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プロムナードエリアの車両たち
京都鉄道博物館に行こう!編・第2回


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「鉄道車両初の機械遺産認定証」


「京都鉄道博物館」最初の展示エリア「プロムナード」の続きです。
このエリアの入口に顔をそろえているのは3種の車両。
「C62形電気機関車」「80系電車」「0系新幹線」の先頭車です。
これらの車両の後ろにはそれぞれ客車や中間車が連結されていて、編成スタイルで展示されています。

特に「0系」は「グリーン車」「ビュッフェ車」を含む4両編成になっていて、まるで「プラレール」のよう。
車両構成こそ違いますが、「山陽新幹線」での晩年は4両編成も走ってましたけどね。
わたしは「100系」でしか見たことがありませんが、あのリアル「プラレール」スタイルはワクワクしました。


表紙の写真は、「0系」に与えられた「機械遺産認定証」です。
「機械遺産」とは、「日本機械学会」「機械技術の発展に貢献した」と認定したもの。
「0系」は初年度となる2007年度に第11号として認定されました。
認定された4両のうち3両は、1964年3月に先行製造車「1000形」「C編成」(6両編成)として製造されたものとのこと。
登場当時の車両番号は「100x」(x:1~6)でしたが、試験終了後に量産車と同じ番号に振り替えられました。
なお、館内には「機械遺産」第12号の「230形233号タンク式蒸気機関車」も展示されています。










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「0系」の「前照灯」
縦に2つのライトが並んでいますが、「1000形」試作車では1つでした。
この2つライトの方がパッチリお目目というかんじで、似合いますね。

またこれらは「尾灯」も兼ねていて、使用する際は前面に赤いフィルムが出てくるようになっていました。
この構造は「300系」まで採用されましたが、「500系」以降はそれぞれが個別に設置されています。


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「普通車」車内の様子。
1969年(昭和44年)5月10日の「運賃改定」までは「2等車」と呼ばれていました。
現在と同じく2+3列ですが、リクライニング機能はありません。
後期の車両では簡易リクライニング機能が追加されているようです。
またシートの色は青とシルバーを組み合わせたもの。
このシルバーのモケットは、1973年(昭和48年)に「国鉄」で導入が始まった「優先座席」にも使われました。
このため「優先座席」を「シルバーシート」と呼ぶようになったそう。
いつしかその呼び名も聞かなくなりましたが。


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ここには「グリーン車」、1969年までの「1等車」の初号機も保存されています。
なぜか車内の写真がないんですが(^^;
モケットの色はゴールドで、これは開業前に「1等車」と「2等車」をそれぞれ
「ゴールドクラス」「シルバークラス」とする案があったからとのこと。
もしこの案がなかったら、先の「シルバーシート」も生まれなかったんですね。

「初代新幹線電車(グリーン車) 0系16形1号車  <鉄道記念物>
 製造年:1964(昭和39)年   製造所:日本車輛製造
 全長:25.0m  自重:55.1t  定員:68人  最高運転速度:210km/h
 
 0系16形はグリーン車の中間車で、車内には、客室のほかに乗務員室と荷物保管室が設けられています。
 車内はゴールドを基調とした配色で、普通車と比べて居住性を重要視した2人+2人掛けの座席配置に
 リクライニングシートを採用しており、窓も普通車より大きなものとなっています。」



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「0系」の「集電装置」
高速運転時の空気抵抗を小さくするため、下枠が交差した小型の「パンタグラフ」を使用しています。
とはいえ2両あたりに1基、1編成当たり8基もあったことから風切り音やスパークなどが発生。
大きな騒音源となってしまったようです。
その後の車両では数を徐々に減らし、「300系」量産車の途中からはたった2基になっています。


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奥に進むと、茶色い車体に青い帯をまいた車両がいました。
これは「マロネフ59形」という「寝台車」です。
当初は「皇族・貴賓専用一・二等寝台緩急車」として3両が製造されました。
ここにいるのはそのうちの3号車で、称号改称や改造などを経て最終的に「マロネフ59形」となっています。
途中の来歴は複雑なので省略(^^;
1961年(昭和36年)に廃車となりましたが、翌年に開館した「交通科学館」(当時)にて保存されました。

「戦前は珍しかったプルマン式が採用された皇族、貴賓専用寝台車  マロネフ59形1号車
 製造年:1938(昭和13)年  改造年:1952(昭和27)年、1955(昭和30)年
 製造所:鷹取工場  改造所:大井工場
 全長:20.00m  自重:38.9t  定員:14人(1等A寝台2人+1等B寝台12人 等級は1959(昭和34)年時点)


 皇族、貴賓専用のマイロネフ37290形として製造された1・2等寝台客車で、のちにスイロネフ38形と称号改正されました。
 戦後は日本に進駐した連合国軍が接収し、返還後は当時の皇太子の非公式用車両・スイロネ37形となり、
 1955(昭和30)年にはマロネフ59形となりました。
 1等寝台部分は個室、2等寝台部分は通路両側に上下二段の寝台が配された「プルマン式」となっており、
 乗り心地を重視して3軸台車が採用されています。」



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窓から車内を見ることができました。
「80系電車」の側面が映りこんでしまってますが。
車両の中央に通路があり、その両側に線路と平行に設置されたベッドが設けられています。
夜は奥のようにベッドになりますが、昼間はソファのように変えて座席として使用していました。
このような方式は「アメリカ」「プルマン社」が採用したことから「プルマン式」と呼ばれます。


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壁には鏡、照明、ネット状の小物入れ、そして時計入れかな?が装備されています。


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外観はありませんが、「食堂車」も展示されていました。
シンプルなテーブルと椅子が並んでいます。
当時はどんな料理が提供されていたんでしょうね。

「急行「日本海」などに連結された昭和初期の食堂車  スシ28形301号車
 製造年:1933(昭和8)年  改造年:1961(昭和36)年
 製造所:日本車輌製造  改造所:鷹取工場
 全長:20.00m  自重:37.8t  定員:44人

 当初は食堂車と2等座席の合造車であるスロシ38000形として製造されましたが、1962(昭和37)年に改造され、
 スハシ38形として急行「日本海」などに連結されました。乗り心地を重視した3軸台車が採用されています。
 その後、旧交通科学博物館で展示される際に車内全室が食堂車に改造され、スシ28形301号車となりました。」



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その奥にいるのが「通勤形電車」の主力として長らく活躍した「103系電車」です。
21年もの長い間製造が行われ、その数は国内の旅客用車両では最大となる3,447両にも上りました。
ここにいるのは先頭車の初号車である「クハ103形1号車」です。

「高度経済成長期の代表的な通勤形電車  クハ103形1号車
 製造年:1964(昭和39)年  製造所:日本車輌製造
 全長:20.00m  自重:26.9t、27.4t  定員:136人(座席48、立席88)

 クハ103形電車は、1964(昭和39)年から1984(昭和59)年にかけて3,447両が製造された103系通勤形電車の先頭車です。
 通勤客輸送の増大に対応するため、加減速性能や経済性に重点を置いて開発され、各線区ごとにさまざまな塗色が
 採用されたことも特徴です。関西地方では、大阪環状線のオレンジ色や阪和線のスカイブルーなどが代表例です。」



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真正面から見てみると、見事な「食パン型」
「前照灯」は当初は1つでしたが、のちに「シールドビーム」2つに変更。
その見た目から「ブタ鼻」という呼ばれ方をしていたようです。
また下部には「排障器」(はいしょうき)、通称「スカート」も追加されています。


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「乗務員室」を横からのぞいてみます。
正面の窓はやや手前に倒れかかるような向きについていますね。
これはガラスへの映り込みを抑えるためでしょうか。
「マスコン」はもちろんツーハンドルです。
頭上には小さな「扇風機」もついていましたが、登場当時は非冷房でしたから必須といえます。

もっとも、当時は現在のような猛暑はなかったからこれで大丈夫・・・・・では、なかったでしょうけど(^^;
何しろ前面は完全密封と同じで、すき間風1つ入る余地がありませんから。
逆に冬は暖房の利きがよかったかも?


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続いて客室へ入ります。
車端の右上部には「クハ103-1」の表示と号車番号のステッカーが貼られています。
当時はどちらもアクリル板でできていたのでは?と思うのですが。


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左上部にある表示から、昭和51年に「吹田工場」で改造を受けたことがわかります。
詳しい内容はわかりませんが、少なくとも冷房化は行われたと思われ。


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冷房化がされても、天井の「扇風機」はそのまま残されていました。
これがあると冷風をまんべんなく撹拌してくれますからね。
全体が細かい金網でおおわれていて、安全対策もバッチリです。


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最後は車内全体を。
天井は淡いクリーム色、窓周りは淡い緑色、床はやや濃いめのクリーム色でシートモケットは青。
落ち着いた雰囲気です。



すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、トワイライトプラザの車両たちです。

by sampo_katze | 2019-08-20 21:15 | 博物館・美術館 | Comments(0)


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