人気ブログランキング | 話題のタグを見る
釧路市街の南部エリアを少し歩く
夏の釧路遠征2019・第3回


釧路市街の南部エリアを少し歩く_c0081462_21401302.jpg
「街路灯のデザインにもタンチョウ」


「釧路空港」に到着後、接続する「空港連絡バス」を1本見送って1時間後のバスに乗ります。
そこから約40分ほどで宿のある「釧路駅」に到着しました。
宿までは歩いて3分ほどで、16:30過ぎにはチェックインできました。
たださすがにこの時間は夕食には早すぎます。
そこで時間つぶしのため、市内を少し歩いてみることにしました。

天気は曇りですが、歩き回るにはちょうどいいくらいの気温。
とりあえず海の方に行ってみようと、「釧路駅」から南へ伸びる「北大通」(きたおおどおり)を進みます。


表紙の写真は、「北大通」沿いにある街路灯です。
3つの灯火があり、その主塔の左右につがいの「タンチョウ」をあしらっています。
「釧路」らしいデザインですね。










釧路市街の南部エリアを少し歩く_c0081462_21401516.jpg
駅から南へ約1kmほど歩くと「釧路川」があります。
この川は「屈斜路湖」(くっしゃろこ)を水源とし、そこから南へと流れ下って「釧路湿原」を通ってきます。
そしてこの場所は河口から約1kmほどのところ。
右岸には複合商業施設の「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」(以下、「MOO」)があります。
「フィッシャーマンズワーフ」は「サンフランシスコ」にある同名の観光地で、「漁師の波止場」(Fisherman's Warf)を意味します。
また「MOO」はMarine Our Oasis」の頭文字をとったものとのこと。
右側のドーム状の建物は植物園の「EGG」、左側が商業施設の「MOO」と分けられています。
「MOO」には飲食店のほか、「郵便局」「市役所」の一部の部署などもあります。


釧路市街の南部エリアを少し歩く_c0081462_21401834.jpg
「釧路川」のもっとも下流に架かる「幣舞橋」(ぬさまいばし)。
「アイヌ語」「ヌサ・オ・マイ」(幣場のあるところ)がその名の由来とされています。

ここは1889年(明治22年)、道内でもっとも長い木橋として「愛北橋」(あいほくばし)が架けられたのが始まり。
この橋は「名古屋」に本社を持つ商事会社の「愛北物産」が私費で架けたものでした。
1898年(同31年)に増水によって「愛北橋」が倒壊したため、1900年(同33年)に官営の初代「幣舞橋」が架けられます。
1928年(昭和3年)には4代目となる橋が、初めて鉄筋コンクリート造りで完成。
この橋は「札幌市」「豊平橋」(とよひらばし)、「旭川市」「旭橋」と並んで「北海道三大名橋」とされました。
現在の橋は1976年(同51年)に架けられた5代目です。


釧路市街の南部エリアを少し歩く_c0081462_21402099.jpg
左岸へと下りて、対岸にある「MOO」を眺めます。
中央には「タンチョウ」が翼を広げたようなオブジェがついていました。
最初は本当に「クレーン」かな?と思ったんですが、こういうデザインのようです。
もっとも「クレーン」(crane)は、英語で「ツル」を意味するんですけどね(^^;


釧路市街の南部エリアを少し歩く_c0081462_21402365.jpg
左岸を河口の方へと歩いていくと、前方にレンガ造りの小さな建物があります。
この建物、元は1908年(明治41年)に竣工した「釧路新聞社」(現在の「北海道新聞社」)のレンガ造りの社屋でした。
竣工の年に「石川啄木」が記者として赴任してきています。
もっとも、その期間は2か月ほどと短かったようですが。
建物は1965年(昭和40年)に解体されましたが、1993年(平成5年)に「大町地区港湾休憩所」として復元。
1階に喫茶店と売店を、2階には「啄木資料室」が設けられています。

「由来記
 この建物は、明治41年(1908年)に建設された旧釧路新聞社の社屋を復元したものです。
 詩人「石川啄木」が、76日間の本市滞在中に記者として敏腕を振るった旧釧路新聞社はこの付近にあり、
 当時の釧路を代表する近代的な建物でした。この歴史的建造物の復元は、釧路新聞社創刊45周年記念事業として
 協力をいただき実現しました。
 また、今日の釧路市の発展の基礎となった釧路港は、明治42年の日本帝国議会での「釧路港修築予算」によって
 着工されました。この時、旧釧路新聞社社長「白石義郎氏」が衆議院議員として尽力し、
 以来、釧路市は港のまちとして大きく歩み始めることとなりました。
      釧路市

 〔建物概要〕
  ●構造 鉄筋コンクリート造り煉瓦積 2階建
  ●規模 延面積 1階 70.2125㎡  2階 65.2625㎡  合計 135.4750㎡
  ●事業期間 着工 平成4年11月2日  完成 平成5年5月20日  開設 平成5年5月31日」



釧路市街の南部エリアを少し歩く_c0081462_21402509.jpg
「旧社屋」から「入舟臨港通」に沿って南西の方に歩いていきます。
1.3kmほど歩き、高台にある「米町公園」(よねまちこうえん)へ。
ここには灯台の形をした「米町展望台」があり、眼下に「釧路港」を見ることができます。

「米町の由来
 明治8年に命名された米町。江戸時代は「クリス場所」の中心地で、
 漁業をひらいた商人の屋号「米屋」にちなむ町名です。
 早くから商業が栄え、石炭輸送のトロッコが米町通りを走るなど、
 近代港湾ができるまで、釧路経済の中心でした。町並み形成はこの地域から始まり、
 神社仏閣や石碑などから当時の「米町」の歴史をしのぶことができます。」



釧路市街の南部エリアを少し歩く_c0081462_21402777.jpg
「米町展望台」からの眺め。
空には厚い雲がかかっているので、見通しがよくなかったのはちょっと残念。
晴れていれば周辺の山々が見えるらしいので。


釧路市街の南部エリアを少し歩く_c0081462_21403077.jpg
歩いて「MOO」に戻ってきました。
「米町公園」近くにはバスも通っているんですが、微妙なタイミングだったので(^^;

「MOO」には「バスターミナル」が併設されています。
その待合室には「ラッコ」のパネルがあり、「クーちゃん de モザイクアート」のタイトルが添えられています。
「クーちゃん」とは2009年2月11日に「釧路川」に出現した「ラッコ」のこと。
5月7日ころまで同地で目撃され、見学に来る人が多くいたんだそう。
その後は「根室市」方面に移動したようで、ほかの個体といる様子が観察されています。


釧路市街の南部エリアを少し歩く_c0081462_21403343.jpg
近くで見てみると、たくさんの写真を組み合わせてできていました。
しかもそのすべてが「クーちゃん」を写したもの。
何枚の写真でできているんでしょうね?


釧路市街の南部エリアを少し歩く_c0081462_21403679.jpg
最後は「MOO」のマスコットで、その名も「MOOちゃん」
恐竜の子どもですが、年齢はなんと600歳!
「ピーター・パン」のような永遠の子どもといった感じですね。



1~7枚目 D700+24-120mmF4G/VR
8~10枚目 iPhone5S


次回は、釧路での夕食です。

by sampo_katze | 2020-09-15 21:00 | 北海道 | Comments(0)


<< 釧路の繁華街の末広町で夕食を 釧路空港の動物たちのオブジェと... >>