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決闘の聖地・巌流島を散策
2019年フライト初め~下関・門司遠征編・第7回


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「船形の石碑」


「下関」「唐戸桟橋」からフェリーで約10分。
決闘の聖地とも呼ばれる「巌流島」に到着しました。
この場所は言わずと知れた、「宮本武蔵」「佐々木小次郎」の2人が対決した場所。
それまでは「船島」(ふなじま)という小さな島でしたが、歴史的な決闘が行われたことから一気に有名に。
そして「小次郎」の流派である「巌流」にちなみ、呼び名も「巌流島」が広く知られるようになりました。

この島の近くには岩礁がありました。
「関門海峡」はただでさえ地形が複雑で幅も狭く、潮流も早いところ。
そんなところにある岩礁なので、海の難所として恐れられていました。
かつては「豊臣秀吉」の乗る船がこの岩礁に座礁し、あやうく一命をとりとめたこともあるとか。
大正時代に入ってこの岩礁は爆破され、その周辺も合わせて埋め立てられました。
これにより島の面積は約6倍の10万平方メートルにまで広がったんだそう。
到着したときは小さな島と思いましたが、以前はもっと小さかったんですね。
もっとも埋め立てられた地域は企業管理地のため、ほとんど入ることができませんが。

そんな小さな島をゆっくりとめぐってみることにしましょう。
次の船が出発するまでの時間は40分。
この広さなら十分間に合いそうですね。


表紙の写真は、桟橋近くにある船の形をしたオブジェです。
「武蔵」が島に渡ってきたときに乗っていた船を模したもののよう。
その向こうには「ゆめタワー」が見えます。










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船の上面には「武蔵」と「小次郎」が対峙する様子が描かれていました。
「つばめ返し」を繰り出したか、剣を振る「小次郎」。
それを跳んでかわし、木刀を振りあげる「武蔵」。
この後の展開はいかに??


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「船島」の今と昔。
埋め立て前の島は、名前の通り船のような形をしていたんですね。
なお、この地図は上が南になっています。


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そこから海沿いに歩いていくと、地面に足のマークがありました。
つま先の間には小さくカメラのマークもついています。
これは「やまぐちビューなび」が選定した撮影スポットを示しているもの。
県内に100か所以上あるようで、これはそのうちの1つです。

「ビュースポットやまぐち 関門海峡
 宮本武蔵と佐々木小次郎が慶長17年(1612)4月13日に雌雄を決した巌流島。
 この地から見渡す関門海峡は、右に門司の街並み、左に下関の街並みが見渡せるだけでなく、
 正面奥には本州と九州を結ぶ関門橋も望める、実は大変贅沢なビュースポットです。
 海峡の最狭部は「早鞆の瀬戸」と呼ばれる火の山のふもとで、距離は約670m。水深は約13m。
 ここを1日に大小約600隻もの船が行き交います。源平最後の決戦として知られる「壇ノ浦の合戦」の舞台でもあり、
 また明治維新の引き金となった攘夷戦や、四国連合艦隊砲撃事件(下関戦争)の地としても知られています。
 海峡が見守ってきた数々の歴史に思いを馳せながら、関門海峡の雄大な景色を存分にお楽しみください!」

※説明板より引用、以下同じ


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せっかくなので、そこに立って撮影してみます。
向かって左は「山口県下関市」、右が「福岡県北九州市」です。
中央にはその間を結ぶ「関門橋」が見えます。
右端に見える高い建物は「門司港レトロ地区」にある「門司港レトロハイマート」というマンション。
最上階は展望室として開放されています。


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さらに奥に進むと、小高い丘があります。
その上には「武蔵」と「小次郎」の銅像がありました。


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木刀を振りあげ、攻撃を繰り出そうとしている「武蔵」。
険しい表情で「小次郎」を見据えています。
腰には一振りの刀が差してありますね。


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後ろに剣を構え、「武蔵」を迎え撃つ「小次郎」。
「武蔵」とは対照的に、冷静な表情をしています。
それにしても、後ろにクレーンが写りこんでいたのは誤算でした(^^;


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気になったのは剣の柄を持つ「小次郎」の手。
右手の向きが通常とは逆になっているんですよね。
これが「つばめ返し」の秘密なのかな?


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丘の南側には小さな砂浜がありました。
この辺りは埋め立てられてできた場所なので、人工的に作られたものかと。
その一角には木造の船が置かれていました。
そばには立札があり、「伝馬船」(でんません)と書かれています。
実際に使われていたものだそうで、決闘当時の雰囲気を出すために置かれているそう。

「伝馬船
 この伝馬船は、下関市の山陰方面で使用されたものですが、武蔵が伝馬船に乗って巌流島に渡たり、
 小次郎と戦ったその当時をしのんでいただくことをイメージして設置していますので、
 船に乗ったり、触ったりしないで下さい。
   巌流島奉行 下関市長」



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砂浜から銅像を見上げるとこんな感じ。

ちなみにこの銅像は、2003年に放映された大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」に合わせて造られたもの。
「小次郎」は放映前の2002年12月に建てられましたが、「武蔵」は2003年4月に建てられています。
銅像も決闘の史実同様、「武蔵」が遅れてやってきたというのはおもしろいですね。


D700+24-120mmF4G/VR


次回は、関門海峡を歩いて越えます。
by sampo_katze | 2020-02-08 21:00 | 山陰・山陽 | Comments(0)


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