです。


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「大広間」の一角に置かれていた1台の「ピアノ」
これは1901年に「チェコ」で製造され、市内の「旧田野医院」にあったもの。
「旧田野医院」は国内最古の「擬洋風建築」の「私立医院」とされ、「松江市有形文化財」に指定されています。

「チェコ製ピアノ「ノヴィー」
 1901年、チェコ共和国 Koch & Korselt社製作のピアノです。
 松江市内、旧田野医院(松江市有形文化財)で、静かに眠っていたピアノを、市民の手で再現しました。
 2015年2月4日に、ピアノは田野医院から、アートピアノ社へ。ピアノ修理士・井上和幸さんに委ねられました。
 それから1年2か月。2016年4月16日、みごと再生され、興雲閣におさめられました。
 「ノヴィー」という愛称は、トマーシュ・ドゥブ チェコ大使に命名していただきました。
 チェコの偉大な作曲家・ドヴォルザークの「新世界」(ノヴィー・スヴィエト)から名付けられました。
 4月16日の再生記念式典には、チェコ大使ほか、たくさんの皆さんに参加いただきました。
 「ノヴィー」の弾きはじめは、小泉八雲記念館館長 小泉凡さんに。
 シンガーソングライター伊藤誠さんには、「ノヴィー~新しいいのち」を発表していただきました。
 その後開催された記念コンサートで、多くの皆さんが「ノヴィー」の響きを楽しむことができました。
 「ノヴィー」再生・活用の資金500万円は、すべて賛同いただいた方々の寄付でまかなうことができました。
 ありがとうございました。
 ご寄付いただいた方々のお名前を、「ノヴィー」の裏に記させていただきました。
 これからは、たくさんの方に、再生された「ノヴィー」で演奏していただき、楽しんでくださることを望みます。
    チェコ製ピアノ再生実行委員会 実行委員長 福島律子」



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「ノヴィー」の前から眺めた「大広間」。
ここは貸し切りにすることもできるとのこと。


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「興雲閣」を出て、いよいよ「松江城」の「天守」へと向かいます。
その途中にある「西の門」あたりだったかな?にあったのこの掲示。
「天守」内の展示品を刷新するそうで、3月終わりには記事内の上の写真のように空っぽになってしまいました。
記事によれば搬出された展示品は163点、総重量は展示ケースなどの部材も含めて約15t!
それほどの展示物が一切なくなってしまった状態を見られるのはラッキーですね。
なお6月には展示物の搬入が始まり、7月末までに再配置が完了するとのこと。
ですので、現時点では新しい展示に切り替わっていますね。



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次回は最終回、国宝・松江城を訪ねます。
by sampo_katze | 2018-10-15 21:15 | 山陰・山陽 | Comments(0)


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