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首里城に入城
沖縄遠征2018秋編・第9回



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「急な階段の奥に」


「首里城」の最初の正門「歓会門」(かんかいもん)をくぐり、いよいよ城郭内へと入ります。
「ゆいレール」「首里駅」から歩いて来たんですが、ここまでゆるゆると上り坂が続きます。
それもそのはず、「首里城」あたりの標高は120~130mほどあるんだそう。
そのため、めぐるには結構体力がいります。
この日は11月半ばだったんですが、結構暑かったですし(^^;
でもせっかくここまで来たんですから、がんばって最後まで見ていきます。


表紙の写真は、「瑞泉門」(ずいせんもん)とそこに至る階段の様子です。
「瑞泉」の名は、門の近くにある泉が由来。
門の構造は、両側にある石垣の上に櫓が乗る形になっています。
「歓会門」が石のアーチの上に乗っていて、形が異なっているんですね。
門への道は急な階段になっていて、ここが城内でもっともキツイ場所になっています。
ちなみにスロープのあるバリアフリールートもあるので、一部の門は通りませんが
脚に自信のない方はそちらを通るといいかもしれません。

「龍樋・冊封七碑と瑞泉門(りゅうひ・さっぽうもん と ずいせんもん)
  石段途中の右手に泉があります。龍の口から水が湧き出ていることから、龍樋(りゅうひ)という名があります。
 龍の石彫刻は、王宮の飲み水として使われました。また、中国からの使者「冊封師」(さっぽうし)が
 琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった宿舎「天使館」(てんしかん)まで毎日この水が運ばれたといいます。
  この周辺の石碑は、龍樋の水の清らかさを称賛した冊封使たちの書を刻んだもので、
 冊封七碑(さっぽうしちひ)を呼ばれています。沖縄戦でほとんどが破壊されましたが、拓本をもとに
 1996(平成8)年に復元されました。
  石段上の門は瑞泉門(ずいせんもん)で、その名は龍樋の水が瑞泉(りっぱな、めでたい泉の意味)と
 讃えられたことに由来します。別名「ひかわ御門(うじょう)」ともいいます。「ひ」は樋(とい)のことで、
 「かわ(川)」は沖縄では井戸や泉のことをさします。さきほどの歓会門(かんかいもん)とちがい、
 双璧の石門の上に櫓(やぐら)がのっています。この形式は日本本土の主な城の門と共通しています。
  創建は1470年頃。沖縄戦で焼失し、1992(平成4)年に復元されました。」
※説明板より引用、以下同じ


※「首里城」で火災が発生しましたが、
 以前の様子を少しでも記録に残せればと思いアップします。
 なお、取材日は2018年11月10日です。









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「瑞泉門」に通じる階段の途中、右の少し奥まったところにある「龍樋」(りゅうひ)。
その名の通り、「龍」の形をした樋(とい)から水が流れ出ています。


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「瑞泉門」を抜けるとまた階段があります。
その先にあるのが「漏刻門」(ろうこくもん)。
「漏刻」とは中国語で「水時計」のことで、門の中に設置されていたんだそう。

「漏刻門
  漏刻(ろうこく)とは、中国語で水時計という意味です。この門の上の櫓の中に水で時間をはかる水槽(水時計)が
 設置されていました。門をすぎた広場には日時計があり、その二つで時刻をはかり、太鼓をたたいて時をしらせました。
  別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいいます。駕籠(かご)で登城することを許されていた身分の高い役人も、
 国王に敬意を表しこの門で駕籠を下りたということからそのように呼ばれました。
  創建は15世紀頃。老朽化のため昭和初期には撤去されていたものを1992(平成4)年に復元しました。」



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「漏刻門」を抜けると、少し広い場所に出ます。
その広場に置かれているのがこの「日影台」(にちえいだい)です。
これは「日時計」で、先の「漏刻」と合わせて時刻を計っていたようです。

ちなみにここは「兵庫県明石市」から約700km西にあります。
そのため、「日本標準時」とは約30分の誤差があるとのこと。
そういえば初めてこの地を訪れたとき、夜暗くなるのがずいぶん遅いな~と思ったものです。

「日影台
 漏刻が水時計であるのに対し、日影台は日時計のことです。
 琉球王国時代、首里城では日時計を用いて、正午およびその前後の時刻をはかり、
 また漏刻でくわしい時刻をはかったといわれています。
 日影台は、十二支が刻まれた時刻板(石の石盤)に銅製の棒が取り付けられ、
 その日影によって時刻をはかるようになっていたと推測されています。
 沖縄戦で破壊されたものを、2000(平成12)年にかつての形態に復元。
 日影台の示す時(地方太陽時)は、日本標準時に対して約30分遅れています。
 ※日影台の時刻板(石の石盤)を支える方式は現在のところわかっていません。」



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「日影台」のある広場の北側は眺望が開けていました。
左奥に見えるのが「歓会門」、中央は「久慶門」(きゅうけいもん)です。
「歓会門」が正門に対し、「久慶門」は通用門として使われていたようです。


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ほぼ真北には、赤い屋根と灰褐色の壁を持つ大きな建物が見えます。
こちらは「沖縄県立芸術大学」「首里当蔵キャンパス」です。
最初見たときは、その外観や色から「首里城」の関連施設かと思ってしまいました。
でもまったくの無関係かというと、そうでもなさそう。
ここからの景観に違和感が出ないよう、デザインされたような感じですからね。


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南側にあるのは「廣福門」(こうふくもん)。
これまでの門は城壁の一部になっていましたが、この門は建物の一部になっているところが大きく異なります。

「廣福門
 「廣福」(こうふく)とは「福を行き渡らせる」という意味です。
 建物そのものが門の機能を持っているのが特徴です。
 門の正面に向かって左側が、士族の財産をめぐる争いを調停する「大与座」(おおくみざ)、
 右側が神社仏閣などを管理する「寺社座」(じしゃざ)という役所になっていました。
 創建年は不明。明治末期頃に撤去され、1992(平成4)年に復元されました。」



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「扁額」には門の名前である「廣福」の文字が。


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「奉神門」(ほうしんもん)から先は有料エリアになります。
その先へ進むと、「首里城」の中心となる「御庭」(うなー)と「正殿」(せいでん)があります。
「御庭」は「正殿」の前にある広場で、様々な儀式が執り行われる場所でした。
また「正殿」は「首里城」の中心的役割を果たす建物であり、「琉球王国」最大の木造建造物でもありました。
このときは修復工事?が行われていたようで、正面にはシートが掛けられていました。
表面には写真が転写されているようで、シートとはわかりづらいですが。

「正殿
 正殿は首里城で最も中心的な建物です。木造の三階建で、一階は主に国王自ら政治や儀式を執り行う場、
 二階は国王・親族・女官らが儀式を行う場でした。三階は通気を目的とした屋根裏部屋です。
 正殿を二層三階建とすることや装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自の形式といってよいでしょう。
 創建年は、14世紀末頃と見られています。その後ほぼ同位置で数度の焼失・再建を繰り返し、
 現在の建物は18世紀初めに再建され、沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに
 1992(平成4)年に復元したものです。」



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最後は、「御庭」での儀式を再現した模型です。
いくつかある儀式のうち、これは「首里城」最大という「朝拝御規式」(ちょうはいおきしき)のもの。
「御庭」いっぱいに諸位諸官たちが並ぶさまは、再現模型とはいえ迫力がありますね。

「朝拝御規式 -首里城最大の行事、元日儀式のメーンイベント-
 琉球王国では、諸行事を国王自らがとりおこなうことにより国の安泰を願っていました。
 首里城で行われる様々な行事は、中国・日本の影響を色濃く受けたものでした。
 最大の儀式は元日におこなわれ、御庭(ウナー)を中心に大晦日からくりひろげられ
 元旦にいたってメーンイベントである「朝拝御規式」を迎えます。
 朝拝御規式では、国王をはじめ王子衆、按司衆(あじしゅう)、三司官(さんしかん)や
 諸位諸官が数十列並ぶ中国風の厳粛で壮大な儀式でした。」




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次回は最終回、首里城正殿内を見学します。

by sampo_katze | 2019-10-31 21:00 | 沖縄 | Comments(0)


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