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本館1階・鉄道のあゆみのエリア
京都鉄道博物館に行こう!編・第4回


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「英国生まれのヒルクライマー」


「トワイライトプラザ」に続いて、いよいよ「本館」へと入ります。
本来なら「プロムナード」から入るんでしょうけど、なぜか「トワイライトプラザ」の裏側からという(^^;

「本館」は3階建てで、1階は実車両が展示されています。
2階は「運転シミュレータ」(操作は抽選)や「ジオラマ」「レストラン」など様々な施設が。
そして3階は「スカイテラス」になっていて、近くを走る「新幹線」「京都線」の車両、
「東寺」「五重塔」などの眺望が楽しめます。
この日は「ドクターイエロー」も通過しましたが、それを撮れたラッキーな方はいたかな?
そのときわたしは「扇形車庫」にいましたが、さすがに撮れませんでしたね。

「本館」1階は4つのゾーンに分けられています。
その中からまずは「鉄道のあゆみ」から見ていくことにします。


表紙の写真は、「イギリス」生まれの「1800形蒸気機関車」です。
1881年(明治14年)に8両が輸入されたうちの1両。
「東海道本線」「京都駅」「大津駅」間などの急こう配区間に対応するために導入されました。
車体につけられた「40」は1893年(同26年)に改番、形式の「1800形」は1909年(同42年)に制定されたものです。
なぜか何度も呼称が変わっているようですね。










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「連結器」「ねじ式」と呼ばれるもので、現在のものとは形態が異なります。
連結・開放に手間がかかり、作業中の事故も多発したことから「自動連結器」への交換を計画。
1925年(大正14年)7月に一斉交換がなされました。
特に「貨物車両」については車両数が膨大(約46,000両!)もあるため、
交換日当日に24時間運休とさせるという異例の処置が行われたといいます。


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「SL」の動力源となるのはもちろん「蒸気機関」
「蒸気機関」といえば「ジェームズ・ワット」ですね。
「ワット」は従来の「蒸気機関」を改良し、高効率化と動作の安定化を図りました。
ここに展示されているのは、「国鉄鷹取工場」が1987年に製作した模型。
ボタンを押すと動作する様子が見られます。

「ワットの蒸気機関
 1765年、英国のジェームズ・ワットは、おもに鉱山などで使われていた蒸気機関を改良することに成功しました。
 それまでピストン運動だった蒸気機関を回転運動に改良したことで、同時に複数の作業が行えるようになり、
 工業製品の大量生産を可能にしました。
 産業革命に大きく役立った蒸気機関は、のちに蒸気機関車へと発達しました。」


「ワットの複動式蒸気機関  縮尺3/5  模型製作1987年
 ジェームズ・ワットは、英国の発明家です。
 グラスゴー大学で計測器などを製作していた頃に蒸気機関に興味を持って研究をはじめ、
 何度も改良を重ねて世に送り出しました。
 この蒸気機関模型は、ワットが1788年に製作したものを、1987(昭和62)年に国鉄鷹取工場が再現製作したものです。」


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「蒸気機関」はさらに高圧・高出力化がなされ、陸上交通機関への応用が考えられるようになりました。
1825年には「ストックトン・ダーリントン鉄道」が開業。
それに合わせて造られた「蒸気機関車」が「ロコモーション号」です。
「動輪」は2軸で、それを動かすシリンダーは上から伸びます。
そして「ボイラー」の上には複雑な機構部がむき出しになっています。

「ロコモーション号  1825年  縮尺1/8
 1825年、ストックトン~ダーリントン鉄道開業のさいに、
 ジョージ・スティーブンソンによって作られた蒸気機関車です。
 縦型の2本のシリンダーはボイラーの中央に垂直に設置されています。」


「ジョージ・スティーブンソン
 ジョージ・スティーブンソンは1781年、英国のノーサンバーランド州で生まれました。
 17歳から炭鉱で働きはじめ、その後、炭鉱の技師となって、ロケット号などの蒸気機関車を発明しました。
 1823年には、息子のロバートともに、ロバート・スティーブンソン社(世界初の蒸気機関車メーカー)を設立し、
 鉄道の発展に貢献しました。」



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「ボイラー」の上をアップに。
先の「ワットの蒸気機関」の構造を、そのまま移植したような感じになっています。


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「ストックトン・ダーリントン鉄道」が開業したときの様子と路線図。
線路のすぐそばを人や馬が走っているという、かなり危なっかしい感じです。
「機関士」?は「ボイラー」の傍らに座っているし、「石炭」を積んだ「貨車」をけん引しているんですが
その上にも人が乗っているという(^^;
もっとも当時の速度はとてもゆっくりで、12マイル(約19km)を約2時間かけて走ったそう。
「自転車」の半分くらいの速度ですね。

「英国 鉄道の開業 -ストックトン・ダーリントン鉄道-
 世界初の公共鉄道
 英国のストックトン・ダーリントン鉄道は、1825年9月27日に世界初の公共鉄道として開業しました。
 しかし、当時は馬車鉄道が主流であったため、蒸気機関車と馬車による輸送が併用されました。
 その後、鉄道は1830年にアメリカ、1832年にフランス、1835年にドイツ、ベルギーで開通するなど
 世界各地へと広がっていきました。
 ストックトン・ダーリントン鉄道は支線を含むと約50kmの路線を有し、おもに貨物輸送線として使われました。」



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こちらは「ロケット号」
「リバプール・マンチェスター鉄道」開業を前に、使用する「機関車」を選定するレースを実施。
「レインヒル・トライアル」と呼ばれるこのレースに参加した5台の中で優勝しました。

「ロケット号  1829年  縮尺1/8
 1829年、英国のリバプール~マンチェスター鉄道で走る機関車を選ぶ競技会で優勝した、蒸気機関車です。
 ピストンが直接車輪を回す設計は、今日の蒸気機関車の基礎となりました。」



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「ロコモーション号」を比べ、「ロケット号」の構造はとてもシンプルに見えます。
そのためか、その後登場する「蒸気機関車」に採用されることとなりました。
構造がシンプルだと故障しにくいですし、修理も簡単になりますからね。


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ここからは国内での動きです。
「ロコモーション号」や「ロケット号」が登場したころは「江戸時代」で、「鎖国」の真っ最中。
それも18世紀後半となると、諸外国が「通商」「開国」を求めてやってくるようになります。
1853年7月には「アメリカ」「ペリー」「神奈川県浦賀」に、
その1か月後に「ロシア」「プチャーチン」「長崎」にやってきました。
その際、両者ともに「蒸気機関車」の模型を披露して当時の人々を驚かせたそう。

「模型によって蒸気機関車を初めて目にした日本人
 江戸時代末期の1853(嘉永6)年、ロシアのプチャーチンが開国を求めて長崎に来航し、
 幕府の役人や佐賀藩士らに蒸気機関車の模型を披露しました。
 初めて蒸気機関車を見た彼らは、その驚きを「飛ぶが如く」走り、
 「焼酎※を燃やして回す車なり」などと書き残しています。
 また、アメリカのペリーが浦賀に来航したさいにも、横浜で蒸気機関車模型の運転を披露しました。
 ※実際にはアルコール燃料」



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「プチャーチン」の模型を参考に「佐賀藩精錬方」が製作した模型(複製)。
「動輪」は2軸、「シリンダー」は「ボイラー」の下に隠されています。
とても洗練されたデザインになっていますね。

「佐賀藩精錬方蒸気機関車模型  1855(安政2)年  複製
 ロシアのプチャーチンが持参した蒸気機関車模型をもとに、
 佐賀藩の中村奇輔、田中久重、石黒寛次が製作しました。」


「幕末にはじまった鉄道研究
 ロシアやアメリカから蒸気機関車の模型がもたらされると、その技術の有用性を認めた各地の藩がその研究を開始しました。
 1853(嘉永6)年にロシアのプチャーチンが長崎に来航したさい、藩士を派遣して蒸気機関車の情報を得た
 佐賀藩の藩主・鍋島直正(なべしま なおまさ)は、藩の精錬方(せいれんかた)に銘じて同様のひな型を製作させ、
 試運転も行いました。その後、福岡藩や長州藩などでも模型が製作されました。」


「佐賀藩精錬方
 佐賀藩精錬方は、肥前国(ひぜんのくに 現在の佐賀県)を治めていた佐賀藩の藩主・鍋島直正が
 1852(嘉永5)年に設けた西洋技術の研究機関です。
 石黒寛次(いしぐろかんじ)、中村奇輔(なかむらきすけ)、「からくり儀右衛門(ぎうえもん)」と呼ばれた
 田中久重(たなかひさしげ 東芝の前身である芝浦製作所の創業者)などの技術者が所属し、
 反射炉高温で金属を精錬する炉・大砲・蒸気機関などの研究・製造を行いました。)」



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1872年(明治5年)9月12日(現在の10月14日)、ついに国内で「鉄道」が開業しました。
その当日の始発駅となった「新橋駅」の様子を再現した「ジオラマ」
集まっている人々がほとんど和装なのが時代ですね。

「外国から輸入で始まった日本の鉄道
 1872(明治5)年に鉄道が開業した当初、機関車、レール、切符などは日本で生産することが困難であったため、
 そのほとんどを英国からの輸入に頼っており、機関車の運転も外国人の機関士と日本人とが同乗して行っていました。
 また、駅舎は当時の日本人の目には珍しかった西洋建築で、「ステンショ」「鉄道館」などと呼ばれていました。」



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開業当時に導入されたのが「1号機関車」(模型)です。
このほかに4形式9両、全5形式10両が導入されたそう。
その中でもっとも早く到着したことから「1」が付番され、そのまま名称となったようです。
その後、1909年に「150形」と名称が変わっています。
1911年には「長崎県」「島原鉄道」に譲渡され、1930年まで同線で活躍。
貴重な初号機関車ということから、同年「600形機関車」との交換で「鉄道省」に返還されました。
返還後は「国鉄大宮工場」で整備され、「交通博物館」にて静態保存。
現在は「さいたま市」「鉄道博物館」へと移り、展示されています。

「1号機関車と客車  1871(明治4)年  縮尺1/20
 1871(明治4)年に英国から輸入された150形のタンク式蒸気機関車です。
 開業日に9両の客車をけん引して新橋~横浜間を走行しました。」



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「新橋」~「横浜」間で開業した、国内最初の鉄道の時刻表(複製)です。
1時間おきの出発で午前は8時から11時の4便、午後は2時から6時の5便が運転されていました。
また途中の「川崎」ですれちがっていたようです。
単線か複線だったのかはわかりませんが。

「新橋横浜間開業時の時刻表  複製  1872(明治5)年
 新橋、品川、川崎、鶴見、神奈川、横浜の順に下り列車が停車し、
 上りはその逆を走っていました。」



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最後は、鉄道開業から間もないころに見られた光景。
現在でも基本的にそうですが、室内に入るときは履き物をぬぐのが習慣となっています。
このため列車に乗り込むときにも同じようにしてしまい、駅のホームに履き物が残されていたんだそう。
さて、残ったその履き物はどうなったんでしょうか?
気になるところです。



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次回は、車両のしくみのエリアです。

by sampo_katze | 2019-08-24 21:00 | 博物館・美術館 | Comments(0)


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