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国宝・松江城の天守
マイル修行で松江訪問編・最終回


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「雨にぬれた散りはじめの桜とともに」


「松江城」では、毎年「桜」の咲く時期に合わせて「お城まつり」を開催しています。
今年は3月24日(土)から4月15日(日)の間で、その期間中は様々なイベントが行われます。
わたしが訪ねた4月7日(土)は、午後から「松江武者行列」が実施される予定でした。
ですが、あいにくの雨だったために中止となってしまいました。
「行列」に参加するはずの「馬」が、城近くの道をポコポコと歩いている様子が見られましたね。
あ、もちろん人が引いて一緒に歩いていましたよ(^^;

さて、「興雲閣」に立ち寄ってからいよいよ「天守」へと参ります。
「松江城」は1611年(慶長16年)に落成し、「天守」は1738年(元文3年)から1743年(寛保3年)にかけて大改修が行われています。
このときに現在の姿になったとされていて、全国に12ある「現存天守」の1つに数えられています。
また2015年に「天守」が「国宝」に指定されています。
実は1935年(昭和10年)に当時の「国宝保存法」により1度指定されていたんです。
ですが、1950年(昭和25年)に施行された「文化財保護法」により「重要文化財」に変更されました。
65年ぶりの再指定だったんですね。


表紙の写真は、「本丸」に入ったところから眺めた「天守」です。
超がつくくらい定番な構図ですが(^^;
「桜」の枝もちょうどいい感じで伸びていて、ほんといい感じ。
でも前回も書きましたが、今年は時期が早かったようで4月初めの週末だというのにもう散りはじめ。
葉っぱも目立ち始めていて、まるで「オオシマザクラ」のようでした。
これが青空で、しかも「桜」が満開だったら・・・・・と思わずにはいられません。

「史跡 松江城  昭和9年5月1日国指定
 堀尾氏は豊臣秀吉、徳川家康に仕え、関ケ原の合戦で武功をたてた堀尾忠氏(ほりおただうじ 堀尾吉晴(よしはる)とする説もある)は
 慶長5年(1600)出雲・隠岐両国24万石(23万5千石とする説もある)を与えられ、広瀬の富田城に入城した。
 しかし、富田城はその周辺を高い山に取り囲まれ大砲などを使う近代戦に不利であったことと、侍を住まわせるに広大な城下町を
 形成しなければならなかったことなどの理由からこの極楽寺山(亀田山とも言う)に城地を移した。
 築城工事は、慶長12年(1607)から足かけ5年を費やし慶長16年(1611)に一応の完成をみた。城地の広さは東西360メートル、
 南北560メートルあり、周囲に20~30メートルの内濠をめぐらす。
 標高28.1メートルの頂上部に本丸を置き、荒神櫓をはじめ6か所の櫓とそれをつなぐ細長い多門がめぐっている。
 天守は本丸の東北隅に築かれている。二之丸は本丸の南側に一段低く隣接し御書院や御広間などがあった。本丸の東側の平地は
 二之丸下の段と呼ばれ、藩士の扶持米などの米蔵が立ち並んでいた。
 その他、本丸の周辺には腰曲輪、中曲輪、外曲輪、後曲輪があった。城山(じょうざん)の南には三之丸(今の県庁附近)があり
 藩主の御殿があった。
 石垣用の石材は、松江市の東部、大海崎、福富地区の山麓から産出する安山岩(あんざんがん いわゆる大海崎石)が
 大量に使用され堀尾氏の家紋である分銅型などの刻印が認められる。
 城主は堀尾氏、京極氏と続くが、いずれも嗣子なく断絶した後、松平氏が10代続き1度の戦乱に巻き込まれることなく明治維新を迎えた。
 明治8年(1875)無用の長物と化した櫓や多門など多くの建物はことごとく壊されたが天守だけは旧藩士や豪農の懇請により
 保存されることになり山陰地方唯一の現存天守としてその威風堂々たる威容を今も宍道湖畔に映し出している。
      昭和55年3月 松江市教育委員会」


「しかめっ面をした黒くそびえる屋根の下から、東と南を望むと、
  空を舞う鷹になったように、全市を一目で見渡すことができる
      (小泉八雲 「知られぬ日本の面影」より)」











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「天守」への登城を前に、これまたお約束の1枚。
下から見上げたところです。
もっとも手前に見えるのは「天守」の前にある「附櫓」(つけやぐら)。
少し横から見ると明らかに離れているはずなのに、真正面から見ると一体化したように見えます。
見事なバランスで造られているんですね!
「唯一の正統天守閣」と呼ばれているのもこれが理由の1つなのでしょうか?


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「附櫓」から「天守」の中へと入ってみましょう。
ここからは「登閣券」が必要になります。
また靴は入口にある「下足箱」に置きますが、鍵があるので途中でなくさないように注意!

最初に足を踏み入れるのは1階ではなく、地下1階。
木組みと石垣の裏側?を見られる意外と広いスペースになっています。
このスペースを利用し、ろう城などに備えて食料や物資を貯蔵していたとのこと。
さらにここには「井戸」も備えられていました。
城郭内にあるのはめずらしくありませんが、「天守」の中にあったのは「現存天守」の中ではここだけだそう。
先の説明に加えて、飲料水を手に入れることができる場所であることを想定してこの場所に城を建てたとしたら?
「堀尾吉晴」「堀尾忠氏」の親子の目はすごかったんですね~。

「地階
 俗称穴蔵の間(十四坪)と呼ばれ、慶長初期の建造法で長期戦や、ろう城の場合も考え、ここに米や塩など食料物資を貯蔵した。
 中央には、深さ24mの自然石積の円形井戸があり、飲料水が得られた。」


「塩蔵
 籠城の際、米、食塩其他生活物資を貯蔵した所」



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同じエリアに展示されていたのは「天守」の最上層屋根に置かれていた「鯱」(しゃち)。
「しゃちほこ」と呼ばれることもありますね。
建物が火災に遭うと水を噴き出して火を消すとされ、火除けの守りに使われます。
こちらにあるのは、1950年(昭和25年)から1955年(同30年)までに行われた「天守」の解体修理の際に取り外されたもの。
雌雄のちがいもちゃんとあるのは意外でしたね。

「鯱
 天守第5層大棟の東西にとりつけてあったもので、松厚板箱さし造り 銅張り、高さ6尺8寸5分(20.8m)である。
 現在のものは、昭和30年天守修理完成と共に新しいものととりかえた。
 向かって左が雄でうろこが荒く右が雌、城を火災から守る魔よけである。」



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階段を上がって上へと進みます。
「松江城」に限らず、「現存天守」にある階段は角度が非常に急です。
角度は70度くらいはあるでしょうか?
しかも1段1段の幅がとても狭いため、足を踏み外さないように気をつけていきましょう。
個人的には上るときよりも、下るときの方がコワいんですけどね(^^;

さて、上に上がってみると・・・・・何もない??
たいていは何かしらの展示物が並んでいるんですが、ここでは床がむき出しで中央に柱だけが並んでいます。
実はこのとき、展示物の総入れ替えが行われていたんです。
そのため、ご覧のように空っぽの状態を見ることができました。
それにしてもあの急な階段があるのに、多くの展示品を搬出するのは大変だっただろうな~と(汗)


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こちらは残されていた?数少ない展示品の1つ。
「県庁」近くの屋外に展示されている「米原雲海」作の「松平直政公初陣之像」の原型でしょうか。
実物は下から見上げるために表情が見えないのですが、ここではそれをうかがうことができます。


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むき出しになった柱に巻かれている鉄の帯。
「包板」(つつみいた)と「帯鉄」(おびてつ)と呼ばれる部材とのこと。
説明によると、「包板」が最初に施されたのは享保4年(1719年)。
その約20年後に「天守」の大改修が行われているので、それまでのつなぎとして補強がされたということでしょうか?
あるいは補強する箇所が多くなってきたので、いっそ改修してしまおうとなったのか。

「包板と帯鉄
 天守では1階から4階の柱のうち103本(昭和の修理前は130本)が、1面~4面に包板を釘、鎹(かすがい)、帯鉄で取り付けられている。
 この包板の厚さは2寸~2寸5分もあり、軸部強化が期待されて添えられたものと見られる。
 包板による補強は享保4年が最初で、以後、傷み具合を見て、随時加えられたと考えられる。なお、柱に直接帯鉄が巻かれているものもある。
 松江城天守の柱が寄木柱(よせぎばしら)だと間違った理解が広まったのは、相当数の帯に帯鉄が巻かれていることや、
 出雲大社の鉄輪(かなわ)の柱が先例として知られることなどが理由として考えられる。
 このように、柱や梁に帯鉄をまく補強方法、さらに包板を1面~4面に添え、それに帯鉄を巻く構法は、
 松江城天守に見られる独特の補強手段である。」



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最上層の5階に上がります。
「松江城」では周囲にめぐらされた「回縁」(めぐりえん)がなく、「天守」の中から外を眺めることができます。
この日はあいにくの曇り空だったので抜けは今ひとつでしたが。

「五階
 松江城の特色の1つは、内部から四方を展望できる望楼式で、現存する天守のなかでも数少ないものです。
 (天守最上階の外側に回縁を設けたものが多い。)
 最上階は「天狗の間」と呼ばれ、戦いのときは城主が全軍の指揮をとるところです。
 東西9.64m、南北7.72m、面積74.4㎡あり、中央の間は24畳あります。
 内縁界(うちえんかい)鴨居敷居が入れてあり、長押(なげし)などが打ってあった痕跡がなく、
 創建当初からきわめて簡素な造りであったことがうかがわれます。」



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5階には「国宝指定書」も展示されていました。
本物なのか、それとも写しなのかはよくわかりませんが(^^;


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「天守」を出て、来たときとは逆に東側から北へと進んでいきます。
左手には高く石垣がそびえ立ち、その向こうに「天守」の姿が垣間見えました。
こちらからの眺めもなかなか迫力がありましたね。

さてこの日は天気が回復することもなく、テンションも上がらず。
この後は「松江駅」まで歩いて宿に入りました(^^;


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翌日は再び「出雲縁結び空港」から「大阪伊丹空港」へと向かいます。
出発ロビーのある2階には「しまねっこ」「水引」(みずひき)のオブジェが飾られていました。
「しまねっこ」の両側にある雲は「出雲国」の象徴ですね。

「縁結び
 さまざまな出会い それは大切な縁がむすばれたということ
 「出雲縁結び空港」では、縁結びのイメージを古来より慶事に用いられてきた「水引」に託しています。
 結び方は堅く解けない結切りで往く人来る人の良き縁を願い、空港と旅人の縁を祝しています。」


「このしまねっこオブジェは出雲縁結び空港愛称決定を記念し製作されました。
 新婚のご夫婦から幸せたっぷりの縁結びパワーを注入してもらったとても縁起の良いオブジェです。
 みなさん、是非さわってみてくださいね。」



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3階にある「見学・送迎デッキ」に上がります。
「one world」カラーの「B767-300ER」(JA8980)がプッシュバックされていきました。
09:55発の「羽田空港」行きです。
わたしも直帰するならこの便でもよかったんですけどね。


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定刻よりやや早い10:11に「伊丹空港」からの「JAC2743」便が到着。
折り返し「JAC2346」便となって「伊丹空港」へと飛びます。
このときは「日本エアコミューター」が運航していて、機材も「ボンバルディアDHC8-Q400」が充当されていました。
「ターボプロップ機」に乗るのはこれが2回目。
前回は「調布飛行場」から「伊豆大島」まで、「ドルニエ Do228-212 NG」に乗っています(往路のみ)。
なお、今年の5月6日で「日本エアコミューター」はこの路線の運航を停止。
翌日の5月7日から「ジェイエア」に移管され、機材も「ジェット機」「エンブラエルE-Jetシリーズ」に変更となっています。


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搭乗は「ボーディングブリッジ」ではなく、地上からとなります。
往路の「伊丹空港」は雨でしたが、この日は晴れていたので機材の撮影ができました。
「垂直尾翼」が見切れてしまったのは大失敗でしたね!(^^;


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「JAC2346」便は「出雲空港」を10:45に出発、「伊丹空港」に11:35に到着します。
飛行時間が短いのでドリンクサービスはなく、代わりにキャンディのサービスがあります。
いくつか種類があり、今回はかわいいイラストの入ったオリジナルをチョイス。
かなりデフォルメされたぽっちゃり体形の機体がいい感じ。
「プロペラ」もちゃんと回っているように描かれているんですよ。


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「伊丹空港」には定刻よりやや早く、11:27に到着。
乗り継ぎの「羽田空港」行き「JL116」便は約1時間後の12:30に出発します。
「伊丹空港」は現在リニューアル工事を実施していますが、搭乗ゲートの17番付近はまだ未着手。
そのため、ゲート上部に掲げられている出発案内も昔ながらのパタパタが残っていました。
全館リニューアルオープンは2年後の2020年夏を予定しているので、このエリアもそろそろ工事にかかる頃でしょうか。
もう少し見ていたいものですけどね。



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11、14~16枚目 iPhone5S


次回から新シリーズ、大阪の生きているミュージアム ニフレル編です。
by sampo_katze | 2018-10-17 21:00 | 山陰・山陽 | Comments(0)


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