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石川県立航空プラザの屋内展示 ~航空機の歴史~
小松出張のオフタイム編・第3回


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「入口手前で見得を切る」


「石川県立航空プラザ」の館内に入ります。
まずは2階から見てみましょう。
ここは「航空機の歴史」「飛行原理」「航空機のしくみ」などをパネルや模型で説明しています。
すべてを紹介すると長くなるので、「航空機の歴史」初期の部分のみを取り上げます。


表紙の写真は、入り口横にいたキャラクターパネルです。
「歌舞伎」の演目の1つ、「勧進帳」に出てくる「武蔵坊弁慶」をモチーフにしたその名も「カブッキー」
「勧進帳」の舞台である「安宅関」(あたかのせき)はこの近くにありますからね。
右手を大きく広げてこちらに向け、見得を切っています。
でも見方を変えると、入るのはちょっと待たれよと言っているようにも?(^^;










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こちらは「ジョージ・ケイリー卿の固定翼滑空機」(左)です。
3枚の主翼「三葉」を持つグライダーで、非常に縦に長い機体になっていますね。
現在の感覚からするとアンバランスな感じですが、1849年(それ以前という説も)に10歳の少年を乗せて滑空に成功しています。
その後の1853年には「単葉」のグライダーを製作し、今度は成人を乗せて100m以上の滑空に成功。
これは世界初の成人の飛行士とのことですが、先の10歳の少年ともどもその素性はよくわからないとのこと。
「ジョージ・ケイリー」は「イギリス」の工学者で、「航空学の父」とも称されています。

「ジョージ・ケイリー卿の固定翼滑空機  イギリス:1773-1857  縮尺:1/24
 1810年、ケイリー卿は、翼にかかる上向きの揚力ベクトルと抗力ベクトルの概念を考え出し、
 傾斜させた翼を飛行方向に移動(運動)させれば羽ばたかなくても浮揚する力、
 すなわち揚力を得られるという固定翼の概念を初めて考案しました。
 展示の模型は、1849年に10歳の少年を乗せて滑空に成功した三葉のグライダーです。
 (すでに水平尾翼と垂直尾翼を装備しています。)
 その後、1853年には、彼の御者(ぎょしゃ、馬車の運転手)を乗せて100mの滑空に成功しています。」

※説明板より引用、以下同じ


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上から見るとこんな構造をしています。
最下段に魚の「ひれ」のようなものがついているのが見えます。


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「アメリカ」「オクターヴ・シャヌート」たちが考案した「グライダー」。
1890年代に製作されたもので、イメージとしては「ハンググライダー」のようです。
また上下の翼の間を四角い枠が並んでいて、かなり頑丈に作られているのがわかります。
これは「シャヌート」が、土木建築技術者だった経験を生かしたものとされています。

「立体凧をもとにした初期のグライダー
 1890年代にアメリカのシャヌートらが中心となって、
 空中での安定性を重視する様々なタイプのグライダーが製作されました。
 翼を積み重ねて揚力を強くする複葉機の考え方が確立したのはこの頃です。」



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「ドイツ」「オットー・リリエンタール」が行っていた飛行実験の様子。
説明にある円錐形の小山からの実験は1884年から始められたそうなので、これはそれ以前の様子ですね。
実験の様子は「ドイツ」国内だけでなく世界中で報道され、写真も多く撮られていたよう。

「リリエンタールの飛行実験
 リリエンタールは、ベルリン近郊にあったたかさ10メートルほどの丘で飛行を始めると、
 やがて、自宅の近くに人工的に円錐形の小山を築き、そこで2000回以上の飛行実験をおこないました。」



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そして「ライト兄弟」が製作した「グライダー」。
世界初の「有人動力飛行」を実現する2年前に製作し、滑空実験に使用していたものだそう。
シルエットはその機体によく似ていますね。

「1901年7月 飛行に成功したグライダー
 ライト兄弟は動力機製作の前に、操縦法を理解するためグライダーを作り、滑空実験を繰り返しました。」



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1903年12月17日に「有人動力飛行」に成功した「フライヤー」
この日は4回の飛行が試みられ、3回目までは飛行時間12~15秒ほどで飛行距離も120~200フィート(36~60m)ほど。
そして4回目には59秒、852フィート(約260m)と大幅に記録が伸びています。

「有人動力飛行に成功したフライヤー
 1903年12月17日、最初の動力飛行機フライヤーは、弟オービルの操縦で12秒間、36mの飛行に成功しました。
 模型縮尺 1:24」



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その3年後、1906年に登場した世界初の「単葉機」が左の「トラハン・ビュイア」設計機。
右は「フランス」「ルイ・ブレリオ」が製作した「ブレリオⅪ」
1909年7月25日の早朝に「イギリス」との間にある「ドーバー海峡」、フランス語でいう「カレー海峡」の横断に成功しました。
「ライト兄弟」が「有人動力飛行」を実現してから、わずか6年後のこと。
ついに人類が空を飛び、海を越えて異国の地へと行けるようになってしまったんですね~。
この偉業により、「ブレリオⅪ」は各国から100機を超える注文が殺到したそうです。

「トラハン・ビュイア設計の世界初の単葉機
 1906年ハンガリーのトラハン・ビュイアは、世界初の単葉機の飛行に成功、やがてブレリオの研究へと発展しました。
 模型縮尺 1:24」


「ブレリオⅪ
 1907年7月25日に、ブレリオ自身が英仏海峡横断飛行に成功した機体。
 模型縮尺 1:24」

※原文ママ


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さて、「日本」はどうだったのか?
実は「ライト兄弟」よりも先に「有人動力飛行」を実現していたかもしれない人物がいたんです。
あまり知られていませんし、わたしも今回初めて知りました(汗)

その人物とは、現在の「愛媛県八幡市矢野町」出身の「二宮忠八」(にのみや ちゅうはち)。
陸軍に従軍した「忠八」は、野外演習での休憩中に「カラス」が羽ばたくことなく滑空する様子を見ます。
そこから着想を得て、「カラス型1号器」(模型提供:愛媛県八幡市)と呼ばれる模型を製作しました。
動力は「ゴム」で、これは「忠八」が勤務していた「陸軍病院」「聴診器」のゴム管を流用したんだとか。
1891年4月29日に3mの自力滑走から離陸し、10mの飛行を記録。
日本初の「プロペラ飛行実験」に成功しました。

「日本のパイオニア 二宮忠八
 ライト兄弟よりも先に飛行機を発明していたかもしれない日本人がいました。 
 愛媛県出身の二宮忠八です。
 彼は独学で航空を研究し、1891年にはカラスの飛行をヒントにゴム動力模型飛行機の製作と飛行に成功します。
 そして、その2年後、人間が乗れる玉虫型飛行器の図面を書いて陸軍に提出、協力を依頼しましたが理解してもらえず夢は実現しませんでした。
 しかし、彼がこの時に設計した飛行機は動力の問題さえ解決できれば飛行可能だったと言われています。
 彼が玉虫型飛行器の図面を完成させたのは、ライト兄弟が飛行機の開発をスタートさせる6年も前のことでした。」



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「航空機の歴史」エリアの入口には、「二宮忠八」が製作した「玉虫型飛行器」の復元模型が展示されています。
原型は「カラス型」の実験から2年後の1893年(明治26年)に製作されました。
その後の経緯は説明に譲りますが、1903年12月17日に「ライト兄弟」が有人飛行に成功。
これを機に「忠八」は「飛行器」の開発から手を引き、「製薬業」に専念することになったそうです。

「玉虫型飛行器(復元模型)
 二宮忠八(にのみやちゅうはち)が、前羽(ぜんう)で浮翼(ふよく)し、後羽(こうう)で推進しながら飛ぶ玉虫にヒントを得て
 1893年(明治26年)に製作・完成した日本初の人力機の模型飛行機。
 足こぎペダルによる人力で4枚羽のプロペラと車輪を駆動、固定翼の下に取りつけられた可変翼で舵をとる先進的な構造が特徴です。
 当時、従軍していた彼は、日清戦争で実用性を感じ、上官に幾度も上申するが却下され、独自で研究開発に取り組むべく、
 翌年軍隊を退き、資金を貯め、研究・開発に取り組むために薬業界へ入りました。
 ようやく1万円の貯金もできた頃、故郷の愛媛県八幡浜市(やわたはまし)と同じ名の京都府綴喜郡(つづきぐん)
 八幡町(やわたちょう、現在の八幡市)近くの木津川の川原に飛行実験場を決め、一切の準備が整いました。
 アメリカのライト兄弟の初飛行が報じられたのは、そんなやさきでした。
 もし、軍隊で彼の上申書が受理されていたら、日本の飛行機の歴史は変わっていたかも知れません。
 ※展示の玉虫型飛行器は、設計図に基づいて原寸復元したものです。」



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操縦席のあたりをアップに。
きれいな曲線を描いた竹がとてもきれいだな~、と本質的なところとはちがうところに感心してしまいました(^^;


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2階の最後のエリアに展示されている「三浦俊明氏」の模型。
2,500点もの「ダイキャストモデル」が展示されていますが、同じものはまったくないというのがスゴイ!

「展示の2,500点におよぶ模型は、もと小松市在住の三浦俊明氏のご好意により寄贈していただいたものです。
 すべて金属製のダイキャストモデルで、1/400~1/600の大きさで精巧に作られています。
 なんと同じものは1機もありません。
 どうぞゆっくり鑑賞されて世界へ思いを巡らせて下さい。」




すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、屋内の実機展示場を見てみましょう。

by sampo_katze | 2019-02-19 21:00 | 北陸 | Comments(0)


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