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うだつの町並み~美馬市脇町を歩く
徳島出張のオフタイム編・第4回


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「かつての吉野川沿いに立ちならぶ白壁の家」


「大鳴門橋」にある展望台「渦の道」を後にして、宿のある「美馬市脇町」へと戻ります。
時期的なものなのでしょうか、行き帰りともに「神戸淡路鳴門自動車道」「徳島自動車道」はガラガラ。
ストレスなく走ることができました。

そうして「脇町」に戻ってきたのは16時ころ。
もう少し時間があるので、「脇町」にある「うだつの町並み」を歩いてみることにしました。
近くに「道の駅 藍ランドうだつ」があり、ここに停めることができます。
「道の駅」といっても駐車場とトイレくらいしかないんですが(^^;


表紙の写真は、駐車場の北側から眺めた「うだつの町並み」です。
並んでいる建物は正面ではなく、背面側がこちらを向いています。
駐車場との間には幅の広い「空堀」(からぼり)のような広がっていました。
建物の下には立派な石垣があり、長いスロープも設けられています。
底の部分にはベンチも並んでいるので、ここから見上げるのもおもしろそうです。










「うだつの町並み 脇町南町
  脇町は、吉野川左岸を鳴門にいたる撫養街道(むやかいどう)と、高松へ通じる讃岐街道が交差する要衝(ようしょう)の
 地にあり、鎌倉時代以降に城下町として形成されました。天正13年(1585)、蜂須賀氏が阿波国に封ぜられると、
 脇町には重臣・稲田氏が配され、城と城下町の復興が積極的の行われました。江戸時代には舟運(しゅううん)を利用して、
 吉野川中流域における阿波特産の藍の集散地として発展。明治以降は繭(まゆ)の仲買および生糸の生産の中心地として
 栄え、藍商、呉服商、その他各種の商家が軒を連ねる町となりました。
  大谷川(おおたにがわ)の右岸に位置する町並みは、3本の東西路に沿って、南町・中町・北町にわかれ、
 とくに商業活動の中心となったのは、吉野川沿いの南町でした。南町の町家は通りに面して主屋が立ち、
 その背後に藍蔵や倉庫として使われていた土蔵・その他の付属屋が立っています。主屋の建物は、
 切妻造平入(きりづまづくり ひらいり)が主で、ところどころに入母屋造妻入(いりもやづくり つまいり)のものも
 混じっています。屋根は本瓦葺(ほんかわらぶき)、壁は厚い塗籠(ぬりごめ)で白漆喰(しろしっくい)仕上げの
 重厚な造りとなっています。格子や虫籠窓(むしこまど)、本瓦葺漆喰塗の卯建(うだつ)は、町家の意匠上大きな
 特徴となっています。
  南町の町家のうち約6割は伝統的な様式で建てられており、宝永4年(1707)・宝永8年(1711)の棟札を持つ古い町家をはじめ、
 江戸時代後期から明治時代の家々が並び、町家の変遷を知る上でも貴重なものです。
  脇町南町は昭和63年「脇町南町重要伝統的建造物群保存地区」として国の選定をうけました。このすぐれた歴史的文化遺産を、
 文化財として保存するとともに、これを生かして快適な生活環境の整備を行い、町民ひとりひとりが郷土への誇りと
 愛着を持てる、個性と潤いと活力のある町づくりにとりくんでいます。
   平成2年3月30日 脇町教育委員会・文化庁 徳島県」

※説明板より引用、以下同じ


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「江戸時代」後期、1818年(文政元年)の町割り図のパネルがありました。
現在の駐車場は「吉野川」土手の北側にありますが、この当時は川の中にあったんですね。
そしてこの川を利用した「舟運」で、特産の「藍製品」を出荷していたそう。
「江戸時代」は「藍製品」の需要が高まったこともあり、この界隈も栄えました。
「吉野川」の流れが現在の位置になった時期はよくわかりませんが、「明治」以降のようですね。

「文政元年(1818)の脇町分間絵図
 江戸時代、物資輸送の大動脈として重要な役割を果たしていた吉野川は、「うだつの町並み」のすぐ南側まで
 流れ込んでいました。ここには船着き場があり、水運を利用して藍製品が集出荷されていました。
 今も石垣やスロープが残されており、一部が「船着き場公園」に整備され、繁栄していた往時が偲ばれます。」



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町並みの東側を流れる「大谷川」(おおたにがわ)。
その向こう側にやや派手な見た目の建物があります。
これは1934年(昭和9年)に建てられた「脇町劇場」
別名の「オデオン座」は、「パリ」にある国立劇場と同じ名前でそこからつけられたとのこと。
1995年(平成7年)に老朽化のため閉館し、解体されることになっていました。
ですが翌年に「松竹映画」「虹をつかむ男」の舞台となったことから風向きが変わり、保存されることに。
修復を経て1998年(同10年)から一般公開されています。
このときは公開されていることを知らなかったので、未訪問ですが(^^;


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本題の「うだつの町並み」に入ります。
「大谷川」沿いから西に約400mにわたって通りが伸び、その両側に白壁の建物が連なります。


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建物の2階の角に、小さな屋根のついた壁のようなものがついています。
これが「うだつ」と呼ばれるもので、「防火壁」として造られたもの。
「江戸時代」中期に入ると、写真のように上に小さな屋根を付けるなど装飾性が高くなっていきました。
こちらのは大小2つついているのが特徴ですね。


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2階がやや低い建物。
窓には縦の格子が入っています。
その様子が「虫かご」のように見えることから、「虫籠窓」(むしこまど)と呼ばれます。


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となり合う家の距離が近い!
1階の屋根と「うだつ」は明らかにくっついていますね(^^;
また、左の「うだつ」は少し大きいように見えます。
でもよ~く見ると、微妙に後ろの方につけられていました。
あまりに近いのでぶつからないようにずらしてあるんですね。


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こちらの「うだつ」の先端には「鬼瓦」がつけられていました。
家主のこだわりを感じます。


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傾きかけている赤い「電話ボックス」
中には緑の「カード式公衆電話」が置かれていました。
残念ながら立入禁止になっています。


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町並みの西寄りはシンプルな建物が並びます。
手前の建物には「ホーロー看板」が掲げられていました。
わたしには本物なのか、レプリカなのかはわかりませんが(^^;


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駐車場に戻ります。
そこにはピンク色の「公衆電話」が置かれていました。
使えるのは10円玉オンリーで、番号も「ダイヤル式」です。
かなり色あせていますが、ちゃんと現役で稼働中のよう。
この上には近隣の「タクシー会社」の番号が書かれれていましたから。


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最後は気になっていた「脇町潜水橋」(わきまちせんすいきょう)へ。
「うだつの町並み」の西端から南へ下ったところにあります。
こちらに移動してきた初日に近くまで来たものの、橋までの距離がさらにあったため断念。
でもこの日は足があるので、渡ってみることにしました。


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橋の長さは約200mあります。
ですが、橋の上では車同士がすれ違うことはできません。
両側には「地覆」(じふく)がついているので、安心感は高いです。


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1往復したあと、もう1度橋を眺めます。
ちょうど対岸から車が1台走ってきました。
軽自動車ですとギリギリ2台分の幅しかないのがわかります。
橋には重量制限があり、8トン以上の車両は入れないとのことでした。
コンクリート製なのでそれなりの大きさなら通行できるんですね。



12、13枚目 iPhone5S
ほかはすべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は最終回、徳島空港を少し歩きます。
by sampo_katze | 2019-07-21 21:00 | 四国 | Comments(0)


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