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コマツ発祥の地にあるこまつの杜
小松出張のオフタイム編・最終回


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「超巨大なトラック!」


「石川県立航空プラザ」から1度「小松空港」へと戻ります。
ここからでも「小松駅」への「バス」が出ていますが、本数が少なくて時間が合わなかったので。
空港からですと20~30分おきに出ているので、使いやすいです。
なお「金沢駅」「福井駅」へも出ていますが、こちらは到着便に合わせて出発するので注意。
どうしても合わないときなどは、時間はかかりますが「小松駅」に出て「北陸本線」を利用するのも手ですね。

さて「小松駅」に着いたものの、チェックインの時間にはまだ早いです。
そこで、駅の東側にある「こまつの杜」を訪ねます。
ここは建設機械の「コマツ」、正式名称「株式会社小松製作所」「小松工場」跡地に造られた施設。
里山を再現した公園や屋外に展示されている実機が見所です。
ただこの日は日曜だったので、屋内施設がお休みだったのは誤算でした(^^;

「こまつの杜
 「こまつの杜」は、2011年5月、コマツの創立90周年事業として「地方の活性化」、「子ども達の健全な育成」、
 「定年世代の参画」を目的に創設されました。約84,000平方メートルの敷地には、旧本社社屋を復元した「わくわくコマツ館」を中心として
 地元加賀地域の樹木を植えた「げんき山里」のある一般開放エリアとグローバルな会議ならびに教育の場として社員の能力向上や
 キャリア形成を支援する会議・研修のエリアがあります。
 コマツ((株)小松製作所)は、1921年5月、高知県宿毛市(すくもし)出身の竹内明太郎(めいたろう)によって、竹内鉱業(株)が経営する
 遊泉寺銅山の機械修理部門であった「小松鉄工所」が分離独立して、小松市八日市町地方(現こまつの杜)に設立されました。
 小松工場は創業の地として、1931年、国産第1号の農耕用トラクターを完成させ、1938年5月、粟津(あわづ)工場へ生産移管した後、
 2010年までプレス機械を製造する部門として創業していました。
 「こまつの杜」では、コマツのOBによって、子ども達が理科や自然を学ぶ教育の運営や、地域の憩いの場となっている里山の維持管理、
 超大型ダンプトラックの運転席試乗やイベント時のお客様サポートなど、元気にボランティア活動をしています。」



表紙の写真は、「こまつの杜」入口で出迎えてくれる超巨大な「ダンプトラック」です。
全高は7.3mで2階建ての家より高く、車体重量は499t、積載量は300t弱もあって世界最大級。
でも、「こまつの杜」のHPでは体重202tとあるんですよね。
どっちが正しいのでしょうか。
多少の誤差ならいいんですけど、さすがに100tもあると気になります(^^;

「履歴書
  名称:930E  国籍:アメリカ合衆国(イリノイ州ピオリア市)  出身地:南米チリ
 プロフィール
  ルックス:おおきな背中(ベゼル)でたくさんの荷物運び、負けん気あふれる四角い顔がナイス!
  体重:499トン  積載量:297トン  速度:64.5km/h
  役割:人間には運べない大きな荷物をたくさん積んで、アメリカ・オーストラリア・インドネシアでも働いています。
     安全かつ安心をモットーに荷物を運ぶ事が役割です。
  性格:大きな鉱山を見ると興奮する。小さな車を見ると道を譲りたくなる。体は大きいが気持ちはやさしい。
  特技:背のび  好きな食べ物:銅・鉄鉱石・ダイヤモンド  好きな場所:小松市  気になる人:カブッキー。友達になりたい。」











「・超大型ダンプトラック「930E」とは
   世界最大級のコマツ電気駆動式ダンプトラック「930E」が小松市に初上陸しました!
   このトラックが無人で操縦されている鉱山もあるんです!
 ・どうして無人で動かしているの?
   2つの理由があります。
   ひとつは複雑な鉱山の地形のなかでの過酷な作業、落石や転落などの大きな危険から運転手さんを守るためです。
   もうひとつは無人走行することで、燃料・タイヤの消耗を節約し、地球の環境を守るためです。
   この電気駆動式ダンプトラック「930E」は人にも地球にもやさしいトラックです。
 ・一度みたら忘れられないとても大きく迫力ある「930E」 なぜ930E(キューサンマル・イー)と呼ばれるのか!
   「930」の数字は総重量を表し(930,000LBS)、「E」はエレクトリック(電動式)を表してます。
   現在では、品質改良のため重量が増えているのですが、語呂が良く、お客様に既に浸透しているという理由から、
   ずっと「930E」という名前のまま活躍し続けています。「730E」、「960E」は兄弟機種です。
   LBSとは重さを表す単位の「pound」(ポンド)の省略記号です。(1ポンド:約453.6g)
   「天秤」という意味の古代ローマの重量単位「libra」に由来しています。
 ・ここがすごい!①
   このダンプトラックの荷台には、アフリカ象(6トン/頭)なら50頭、力士(180kg/人)なら1,650人、
   小学生(40kg/人)なら7,400人載せることができるんだよ!
 ・ここがすごい!② どうやって無人トラックを操縦しているの?
   鉱山内に設置してある無人運転システムのコントロール室から人工衛星を利用して位置を受信する
   GPS(グローバル・ポジショニング・システム)と無線を使ってトラックを操縦しています。
   トラック同士がぶつかる心配もありません。また、トラックの「健康状態」「稼働状態」を管理できるシステムも活躍しています。」



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「930E」の前方左手にはこの日の「930Eのコンディション」が表示されています。
それを見てみると、こちらも「お休みです」の表示が!!
休日でなければ車体の下を歩いたり、運転席に入ったりできるそうなので残念でした。


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リアビューはこんな感じ。
「ベッセル」(荷台)も大きいですが、それ以上にインパクトがあるので巨大なタイヤです。


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そのタイヤをすぐ目の前にすると、あまりの大きさに圧倒されます。
何しろ高さは4mあり、これ1本で「アフリカゾウ」14頭分の重量(約84t)を支えることができるとのこと。
このタイヤを前2本、後ろ4本の計6本装備しているんですからすごいですよね!


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屋根下に展示されていたのは「コマツを支えた建機たち」
6機の重機たちが展示されています。
この日は休日だったので柵がありましたが、営業日だと開いているのかもしれません。


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左から順番に見ていきましょう。
小さな赤い車体がかわいい「コマツユニカ」
見た目はかなり簡素で、遊園地などにおいてありそうな雰囲気です。
でもこれ1台で小型トラックになったり、「トレーラー」を引っ張ったりできます。
さらにオプションをつけることによって、様々な農作業までこなすことできる万能車とのこと。

「コマツユニカ(LT1200)  総排気量453cc 12馬力
 農民車コマツ 1959年(昭和34年)~1962年(昭和37年)
 ・農家の長い間の夢「歩く農業より乗る農業へ」を実現した画期的ホイールトラクター(農耕用軽自動車)である。
  荷箱を積んで小型トラックとなり、トレーラー牽引で荷物運搬ができる。
  また、PTO(動力取出し装置)を利用してロータリー耕転、脱穀まで様々な農作業をこなせた。
 コマツユニカ 1964年(昭和39年)~1970年(昭和45年)
 ・農民車コマツの後継車。更に高能率なトラクターとするための改良が施され「コマツユニカ」と名を変えて生産した。
 ・1966年(昭和41年)5月モスクワで開催された国際農業機械展で金賞を受賞した。」



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お次は「コマツ」が造った中で、現存する最古の「トラクタ」の「T25」です。
大きなキャタピラと、全体的に武骨なデザインがカッコいいです。
ここにあるのは1936年(昭和11年)8月に製造されたもの。
初号機は1932年(同7年)から造られているので、全盛期のものといえるかも。

「コマツ製最古のトラクタT25
 ・1936年(昭和11年)8月製造
 ・旧小松工場(現こまつの杜)で、製作・組立された現存するもっとも古い小松製トラクタである。
 ・国産初の農地開墾用トラクタとして1932年(昭和7年)から1943年(昭和18年)まで239台生産された。
 ・コマツ製の縦型水冷ガソリンエンジンを備え、最大牽引力が2トンと当時としては堂々たるトラクタであった。」



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前面についているハンドルは、エンジンを始動させるためのものかな?


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国内で初めて造られた本格的な「ブルドーザー」「D50-2-16号機」
おそらく型式が「D50-2」で、その16号機ということと思われます。

「ブルドーザー」の研究は国内でも戦前から行われていましたが、非力で性能も低く使用に耐えるものではありませんでした。
ですが「太平洋戦争」開戦直後の「ウェーク島の戦い」で、「アメリカ軍」の残した1台を入手。
これが「コマツ」に送られ、国産化に向けた研究が行われたんだそう。
そして1947年(昭和22年)12月に1号機が完成。
ここに展示されているのは現存する最古の1台とのことです。

「D50-2-16号機
 ・1949年(昭和24年)3月製造
 ・日本国内における「ブルドーザーの祖」と言われている。
 ・第2次世界大戦後のコマツの歴史を語る機械であり、当時「1日作業員200人分」と言われる機械力を発揮し、
  戦後の復興にいち早くこのブルドーザーが活躍した。
 ・国産ブルドーザー第1号が完成したのは1947年(昭和22年)12月だが、現存するD50ブルドーザーの最古の車である。」



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「ブルドーザー」と「油圧ショベル」の機能を1つにした「ドーザーショベル」
掘り出した土砂をそのままトラックに積み込め、効率アップが図られているんですね。
そして、それまでの機種の掘削能力不足と積載時の接触という欠点を改良すべく登場したのが「D50-S 8型」
大きな「バケット」と黄色い車体が目を引きます。
黄色にしたのは現場での視認性を高めるためでしょうね。

「D50-S 8型 ドーザーショベル1号機
 ・1958年(昭和33年)4月製造
 ・当時コマツではD50バケットローダーを製作し、効率の良い積込機械として、約250台が各地で活躍していたが、
  この機械は掘削力不足で視界が悪く、積込高さが調整できないため、トラックの損傷が多い欠点を持っていた。
 ・これらの欠点を補うために開発計画されたのがD50-S 8型で、当時日本ではショベルは大変珍しい機械であったため人気があった。」



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海外勢に負けない性能と耐久性を持つ機械を造るべく、社運をかけて製作された「D50A(A) 実験車」
原文で(A)は○にAと表記されていますが、ここでは表現できないので代用します。
展示されているのは、全部で96台製作された実験車の中の1台。
これらの実験車から得られた結果をベースに開発された新機種が1963年に登場。
これを機に本格的な世界進出が開始されたそうです。

「D50A(A)実験車 10672号機
 ・1961年(昭和36年)製造
 ・1961年(昭和36年)「資本の自由化対策」による外資参入に対応して、コマツの存亡をかけて製作された(A)実験車の1台(全部で96台)。
 ・性能、耐久性について画期的な向上を目指し、過酷な条件下で16,000時間のテストを終えたものである。
  このテスト結果をすべて織り込んで「D50-11型スーパー」が1963年(昭和38年)に市場導入された。
 ※(A)とはエースの意味を含み、何事にも優先して対策を取ることを表した活動である。」



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現存する「コマツ」製では最古の「ホイールローダ」「JH30B」
先の「ブルドーザー」や「ショベルドーザー」の足回りが「キャタピラ」なのに対し、こちらは「タイヤ」になっています。

「コマツ製最古のホイールローダ JH30B
 ・1965年(昭和40年)製造
 ・現存するコマツ製最古のホイールローダである。
 ・これは当時日本のホイールローダの草分け的存在だったが、コンパクトながら積込性能が良かったので売れ行きは急速に伸びた。」



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レトロな建物は「わくわくコマツ館」です。
「コマツ」の旧本社を復元して建てられたもので、1階が建機の仕組みなどを学べる展示場になっています。
ぜひ見てみたかったんですが、この日は日曜で休館だったのが残念!

「旧本社は、1930年に建築され、使用されていましたが、新幹線建設の為、1996年に取り壊されました。
 現在の「わくわくコマツ館」は、この旧本社を復元したものです。」



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「コマツの杜」での見学は、日曜で「わくわくコマツ館」の休館などがあり思ったよりも早く終わってしまいました。
まだチェックインできないので、北西にある「土居原ボンネット広場」に足を運びます。
「小松駅」西口を出て、高架沿いに北へ350mほど歩くとあります。
ここには「北陸本線」などで活躍した「489系特急型電車」の先頭車が展示されています。
この車両は「ボンネット型特急電車保存会」が管理していて、定期的に車内の公開も行っています。
「ヘッドマーク」がなかったのですが、これもあえて外してあるようです。
公開が行われる日は取りつけられるんでしょうね。

「489系電車製作までの経緯
  特急型交直流電車は昭和39年に60Hz用の481系を初めて製作して北陸線で運用され、昭和40年には50Hz用の483系が製作されて
 東北線に使用、さらに43年には50・60Hz共用の485系が製作されて各線区に投入されてきました。
 これら系列の中には関東と関西を結び、上越線経由の電車も含まれていますが、軽井沢・長野経由の電車が生まれていなかった。
 (特急電車としては181系により上野-長野、直江津に運転されている)
  最近、特急電車に対する需要が多く、また信越線(とくに横川-軽井沢)の輸送を増大するため、
 485系に信越協調装置を付加した特急電車として489系を製作することになりました。
  横川-軽井沢間の輸送力増強については、すでに急行用の169系が製作されており、
 この電車はEF63形からの総括指令による協調運転によって12両運転を現在行っております。489系はこの方式を装備した特急電車であります。
 したがって489系を485系として運用することはよいが、485系を489系として使用することはできません。
 なお47-4には山陽新幹線の岡山開業が計画されており(※実際には昭和47年3月開業)、それまでは大阪-金沢および新大阪-広島間の
 昼行特急増発用として運転もされます。
 (月刊「鉄道ファン」誌 S46.10、通巻126号143項原文抜粋)」



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広場のすぐ横を走る「北陸本線」。
「クハ489-501」がこちらに搬入されたときにはすでに高架化されていたのかな?
そのため、ここから見えるのは下り列車のみ。
「小松駅」の時刻表を調べてみると、「金沢」行きの「サンダーバード23号」が間もなくここを通りそうです。
待つことしばし、見えたのは車両の上半分くらいでしたが新旧特急車を撮れました。
そしてその向こうでは「北陸新幹線」延伸工事が進められています。
「北陸本線」の過去・現在・未来が同時に見られるポイントと言えそうです。


「小松空港」そばの「航空プラザ」に始まり、建設機械の「コマツの杜」から「ボンネット広場」へ。
今回はさまざまな乗りものに関する展示施設を見てきました。
「小松市」にはほかに「日本自動車博物館」もあるそう。
「小松駅」からは少し離れていますが、そこでしか現存が確認されていない希少車も展示されているそう。
また「福井」方面に足を伸ばして「恐竜博物館」などにも行ってみたいところです。



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次回から新シリーズ、掛川花鳥園編です。
by sampo_katze | 2019-02-23 21:00 | 北陸 | Comments(0)


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