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ねぶたの家 ワ・ラッセ~メイン展示ゾーン
マイル修行で夏の青森~函館・札幌訪問編・第3回


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「赤い金魚が空を舞う」


「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の続き。
2階の有料エリアとなる「ねぶたミュージアム」の後半です。

ここの目玉はなんといっても本物の「大型ねぶた」でしょう。
毎年8月上旬に開催される「青森ねぶた」の閉幕後、2日間ある閉館日に入れ替えが行われます。
つまり、その年に運行された「大型ねぶた」が翌年の8月までの約1年間展示されるわけです。
スペースの都合上、全部を展示することはできないので4基に限られますが。
館内は照明を暗くして「ねぶた」内部の照明を点灯しているので、まるで本番さながらの様子を再現。
しかもすぐそばで見学することができるんですよ。
ということで、さっそく見ていくことにしましょう。


表紙の写真は、「大型ねぶた」展示エリアへと続く通路の様子です。
天井から赤い「金魚」をかたどったちいさな「ねぶた」がたくさん並んでいます。
これはそのまんま「金魚ねぶた」と呼ばれるもの。
江戸時代に「弘前藩」で生み出された「津軽錦」という品種をモデルにしているといわれています。
丸っこい体に大きな尾びれがついているのが特徴。
「ねぶた」が近づくと、街中のあちこちに飾られているのを見ることができますよ。

「金魚ねぶた
 金魚ねぶたは、丸い胴体と立派な尾ひれ、そして背びれがないのが特徴で、
 江戸時代に弘前藩が独自に飼育改良した金魚「津軽錦」がモデルであるともいわれています。
 主に、小さな子供たちの持ち歩き用や、祭りの間、家や商店を飾る灯籠として用いられています。
 明治期には、ねぶたの時期になると各家々が門口に脚をつけた金魚ねぶたを立て、
 その下に水を張ったたらいを置いて、水面に映る灯籠の灯りを楽しみながら、
 ねぶたが回ってくるのを待ったといいます。」

※説明板より引用、以下同じ










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入口から続く通路を抜けると「見晴台」があります。
その正面に立つと1つ目の「大型ねぶた」を見ることができます。
タイトルは「妖術師 滝夜叉姫」(たきやしゃひめ)。

ベースとなったのは「平将門」(たいらのまさかど)の子「良門」(よしかど)と「五月姫」(さつきひめ)が、
父の遺志を妖術をもって果たそうとする「善知鳥安方忠義伝」(うとうやすかたちゅうぎでん)という江戸時代に書かれた物語。
これを絵師「歌川国芳」が錦絵「相馬の古内裏」に表しました。
妖術を得て「滝夜叉姫」と名を改めた「五月姫」が巨大な「骸骨」を召還。
これらを退治すべくやってきた「大宅太郎光圀」(おおやたろうみつくに)に襲いかかるという場面です。
元の錦絵では、この5倍はあろうかというほんとに巨大な「骸骨」が描かれていてなかなかの迫力ですよ。

「妖術師 滝夜叉姫  作:北村春一  優秀製作者賞
 平安時代中期、天慶(てんぎょう)の乱にて無念の最期をとげた平将門(たいらのまさかど)の娘、
 五月姫(さつきひめ)は怨念を募らせ貴船(きふね)の社に祈願をかけ、その満願の日、
 貴船の神より妖術を授かり、名を滝夜叉姫と改めた。
 その後、がしゃ髑髏(どくろ)など数多の手下を駆り集め、天下に災いをなすようになった。
 そのため朝廷より勅命を受けた大宅太郎光圀(おおやたろうみつくに)は、陰陽の術をもって立ち向かい
 壮絶な戦いの末、滝夜叉姫を成敗した。天下に災いを齎(もたら)した滝夜叉姫であったが、
 死の間際には改心して平将門の下に昇天したという。
 ねぶたは滝夜叉姫が妖艶な遊女の姿で現れ光圀を惑わそうとするが見破られ、
 妖術と陰陽術の激しい戦いとなる場面である。」



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スロープを通って1階へと下りていき、改めて「妖術師 滝夜叉姫」を見学します。
すぐ目の前に出るとその大きさに圧倒され、それと同時に細工の細やかさや色鮮やかさに目を奪われます。
「滝夜叉姫」の華やかな姿と、配下の巨大な「骸骨」の禍々しさが鮮やかなコントラストを見せていますね。
敵をまどわすべく周囲を舞う「蝶」も怪しげな雰囲気を醸しています。


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対する「大宅太郎光圀」は「太刀」「護符」を手に、「滝夜叉姫」たちを迎え撃ちます。
そして壮絶な戦いの末、「光圀」は「滝夜叉姫」を見事に討ち果たしました。
討たれた「滝夜叉姫」は改心し、天に昇ったということです。


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このように「ねぶた」の内部構造を見ることができました。
「ねぶたミュージアム」ならではの視点から見られるのもうれしいポイントですね。
また、内部には照明を点灯させるための「発電機」も搭載されているとのこと。
その重さは約1.3tあり、総重量は約4tにも上るんだそう。
なお、中に使われている照明はLED電球」でした。

「~ねぶたのナカミ~
 ねぶたは角材(木)で支柱を作り そこに針金で形を作っていきます。
 下から覗いてねぶたの構造を確かめよう!
 ※本来は布を張った板や提灯で目隠しされるため、ねぶたの内部を見ることはできません。」


「もっと知りたい。ねぶたの秘密。
 ●台車には1.3tの発電機が!?
  昔はろうそくを使用し、ねぶたに光を入れていたが、現在では800~1000個の電球や蛍光灯を取り付けています。
  この電源になるのが発電機です。重さは約1.3tもあり、ねぶた本体と合わせると約4tにもなります。
 ●4tもの重さがあるねぶた、どうやって動くの?
  簡単に述べますと、人力で台車を引っ張ります。4tの重さを支える為に、大型車両用のタイヤと車軸が使われています。
  総勢、約30名の成人男性が前・後・横に付き、誘導の指揮をとる扇子持ちの指示に従い、
  ねぶたを直進させたり、回転させたりします。」



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「妖術師 滝夜叉姫」のB面も見てみましょう。
こちらは一転して、どこかほのぼのとした雰囲気になっています。


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右側では「カエル」同士が相撲を取っています。
「鳥獣人物戯画」に描かれていた場面のよう。
その後ろで「軍配」を上げているのは誰でしょうね?


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左側で「キセル」を吸っているのは「仙人」でしょうか。
口から吹き出した煙で「カエル」を作り出しています。
それを見た頭の上に乗っている別の「カエル」が喜んでいますね。


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左手の壁際に立ち、力強い視線を向けているのは「毘沙門天」
説明がなかったので詳細はわかりませんが、「大型ねぶた」に組み込まれていたものなのかと。


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2018年の「ねぶた大賞」に輝いた「紅葉狩」(もみじがり)です。
「平安時代」中期の武将「平維茂」(たいらのこれもち)が持つ「紅葉伝説」をモチーフにしたもの。
「長野県」「戸隠山」(とがくしやま)に住むという「鬼女」を退治するというストーリーです。
燃えるように赤い「紅葉」が全体を覆い、「維茂」と「鬼女」の戦いの激しさを表しているようです。

「紅葉狩  作:北村麻子  最優秀製作者賞・ねぶた大賞
 紅葉が美しいとある山中、高貴な風情の女が侍女を連れて紅葉を愛でようと宴を催していました。
 その酒席に鹿狩りの途中の平維茂(たいらのこれもち)の一行が通りかかります。
 維茂は道を避けようとするが、誘われるまま、宴に加わります。
 酒を勧められ、つい気を許した維茂は酔いつぶれて眠ってしまいます。
 ちょうどその頃、八幡大菩薩の眷属(けんぞく)、武内(たけうち)の神が信濃国戸隠山(しなののくに とがくしやま)への
 道を急いでいました。維茂を籠絡(ろうらく)した女は戸隠山の鬼神だったのです。
 武内の神は維茂の夢に現れてそのことを告げ、八幡大菩薩から下された神剣を維茂に授けました。
 さて、夢から覚めた維茂の前には、鬼女が姿を現わし襲いかかってきます。
 維茂は勇敢に立ち向かい、激しい戦いの末にみごと神剣で鬼女を退治しました。」



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裏面は「鬼女」に酒を勧められ、酔いつぶれてしまった「維茂」が眠っている様子。
横には「鹿」と、枝の上にとまった「オオルリ」がいます。
肩の上にも1羽の「オオルリ」がいて、耳元で何かささやいているかのよう。
このあと「維茂」は目を覚ますのですが、これが説明にあった「武内の神」が姿を変えたものなのかも?


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こちらは「南津軽郡藤崎町」「赤沼」に伝わる伝説をモチーフにした「赤沼伝説」
「坂上田村麻呂」「蝦夷征討」の一環で「藤崎」のあたりを訪れた際、棟梁の「高丸」に襲われます。
「田村麻呂」は弓で「高丸」を仕留めるものの、今度は「高丸」が亡霊となって再び襲い掛かってきます。
これは後段の戦いを表したものです。

「赤沼伝説  作:北村隆  優秀製作者賞・知事賞
 藤崎町矢沢八幡宮の裏にあった「赤沼」とそこから6km離れた常盤村(ときわむら)福館(ふくだて)の
 田んぼの真ん中にある「赤沼」とは底がずっと繋がっていたと言われている。
 しかし、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は藤崎町矢沢の森のあたりで突然蝦夷(えぞ)の棟梁・高丸(たかまる)に襲われた。
 田村麻呂は強弓(ごうきゅう)をはなち、射殺したが今度は高丸の亡霊が襲い掛かった。
 田村麻呂は太刀をぬき斬りつけると、亡霊はそばの沼へ落ちていった。沼はみるみる赤い血で染まったという。
 それからこの沼を「赤沼」と呼ぶようになったという。
 田村麻呂は亡骸を近くの森に葬り、その上にお堂を建て矢を御神体として祀ったことから「矢沢」と呼ぶようになったという。
 この赤沼にはいつの頃からか大きな蟹が沼の主として棲むようになったという。
 この大きな蟹は大高丸の化身と噂されている。そして二つの沼を行ったり来たりしていたという。
 坂上田村麻呂と赤沼の蟹の伝説である。今も常盤村福館の田んぼの真ん中には「赤沼」とそばには小さな祠(ほこら)が存在している。」



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こちらも背面はのどかな雰囲気。
「藤崎町」特産の「りんご」の木をバックに「うさぎ」「たぬき」「りす」「さる」がたわむれます。
ちなみに「藤崎町」は、1962年に品種登録された「りんご」の「ふじ」を生みだした町。
町名にある「藤」と、日本一の山である「富士山」からつけられたんだそう。
てっきり「富士山」だけかと思っていたら、町名も含まれていたんですね。


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こちらは「鹿島神(かしましん)と要石(かなめいし)」
「鹿島神」はその名からもわかるように「茨城県鹿嶋市」にある「鹿島神宮」の主神で、「タケミカヅチ」とも呼ばれます。
これは「タケミカヅチ」が地震を起こすとされる「大ナマズ」の頭に剣を刺し、鎮めている様子を表しています。
ちなみに「鹿島神宮」と、「利根川」をはさんで南側にある「香取神宮」には「要石」があるとのこと。

「鹿島神と要石  作:有賀義弘
 古くから地震は地中の大きな鯰(なまず)が荒れ騒いでいるせいだと信じられてきました。
 鹿島神宮にある要石は大神の御座、磐座(いわくら)とも伝えられる霊石で、大神たちはこの要石を地中に深く差し込み
 大鯰の頭を押さえ地震を鎮めているといわれています。
 また、鹿島神宮の主神として祀られていることから鹿島神とも呼ばれるタケミカズチは
 日本神話にみえる神で、「雷神、武神、刀剣の神」
 近年では、スポーツの神として武道上達や勝利・成功のご利益があるとされています。
 我々、青森駐屯地の隊員も地震鯰を押さえ込む鹿島神のように日本の平和と国民皆様を全力で守れる様に
 日本一精強な駐屯地を目指し、日々各種任務や訓練に邁進する思いを祈念するものであります。」



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最後は、昔ながらの製法で造られた「竹のねぶた」です。
タイトルは「曾我五郎と御所五郎丸」で、「鎌倉時代」にあった「曾我兄弟」による仇討ちがモチーフになっています。
ほかの「ねぶた」と比べて色が濃く、コントラストがはっきりしている感じですね。
内部は竹を麻糸で組み上げてあり、照明も「白熱電球」が使われていました。

「平成29年度特別企画 『よみがえる竹のねぶた』製作
 曽我五郎と御所五郎丸  作:第5代ねぶた名人 千葉 作龍

 竹ねぶた
  ねぶたの骨組みには昭和30年代まで竹が用いられていました。
  竹を扱いやすい長さや幅に加工し、自在に曲がらない竹を麻糸で結びながら形を作る工法が伝統的なものでした。
  現在のねぶたは針金を用いて細部まで表現がなされますが、竹ねぶたは、骨組みによる表現が難しい部分を絵筆で描くため、
  作者の画力がものをいったようです。
  また、色付けには発色がよく、透光性のある染料のみが使用されていたため、独特な趣をもった人形灯籠がつくられました。

 昭和30年
  昭和30年代は、今日のねぶた制作の礎を築いた制作者が活躍した年代です。
  当時の制作者は、得意な題材を度々制作することがよくあり、
  祭りで同じ題材のねぶたが何台も出されることはよくあることでした。
  なかでも、「曾我物」と呼ばれる『曾我五郎と御所五郎丸』や『草摺引』(くさずりびき)、
  『矢の根』などの話は、特に人気の題材だったようです。
  このねぶたは、第5代ねぶた名人・千葉作龍氏が、当時の制作者で、師であり父であった千葉作太郎氏が手がけた題材を、
  竹ねぶたで制作したものです。」




すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、青森港新中央埠頭と青森ベイブリッジを歩きます。

by sampo_katze | 2019-05-18 21:00 | 東北 | Comments(0)


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